愚昧なる騎士殿に捧ぐ
誰かに嫁ぐ気はなかった。
わたしが婚姻で役立たないことで生じる不利益分は働きで返すと誓い、その誓いを果たすことで父の許しを得ていた。
だから貴族の娘でありながら、わたしは自分の身の振り方を、決める権利を持っている。
わたしの結婚と言うカードを、好きなときに切ることが出来るのだ。
正直、切るつもりはなかったカードだが。
だからこそ、いま切っても不都合はない。
「グリフィス・ザカル」
ただ己の武力と圧倒的な指揮センスだけで昇り詰めたゆえに、貴族の立ち回りなど露と知らない愚昧なる騎士殿は、ごく小さく呟かれた己の名前に気付いて振り向いた。
決して静かな場ではない。音楽が流れ、人々が会話や食事を楽しむ、社交の場。まして騎士殿はとりわけ喧騒の渦巻く場所にいた。
声の主を探した目が、わたしを捉える。
微笑みを返せば、縋るような目を向けられた。
戦場では、一騎当万とまで言われる、負け知らずの騎士殿だと言うのに、ここでは狼に囲まれた野兎のごとく途方に暮れ、縋る藁を探している。
そして、わたしがその、藁になることを期待した。
良いでしょう。悪くない。
頷いて顔に笑みを貼り付け、悠々と喧騒の中心へと足を進めた。騎士殿は藁を離すまいと思ったか、そんなわたしへ寄って来る。
「ロクシアナ、様」
指でちょいと招けば、飼い主に呼ばれた忠犬のように、巨体を畳んでわたしに顔を寄せる。
その肩に身を寄せ、耳へと唇を寄せると、小さく囁いた。
「あなたがいま、わたくしに求婚するならお受け致しますわ。それでいかが?」
騎士殿は弾かれたようにわたしから身を離し、信じられないと言いたげにこちらを見下ろした。
それに、ゆったりと、微笑みを返す。
騎士殿の顔が、じわじわと、赤く染まった。
「お待たせして申し訳ありません。ですが、やっと父の許しが得られましたの」
今度は誰もに聞こえる声量で、はっきりと告げる。
「ほんとうに、よろしいのですか?」
狼狽えた問いには、笑顔で返す。
真っ赤な顔のまま意を決したように、騎士殿は跪いた。
わたしを見上げて、すぐに照れたように視線を落とし、代わりに片手を差し出す。
「ロクシアナ様、あなたを、愛しています」
シン、と天使が通り過ぎたのちに、ザワリと会場が揺れた。
そんな騒ぎの中でもよく通る声で、騎士殿が続ける。
「どうか、俺、いえ、私と、結婚して頂けませんか」
よく出来ました。
差し出された手に手を乗せて、にっこりと微笑む。
「喜んで」
老若男女悲喜交々入り混じった声で、再度会場が揺れた。それに苦笑して騎士殿の手を引けば、危なげなく立ち上がった騎士殿がわたしへ身を寄せる。
「腰を抱いて」
小声で指示すればその通りに。
愛し合う恋人のような距離感のまま、騎士殿を見上げて告げる。
「父があなたと話したいと言っておりますの。急で申し訳ありませんが、これから来て頂ける?」
「もちろんです」
「ありがとう」
笑みで答えるといったん身を離し、会場へと一礼する。
「それでは、わたくしたちはお暇させて頂きますわ。みなさまは、どうぞお気になさらず楽しんで下さいまし」
さ、行きましょうと騎士殿に告げれば、伸びた太い腕に抱き上げられた。また、大きなどよめきが起こる。
「その靴は華奢過ぎて、見ていて心配になるんです。よく、似合ってはおいでですが」
そんなどよめきには気付かない様子で、騎士殿がわたしへの言い訳を。
「ずっと、気になっていたんです。あなたは護衛も、パートナーも付けずにいつも華奢な靴で歩き回っていて」
「一流の靴職人の作よ?華奢に見えても丈夫なの。壊れたりしないわ」
「靴の丈夫さも、あなたが無様に転んだりしないことも、わかっています。でも、心配なものは心配なんです」
言い合いながら会場を進むわたしと騎士殿へ、会場中の視線は釘付けのまま。
「それなら今後は、あなたが隣で支えてくれれば良いでしょう?」
「当たり前です。ほかの誰に、その役目が許されると?」
会場の端へ着いたのに、扉が開かない。扉の開閉役の兵士すら、呆けているからだ。
「扉を開けて貰えますか?」
騎士殿に催促されてやっと、慌てた兵士が扉を開く。
「そのまま出口に」
小さく出した指示通りに、騎士殿は進む。
なるほど、この体勢はこっそり指示が出しやすくて良い。
馬車で待っていた御者も従者も護衛も、騎士殿を伴って戻ったわたしに目を見開きはしたが、とくに問い質しもせず馬車を出した。
騎士殿と並んで座ったわたしの前に、従者が座る。
「それで?」
お目付役を兼ねている従者は、手短に問いを投げた。
「はめられて困っているようだったから、助けてあげたの。今日から騎士殿がわたくしの婚約者よ」
「それはまた」
従者は苦笑して、騎士殿を一瞥した。
「旦那様が喜びそうですね」
「喜ぶ、でしょうか。俺、いや、私は、孤児院出の騎士爵で」
「楽な話し方で大丈夫ですよ。お嬢様はもちろん、旦那様もそんなことを気にされる方ではありませんから」
まずは口調について告げてから、従者は続けた。
「爵位であればお嬢様が伯爵に叙爵されていますから問題ありません。お嬢様の収入だけで、伯爵家相当の生活は保てますし、失礼ですが、結構な額の騎士年金が保障されているでしょう?」
「それは、そうですが、血筋が。それに、俺は戦う以外に脳のない男で」
「その戦いで十二分の功績を出しているのですから十分では?むしろ、戦い以外は向かないと自覚されていることを、旦那様は評価されると思いますよ。自分の無能に気付かない無能ほど、タチの悪いものはありませんから。それ以外は」
従者の目が、わたしを見る。
「お嬢様に任せて置けば万事つつがなく進むでしょう。変なプライドで邪魔が入らない方が巧く行きますよ。お嬢様だって、あなたの適性は理解した上で婚姻を決めているのですから」
そうだね。騎士殿が戦い以外ではとんだ愚昧だと言うことは、よくよく把握している。
「それから血筋に関しては」
じっとわたしを見つめながら、従者はのたまう。
「人間なだけで上出来かと」
「失礼ね」
「孫は抱けないかもしれないと泣く旦那様を、幾度となくお慰めした身ですので」
まだ孫を抱けるとは決まっていないのだが。
「……従者殿の言葉は、気にしなくて良いわ、騎士殿」
「それは」
「わたくしは、あなたにその身を守る身分を与えるために婚姻を申し出ただけだから、婚姻はするけれど、それ以外を強制することはないと言う意味よ」
書類上の夫婦にはなるが、それだけだ。
「伯爵位と言っても、功績により与えられただけの爵位だもの、跡継ぎはいなくて良いの。元々、結婚するつもりもなかったくらいよ。だから、夫になったからと言って、あなたが背負わなくてはいけないものは、なにもないの」
だからこそ、気楽に差し出したのだ。
「愛人を囲っても大丈夫よ。あなたの資産で賄える範囲なら好きにして」
「私に失礼とか言える立場でしょうか、お嬢様」
「人助けなんてそんなものでしょう」
わたしと従者の応酬に、騎士殿は困り顔だ。
「俺は」
それでも、愚昧なる騎士殿は言葉を紡ぐ。
「その、ロクシアナ様の申し出に飛び付いた身で、言えたことではないですが」
「構わないわよ。言いたいことは好きに言って」
受け入れるかは別だけれど。
「ありがとうございます。あの、俺は、親の顔も知らない孤児で、孤児院で育って、だから」
巨躯を縮こまらせ、おどおどと、騎士殿は語る。
「普通の、家族に、憧れていて」
おやおや。
「良いわよ」
「救われた身でこんなことを言うのは、え?」
「良いわよ。あなたがわたくしで良いのなら」
横に座る騎士殿の顔を覗き込む。
「わたくしは求めないと言うだけで、あなたは好きに求めて良いのよ。それくらい、覚悟の上で手を差し伸べたのだもの」
求婚を受け入れると言うことは、それに伴うすべてを受け入れると言うことだ。曲がりなりにも貴族の娘として、そのくらいは理解している。
「わたくしの身は、騎士殿に捧げたの。騎士殿が望むなら、この身は好きに使って構わないし、子供を授かったなら愛して育てるわ。もちろん」
にっこりと、微笑みを見せる。
「騎士殿がわたくしの愛を求めるなら、差し上げる用意もあってよ」
騎士殿の顔が、燃えるように赤くなった。
愚昧なる騎士殿は、戦場に立っていた割に汚れていないようで。
「ロクシアナ様は、こんな、戦しか出来ない男で、よろしい、んですか?」
「よろしくなかったら、そもそも求婚を受けないわよ」
ぽろ、と騎士殿の目から涙が落ちた。
「俺、あの、俺」
「なにかしら?」
「ずっと、あなたに、憧れて」
あらあら?
「そう、なの?」
「はい゛」
ぐずりと鼻をすすりながら、騎士殿が頷く。
「俺のいた孤児院は、ロクシアナ様に救われたんです。俺のいた孤児院だけじゃない。この国中の孤児院が、あなたの援助で救われてる」
「それは、貴族として、当然のことをしただけよ」
「孤児院を支援して、寡婦の就労先として斡旋するなんて、ほかに誰がやったんですか?あなたのお陰で親なしの俺たちは、母親代わりの女性に大切にして貰えたんです」
身の振り方を自由に決めるために、功績を求めていた。それだけの話だ。
「理由なんて、なんだって良いんです。俺は、ロクシアナ様に救われたから、だから、ロクシアナ様に恩を返したくて、あなたを守るために、兵士になったんです」
騎士殿が、父の治める領地の孤児院出身であることは知っていた。孤児院出だが良い兵士がいると聞いて、騎士団への推薦状を書いたのはわたしだ。
「そんな俺を、ロクシアナ様は騎士に推薦してくれて、わざわざ会いに来て、推薦した兵士全員に、ひとりひとり声を掛けてくれました。平民も孤児も、分け隔てなく、期待している、頑張ってと、手を握り、腕を叩いてくれたことに、俺たちがどれだけ感動したか」
それだって、推薦した兵士が騎士として出世すれば推薦者の功績にもなるからだ。
「あなたの期待に応えたくて、俺たちはどんな辛い状況でも前を向き続けられたんです。同じような境遇の兵士が脱落して行くなかでも、ロクシアナ様が推薦した兵士は、誰ひとり脱落しませんでした」
その話は、父から聞いている。領地出身の兵士の質が良いと、好評を受けていると言う話で。
まさかそれが、自分の激励のお陰だとは、思ってもいなかったけれど。
むしろ、良い兵士がいると評価した人間が正しかったのだと、彼らの元上官を褒めたくらいだ。父にもそのことは伝え、元上官はずいぶん出世した。
「俺が騎士になれたのも、その後に功績を上げられたのも、すべてロクシアナ様の、お陰なんです。なのに俺が馬鹿なせいで、はめられて、名誉を失いかけて」
いや、あの女が騎士殿をはめたのは、今後英雄として出世するであろう騎士殿の、妻の座を得るためだろうけれど。
「そんな愚かな俺を、ロクシアナ様は、また救ってくれた。あなたに求婚して良いと言われて、俺が、どれだけ嬉しかったか」
てっきり、藁に縋っただけと思っていたのだが。
「ロクシアナ様、あなたを愛しています。俺と、結婚して下さい」
騎士殿が、今度はしっかりとわたしを見て、告げる。
さっきは簡単に受け入れた言葉だが、騎士殿の気持ちを聞かされたあとでは、重みが違う。
自分の顔に、血が昇るのを感じた。
「結婚、してくれませんか?」
もう、答えたではないか。さっき。
内心でぼやいたのは、騎士殿に対してか、自分自身にか。
口を開き、声が震えないよう気を引き締める。
「ええ、喜んで、この身をあなたに捧げますわ、グリフィス様」
頬を染めて答えたわたしを、騎士殿は微笑んで抱き締めた。
拙いお話をお読み頂きありがとうございました




