第二十一話:街のため、人のため
祭りから五日が経った。
バッハパックとレイクロークの予約台帳は、すでに二十人を超えていた。
旅人の一口の補充分も、アンばあさんとマレクが動き始めている。応急キットは昨日また五つ出た。
生産が追いつかない。
帳面を閉じた。土地の話をアンばあさんに持ちかけようと思っていた矢先だった。
ギルドの扉が開いた。
「あ、レモさんだ」
トールの声がした。
「珍しいな」
とゴルドが言った。
「ギルドに何しに来たんだ」
と別の冒険者が言った。
少し猫背で、やたらと愛想のいい男が入ってきた。レイモンドだった。普段着で、一人だった。
「いやあ、ちょっとね、ちょっとね」
レイモンドがペコペコしながら手を振った。冒険者に声をかけられるたびに丁寧に返している。
カウンターに近づいてきた。
「ケンジさんはいますかねえ」
「います」
「あらまあよかった。少しお時間いただけますか」
「どうぞ」
◇
空いている部屋に案内した。
レイモンドが椅子に座った。背筋が少し伸びた。ほんの少しだけ、さっきと空気が変わった。
「単刀直入に申しますね」
「どうぞ」
「アンピークのことです」
レイモンドが懐から折りたたんだ紙を取り出した。広げると、数字が並んでいた。
「祭りの売上、今後の販売予測、ベルの加入者数。それと周辺の街への波及効果の試算です」
数字を見た。
この人、ちゃんと調べてきている。
一番上に旅人の一口とあった。
消耗品は強い。
改めてそう思った。
「雇用が生まれています」
とレイモンドが言った。
「バッハさん、エルミさん、マレクさん、ルードさん。それぞれの工房や店が潤えば、そこで働く人間も増える。街全体の信用と健全性が上がります」
「そうですね」
「収益も出ています。組合として機能すれば、この街の経済の柱になり得ます」
レイモンドが紙を折りたたんだ。
「ただ」
「リスクの話ですか」
「おわかりですか」
「模倣品と供給遅れと、王都絡みの商会の話だと思います」
レイモンドが少し目を細めた。
「さすがですねえ」
ペコペコが戻ってきた。でも目は笑っていなかった。
「模倣品は技術が広まれば必ず出ます。供給が追いつかない間は特に。それと」
レイモンドが少し間を置いた。
「王都は遠いですが、噂は早いんですよ」
さらっと言って、次の言葉に移った。
この人、怖い。
悪い意味じゃない。でも怖い。
「王都の商会がこの動きに気づけば、妬みや嫌がらせのリスクが生まれます。特に既存の利権を持っている連中は面白くないでしょう」
「わかっています」
「ここは勝負所だと思いまして」
レイモンドがそこだけ、ペコペコじゃない顔で言った。
「条件が多くて警戒させてしまうかもしれませんが」
レイモンドが続けた。
「私はケンジさんの味方ですよ。街の味方でもありますし」
「わかっています」
「本当ですか」
「はい」
レイモンドが少し笑った。
「土地、人材、資金。出せるものは出します。何が必要ですか」
少し考えた。
「順番があります」
「どういう順番ですか」
「今すぐ必要なのは土地です。工房を広げる場所がないと生産が増やせない。バッハさんもエルミさんも、今の場所では限界が来ています」
「では土地から」
「人材はアンさんたちに心当たりがあるか確認してからです。知らない人間を入れると軋轢が生まれる。急ぎません」
「なるほど」
「資金は最後です。仕組みが固まる前に資金だけ増えても使いどころがない」
レイモンドがしばらく黙った。
紙を見ていた。それから顔を上げた。
「……ケンジさん、あなた本当に面白い人ですねえ」
ペコペコが戻ってきた。
「ガドさんが珍しく饒舌になるわけだ」
何も言えなかった。
「それと」
レイモンドが続けた。
「旅人の一口、試算では一番上に来ています」
「消耗品は強いですね」
「ええ。ただ」
レイモンドが少し間を置いた。
「夏は、どうしますか」
少し止まった。
今は冬に向けての需要で売れている。暖を取りながら食べられる、腹持ちがいい、携帯しやすい。夏になれば条件が変わる。
「……考えていませんでした」
「そうでしょうね」
レイモンドがにこっと笑った。
「急ぎませんが、マレクさんと話しておく価値はあると思いますよ」
「……マレクさんに聞いてみます」
「それがよろしいかと。もう一つだけ、よろしいですか」
声のトーンが少し変わった。
「どうぞ」
「ケンジさん、あなた自身のことも少し考えておいた方がいいですよ」
「どういう意味ですか」
「街が大きくなれば、作った人間にも目が向きます。素性の話です」
少し間があった。
「……書類が必要ですか」
「いずれは。今すぐではないですが」
レイモンドがそこだけ、真顔で言った。
「私にできることは土地と書類だけですから」
懐からさっきとは違う紙を取り出し、立ち上がった。
「即答は難しいでしょうから、皆さんと相談してください」
受け取った。
それだけ言って、扉を開けた。
◇
ギルドの中を歩いていくレイモンドに、冒険者が声をかけた。
「レモさん、また来てよ」
「はあ、もう、そうでございますよねえ」
ペコペコしながら手を振って、出ていった。
扉が閉まった。
手の中の紙を広げた。
土地の候補が三箇所、地図付きで整理されていた。場所、広さ、現在の用途、取得にかかる時間の目安。全部書いてある。
昨日今日で用意した資料じゃない。
いつから準備していたのか、聞きそびれた。
いや、聞いても教えてくれなかっただろう。
マーサが横に来た。
「どうだった、ケンジさん」
「……怖い人です」
マーサが少し首を傾げた。
「怖いのかい? 何か怒られたのかい?」
「怒られてはいないです」
「じゃあ怖くないじゃないか」
マーサが不思議そうな顔のまま、自分の持ち場に戻っていった。
◇
夜、アンばあさんの食堂だった。
夕食が終わりかけた頃、紙を取り出した。
「アンさん、少しいいですか」
「なんだい」
「今日、レモさんが来まして」
アンばあさんが少し目を丸くした。
「レモさんが? ギルドに?」
「はい」
紙を渡した。
アンばあさんが受け取って、広げた。しばらく黙って見ていた。
「……あらまあ」
それだけだった。
「明日、皆さんに見せてください」
「そうするよ」
アンばあさんがもう一度、紙を見た。
「レモさん、こんなに調べてたんだねえ」
「そうみたいです」
「いい人だよ、あの人は」
「そうですね」
怖い人でもありますが。
心の中だけでそう思った。




