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偽りの聖女を同じ過ちを二度犯す

作者: たっくん
掲載日:2026/05/12

 聖女エミリアが王都から姿を消して、一年が経った。


「……静かになりましたね」


 私は紅茶を置きながら、小さく呟いた。


 向かい側に座るアルベルト王子――いや、もう王太子となった彼は、苦笑する。


「その言い方だと、エミリアが嵐みたいだな」


「違うのですか?」


「否定はできない」


 王太子は肩を竦めた。


 一年前。


 聖女エミリアの“愛される加護”は暴走した。


 誰もが彼女を疑えず。


 誰もが彼女を庇い。


 結果として、国中が彼女中心に歪んでいた。


 それを止めたのが、悪役令嬢と呼ばれた私――クラリス・レインフォード。


 ……というのが、今では歴史書に書かれている。


 もっとも。


「未だに私は“性格の悪い公爵令嬢”らしいですが」


「実際、口は悪い」


「殴りますよ」


 王太子が笑う。


 昔なら考えられない光景だった。


 一年前の彼は、“聖女の涙”だけで私を断罪していたのだから。


「ですが」


 私は窓の外を見る。


「本当に静かです」


 王都は平和だった。


 エミリアが消えてから、人々は少しずつ“自分で考える”ようになった。


 聖女の言葉だから。


 皆がそう言うから。


 空気がそうだから。


 そんな理由だけで、誰かを悪役にする人間は減った。


 少なくとも以前よりは。


「……クラリス」


 王太子が静かに言う。


「本当に、彼女を探さなくていいのか?」


 私は答えなかった。


 エミリアは、姿を消した。


 誰にも告げず。


 誰にも会わず。


 ただ一通だけ、手紙を残して。


『私、ちゃんと一人になってみます』


 そこには、それだけ書かれていた。


 王都の外で。


 加護に頼らず。


 誰にも愛されず。


 普通の人間として生きる。


 ……その決意は、本物だったのだろう。


 だから私は、探さなかった。


「彼女は」


 私は静かに言う。


「初めて、自分で人生を選んだのです」


 その時だった。


 コンコン、と扉が叩かれた。


「失礼します!」


 騎士が慌てた様子で入ってくる。


「王太子殿下! 至急ご報告が!」


 王太子が眉をひそめる。


「どうした」


「南部地方で、“奇跡”が起きています!」


 私は嫌な予感がした。


「奇跡?」


「病が癒え、飢饉が収まり、人々が皆笑顔になっていると……!」


 王太子の顔色が変わる。


 騎士は続けた。


「しかも、その中心には――」


 その瞬間。


 私は、思わず立ち上がっていた。


「……誰がいるのですか」


 騎士が息を呑む。


「白い髪の、聖女様が」


 沈黙。


 空気が止まった。


 王太子が私を見る。


 私はゆっくり目を閉じた。


 ……まさか。


 すると騎士が、震える声で続ける。


「人々は皆、その聖女様を崇拝しています」

「彼女のためなら命も捧げられると」

「彼女を疑う者は、誰もいないと……」


 私は小さく息を吐いた。


 窓の外では、青空が広がっている。


 平和な昼だった。


 だからこそ。


 その報告は、ひどく不気味に聞こえた。


「クラリス……」


 王太子が掠れた声を出す。


 私は静かに答える。


「ええ」


 そして。


 紅茶を机へ置いた。


「どうやら、“二度目”ですね」


 南部地方、リシェル村。


 そこは、異様なほど“平和”だった。


「聖女様のおかげです!」

「エミリア様が来てから病人が減って!」

「皆、笑顔になったんですよ!」


 村人達は、目を輝かせながらそう語る。


 ……一年前と同じだ。


 私は馬車の窓から村を見渡した。


 畑では人々が笑い合い。


 子供達は歌いながら走り回っている。


 美しい光景。


 だからこそ、不自然だった。


「クラリス」


 隣のアルベルト王太子が小声で言う。


「本当に、また加護が暴走しているのか?」


「ええ」


 私は短く答える。


「もう始まっています」


 村へ入った瞬間から分かった。


 空気が甘い。


 人々の感情が、妙に“同じ方向”へ揃っている。


 これは自然な好意ではない。


 加護によって増幅された、“熱”だ。


「ですが……」


 王太子が周囲を見る。


「皆、幸せそうだ」


 私は目を細める。


「だから厄介なのです」


 人を苦しめるだけなら、悪だと断じられる。


 けれどエミリアの加護は違う。


 人を笑顔にする。


 救う。


 幸福を与える。


 だから誰も、疑えない。


「クラリス様」


 突然、声がした。


 振り向く。


 白いワンピース。


 長い白髪。


 そして、柔らかい笑顔。


 エミリアだった。


「……お久しぶりです」


 彼女は少し困ったように笑う。


「来ると思っていました」


 村人達がざわめく。


「聖女様のお知り合い?」

「なんて綺麗な人……」


 その視線に、私は小さく息を吐く。


 もう始まっている。


 皆、彼女を好きになり始めている。


「エミリア」


 アルベルトが前へ出る。


「お前、自分で何をしているか分かっているのか」


 エミリアの笑顔が、少しだけ揺れた。


「……分かっています」


「なら何故!」


「だって」


 彼女は俯く。


「一人は、苦しかったんです」


 静かな声だった。


 でも。


 その一言に、私は何も返せなかった。


「最初は頑張っていました」


 エミリアがぽつりぽつりと話し始める。


「加護に頼らないって決めて」

「ちゃんと嫌われても受け入れようって思って」


 白い髪が揺れる。


「でも、駄目でした」


 彼女は笑った。


 泣きそうな顔で。


「誰も私を見てくれないんです」


 村人達がざわつく。


 だがエミリアは止まらない。


「皆、“普通”なんです」

「私が居ても居なくても変わらない」

「笑いかけても、少し笑い返すだけ」

「誰も、私を特別に見てくれない」


 彼女の瞳が揺れる。


「怖かった」


 その瞬間。


 私は胸が痛くなった。


 理解できてしまったから。


 エミリアは、ずっと“愛されること”で生きてきた。


 呼吸みたいに。


 当たり前に。


 だから失った瞬間、自分が空っぽになった。


「だから」


 エミリアが、両手を胸元で握る。


「少しだけ、使ったんです」


 その声に。


 村人達の顔が、一瞬で曇った。


「少しだけ皆に好かれれば」

「少しだけ笑ってもらえれば」

「少しだけ、一人じゃなくなればって」


 彼女は震えていた。


「でも、気づいたら……」


 周囲を見る。


 村人達は、うっとりと彼女を見ている。


 子供達は、彼女の周囲へ集まる。


 老人は涙を流し。


 男達は、彼女のために畑仕事を始める。


 まるで。


 世界がエミリア中心に回っているみたいだった。


「……また、同じことをしたのですね」


 私が静かに言うと。


 エミリアは、小さく頷いた。


「はい」


 否定しなかった。


 言い訳もしなかった。


「クラリス様」


 彼女が私を見る。


「私、駄目なんです」


 その目は、ひどく弱々しかった。


「誰にも必要とされないと、怖くて仕方ないんです」


 沈黙。


 風が吹く。


 畑の草が揺れる。


「だから、また加護を使った?」


「……はい」


「皆を支配してでも?」


 エミリアが唇を噛む。


「支配したかったわけじゃないんです……!」


 その瞬間。


 周囲の村人達が、一斉にこちらを睨んだ。


「聖女様を責めるな!」

「聖女様は悪くない!」

「お前がまた傷つけるのか!」


 怒号。


 敵意。


 私は静かに目を閉じる。


 やはり。


 人は簡単に流される。


 幸福を与えてくれる存在へ。


 安心させてくれる存在へ。


「……クラリス」


 アルベルトが剣へ手をかける。


 だが私は、それを止めた。


「駄目です」


「しかし!」


「今ここで否定すれば、彼らはもっとエミリアへ依存します」


 私は村人達を見る。


 彼らは悪人ではない。


 ただ。


 “楽な方”へ流されているだけだ。


 その時だった。


「……やめてください」


 小さな声。


 エミリアだった。


 彼女は、泣いていた。


「クラリス様を、そんなふうに言わないで」


 村人達が戸惑う。


 エミリアは震えながら続ける。


「この人だけなんです」


 涙が落ちる。


「この人だけが、私を止めようとしてくれる」


 その瞬間。


 村人達の熱狂が、わずかに揺らいだ。


 私はエミリアを見る。


 彼女も、ちゃんと分かっているのだ。


 自分がまた、同じ過ちを犯していることを。


 それでも。


 止められなかったことを。


 夜だった。


 リシェル村の教会。


 小さな灯りだけが、静かに揺れている。


 私は長椅子へ腰掛け、窓の外を見ていた。


 隣には、エミリア。


 彼女は俯いたまま、小さく震えている。


「……皆、優しいんです」


 ぽつり、とエミリアが呟く。


「私が笑うと喜んでくれる」

「私が困ると助けてくれる」

「必要としてくれる」


 彼女は自分の手を見つめた。


「だから、怖くなるんです」


 私は黙って聞く。


「もし、加護が無かったら」

「皆、離れていくんじゃないかって」


 エミリアの声は掠れていた。


「私には、“エミリア”として愛される価値なんて無い気がして」


 教会に静寂が落ちる。


 私は小さく息を吐いた。


「……本当に面倒な人ですね」


 エミリアが、びくりと肩を震わせる。


 私は続けた。


「貴女は、“愛されること”を特別視しすぎです」


「……え?」


「人は、簡単に嫌います」

「簡単に離れます」

「簡単に裏切ります」


 私は彼女を見る。


「ですが同時に、簡単に戻ってくるものでもあります」


 エミリアが目を瞬かせる。


「貴女は極端なのです」

「“皆に愛される”か、“誰にも愛されない”かしか見えていない」


 私は立ち上がる。


「ですが現実は、もっと曖昧です」


 教会の扉を開く。


 夜風が吹き込む。


 その瞬間。


「聖女様!!」


 村人達が立ち上がった。


 教会の外には、大勢の村人が集まっていた。


 老人。


 子供。


 女達。


 男達。


 皆、不安そうな顔でエミリアを見ている。


「……っ」


 エミリアの瞳が揺れる。


 一歩間違えれば、また加護へ依存する。


 私は彼女を見ずに言った。


「選びなさい」


「……え?」


「また加護で愛されますか?」


 村人達がざわめく。


「それとも」


 私は静かに続けた。


「嫌われるかもしれない“エミリア”として立ちますか?」


 沈黙。


 長い沈黙だった。


 エミリアの肩が震える。


 怖いのだろう。


 当然だ。


 今まで呼吸のように使っていたものを、手放すのだから。


 やがて。


 彼女は、小さく息を吸った。


 そして。


「……皆さん」


 震える声で、前へ出た。


「私、ずっと嘘を吐いていました」


 村人達がざわつく。


「私は、皆に愛されたかった」

「一人が怖かった」

「だから、加護に頼りました」


 涙が零れる。


「皆さんの気持ちを、歪めました」


 誰も喋らない。


 エミリアは、泣きながら続ける。


「だからもし、私を嫌いになるなら」

「許せないなら」

「離れていくなら」


 彼女は唇を噛んだ。


「それでも、仕方ないと思っています」


 静寂。


 加護は使われていない。


 だから今この瞬間の感情は、“本物”だった。


 すると。


「……馬鹿だなぁ」


 老人が笑った。


 エミリアが目を見開く。


「最初からそう言えば良かったのに」


 次に、女が笑う。


「完璧な聖女様より、そっちの方が安心するわ」


「でも勝手に心いじるのは駄目だぞー!」


 子供が笑った。


 少しずつ。


 空気が緩んでいく。


 崇拝ではない。


 熱狂でもない。


 ただ、人と人として向き合う空気。


「……あ」


 エミリアの瞳から、涙が溢れる。


「どうして……」


「どうしてって」


 村の青年が苦笑する。


「そりゃ怒ってる人も居るよ」

「怖かったし」

「気持ち悪いと思った人も居る」


 エミリアの顔が青ざめる。


 だが。


「でも、全部終わりってわけでもないだろ」


 その言葉に。


 エミリアは、声を失った。


 私は静かに目を閉じる。


 そう。


 本来、人の関係とはこういうものだ。


 好きか嫌いか。


 白か黒か。


 そんな単純なものではない。


「クラリス様……」


 エミリアが泣きながらこちらを見る。


「私……怖いです」

「また、同じことをするかもしれない」


「するでしょうね」


 即答だった。


 村人達が苦笑する。


 エミリアも目を丸くした。


「ひ、酷い……」


「事実です」


 私は腕を組む。


「人は簡単に変わりません」

「弱さも、依存も、そう簡単には消えない」


 エミリアが俯く。


 私は少しだけ口元を緩めた。


「ですから」


「……?」


「その度に、誰かに止めてもらいなさい」


 エミリアがゆっくり顔を上げる。


「一人で完璧になろうとするから壊れるのです」


 夜風が吹く。


 虫の音が響く。


 エミリアは涙を拭いながら、少しだけ笑った。


「……はい」


 その笑顔は。


 今までで一番、不格好で。


 そして、今までで一番“人間らしい”笑顔だった。


 後に歴史は記す。


 “偽りの聖女”と呼ばれた少女を。


 そして。


 誰より嫌われながら、最後まで彼女を見捨てなかった悪役令嬢を。


 だが。


 その記録の最後には、こう残されている。


『人は、同じ過ちを繰り返す。

 だからこそ、誰かと生きるのだ』

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