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バタフライエフェクトギルド〜異世界のギルド、書類が山積みだったので全部やっておきました〜  作者: くろかっぱ
一章

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19/29

第十八話:座学だけ、受けられませんか

その日の朝、見慣れない顔がギルドの前に立っていた。

十六歳くらいだろうか。細い体に、くたびれた上着を着ている。髪は短く、目だけが妙に落ち着いていた。

しばらくギルドの扉を見ていた。それから、入ってきた。

カウンターにベックがいた。


「何のご用でしょうか」


「座学、受けたい、です」


ベックが少し止まった。


「座学は冒険者登録が前提となっております」


「道具も装備も買えない。冒険者になるには金がない」


「規則上、対象外となります」


「わかった」


少年が振り返った。


「待ってください」


通りかかったところだった。カウンター越しに少年を見た。

その時、書庫の方で何かが滑る音がした。紙が一枚、棚から落ちたような音だ。ほとんど聞こえないような音だった。

でも少年の体が、そちらへ向いた。一瞬だけ。誰も気づいていないような音に。


「何を学びたいんですか」


「字が読めないから、読めるようになりたくて」


「誰から聞きましたか」


「荷運びで知り合った冒険者から。登録したら読み書き教えてもらえるって」


ベックがこちらを見た。「規則では——」


「少し待ってください」


少年を改めて見た。細い。でも立ち方がしっかりしている。さっきの音への反応も気になった。意識してやっているとは思えない。体に染み付いた習慣だ。

「今日、何の仕事をしてきましたか」


「荷運び。北の倉庫から市場まで、四往復」


「道順は」


「裏通りだったら十分ぐらい早い、大きな通りは混むから」


「荷物の量は」


「木箱三つまでなら走れる。四つ目からは崩れるから歩く」


ベックが口を開きかけて、閉じた。


「名前は」


「ジン」


「ジン、少し手伝ってもらえますか」



書庫に案内した。棚が三つある。依頼書の控えが年別に積んである。


「これを種類別に分けてもらえますか。護衛、討伐、調査、輸送の四種類です」


「字が読めないけど、やってみる」


「表紙に絵が入っています。試してみてください」


ジンが棚の前に立った。一枚取り出して、確認した。また一枚。確認して、床に置く。また一枚。

速かった。五分もしないうちに、四つの山ができていた。

確認した。全部正しかった。


「どうやって分けましたか」


「護衛は人と矢印、討伐は剣、調査は目、輸送は荷車」


「それだけで分けましたか」


「あと紙の重さも違う。討伐は厚い紙が多い、依頼が多いから在庫が厚くなるんだと思って」


ベックが扉の外から覗いていた。


「次をお願いします」



次は棚の整理を頼んだ。順番がバラバラになっている台帳を、日付順に並べ直す作業だ。

ジンが台帳を手に取った。ぺらぺらとめくった。それから棚に並べ始めた。


「日付が読めますか」


「数字は読める、字は読めないけど数字は」


「どこで覚えましたか」


「荷運びで使うから。銅貨がいくつ、木箱が何個、みたいな」


並べ終わった台帳を確認した。完璧だった。一冊も間違っていなかった。

ベックが静かに入ってきた。台帳を一冊取り出して確認した。それからもう一冊。何も言わなかった。


「他には?」


「少し待ってください」



執務室をノックした。


「なんだ」


入った。


「採用したい者がいます。字が書けないですが、空間把握と記憶力が突出しています。荷物の整理も速い。音にも敏感です」


「冒険者か」


「違います。座学だけ受けに来た十六歳です」


ガドが少し止まった。


「座学だけ」


「字が読めるようになりたいと。装備が揃えられないので冒険者にはなれないと言っていました」


「……試用期間を設けるか」


「そのつもりです。ベックさんも今、確認しています」


ガドが少し間を置いた。


「わかった。一ヶ月だ」


「ありがとうございます。もう一つ話があります」


「なんだ」


「アンピークの祭りをやりたいんです。商品のお披露目を兼ねて、街の人向けに屋台を出す形で。人手はギルドの冒険者に依頼として出します」


ガドが少し考えた。

「……祭りか」


「はい」


「やれ。町長には俺から言っておく」


執務室を出た。廊下でベックと鉢合わせた。


「試用期間、一ヶ月で問題ありません」


「そうですね」


「ただし」ベックが腕を組んだ。「私が字を教えます。それが条件です」


少し意外だった。


「わかりました。よろしくお願いします」


ベックが無言で戻っていった。



カウンターに戻ると、ジンがまだ待っていた。

「採用します。一ヶ月の試用期間です」


ジンが少し止まった。

「……俺でいいのか?」


「その為の試用期間です」


「字が書けなくても」


「字はベックさんが教えます。読むのは早いと思います」


ジンがしばらく黙った。


「給料は?」


「出ます」


「飯は」


「アンばあさんの食堂があります」


ジンがまた黙った。少し長い沈黙だった。


「……おばあちゃんに、美味いもの食わせたい」


「そうですか」


「そのために、もっと稼がなきゃと思って」


「ここで頑張れば稼げます」


ジンが少し顔を上げた。

「……試用期間」


「明日から来てください。その前に、一つ付き合ってもらえますか」


「何を」


「採用祝いです。仕事で使う服を買いに行きます」


ジンが少し固まった。

「……なんで」


「その服で毎日来られると、アンばあさんが心配します」


ジンが自分の上着を見下ろした。

「……払う」


「採用祝いですから、いいです」


ジンがまだ迷っている顔をしていた。少し間があってから、小さく頷いた。

布屋のエルミのところへ連れていった。

エルミがジンを見て、すぐに採寸を始めた。ジンが少し身を固くした。


「動かなくていいですよ」とエルミが言った。


「……わかった」


動かないようにしているジンが、少し可笑しかった。

エルミが棚から何枚か生地を出した。丈夫で動きやすいもの、長持ちするもの。


「これでいかがですか」


ジンが服を受け取って、しばらく見ていた。

「……新しい服、初めてかもしれない」


エルミが少し手を止めた。

ケンジも何も言わなかった。


ジンが「ありがとう、です」と言った。語尾がぎこちなかった。でも本人なりに精一杯の言葉だとわかった。



翌朝、ジンが来た。

開店前の時間だった。ギルドの鍵を開けると、扉の前に立っていた。新しい服を着ていた。


「早いですね」


「いつもこの時間から仕事してた」


中に入った。ジンがギルドを見回した。


「広い」


「そうですか」


「天井が高い。荷物を縦に積めばもっと収納できる」


朝一番から改善案を出してきた。

ミーデルがちょうど出勤してきた。ジンを見た。ジンがミーデルを見た。


「ミーデルさん、ジンです。今日から試用期間で来ます」


「ミーデルです。よろしく」


「……よろしく、です」


ミーデルがジンを少し観察した。ジンもミーデルを少し観察した。二人とも、観察が得意なタイプだ。

しばらくして、ミーデルが口を開いた。

「字、読めますか」


「読めない」


「教えましょうか」


ジンが少し驚いた顔をした。


「ベックが教えるって聞いたけど」


「二人から教わった方が早いです」


ジンがしばらく考えた。

「……頼む」


ミーデルが小さく頷いた。

ゲッツが出勤してきて、二人を見た。それからケンジを見た。


「また増えたのか」


「一人増えました」


「賑やかになるな」


ゲッツがジンに目を向けた。

「仕事わからないことがあったら聞け。教えてやる」


「……わかった」


「返事はちゃんとしろ」


「わかった」

「もう少し大きい声で」


「わかった!」


「……まあいい」


「ゲッツさん、言葉遣いもお願いします」


ゲッツが振り返った。

「……俺がか」


「はい」


ゲッツが少し間を置いた。

「……ったく、わざとだろ」


「はい」


多少ぶつぶつ言いながらゲッツが自分の持ち場に行った。ジンがその背中を見ていた。

カウンターに座った。窓から朝の光が入ってきた。

ギルドが、少しずつ動き始めている。

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