アンソニー・フォン・レーヴェ
目を開くと、見知らぬ天井が広がっていた。一人で眠るには大きすぎるベッドだ。アンソニーが起きあがろうと上半身を起こすと、側に人がいることに気づいた。
「起こしてしまいましたか。おはようございます。アンソニー様。」
ぼやけた視界で声の主を探すと、見覚えのある顔があった。
「グレーテ……?」
「はい。まだ、寝ぼけていらっしゃいますか。」
「俺、なんでここに……。ていうかここどこ?」
「大変な日が続きましたから無理ありません。本日までのこと、覚えていらっしゃいますか?」
「え、……えっと、俺とジョバンニとクリストフが屋敷に集められて、養子になるための試験を……」
「左様でございます。記憶は問題なさそうですね。」
未だぼんやりした頭で記憶を辿ると、だんだんと思い出してきた。
「そうだ!試験!試験はどうなったの?結果は…?俺、家に帰るんだよね?」
真っ向から養子になることを拒否したのだ。選ばれるはずはない。慌てるアンソニーを見て、グレーテは初めて小さく笑った。
「アンソニー・フォン・レーヴェ様。本日は貴方様の、披露式典でございます。」
彼女は何を言っているのだろうか。誰の披露だって?
「アンソニー・フォン・レーヴェ!!!?」
今まで出したことのないような大声でアンソニーは叫んだ。
広間に向かうまでの間にアンソニーの緊張は極限まで高まっていた。信じられないことが起こった。頭の中はそれで埋め尽くされている。
(俺にこんな大役務まらない。グレーテは聞く耳を持ってくれないし、公爵に直接伝えるしかないか…。)
ジョバンニとクリストフはどうなったんだろうか。二人のことをグレーテにそれとなく問いかけてみたが、欲しい答えは返ってこなかった。式典の始まる時間は刻一刻と迫っている。グレーテは、アンソニーが見たことのない上質な布で見繕われた服をテキパキと着せていく。
「アンソニー様、私は本日限りのメイドでございます。明日からはレーヴェ家の者がお世話いたします。」
「そりゃあ、グレーテ様は伯爵家のご出身でしょ?こんなことしないでください。俺、自分でできますから!」
アンソニーはグレーテの手を振り払おうと身を捩ったが、それも失礼にあたるのかと考え直し、結局何もできないまま口だけでそう言った。靴下を留めていたグレーテの手が止まる。
(やっぱまずかったかな…?)
静かに冷たい汗をかく。しかし、グレーテに起こった様子はなかった。
「貴方様は公爵子息です。この国で三家しかない、由緒正しき名門貴族のお方でございます。私は貴方のお世話係になれて光栄ですよ。」
「そ、そうですか…。」
グレーテの言葉の圧に何も言い返せず、アンソニーはされるがまま靴を履かせられ、髪を整えられた。
「さあできました。まずはご両親にご挨拶を。」
「はい…。」
二人は部屋を出て大広間の方に向う。アンソニーは黙ってグレーテの後ろを付いていく。入り口が見えるところまで行くと、人の賑わいを感じた。
「こちらです。」
少し先に人の列が見える。示された扉の前に立ち、深呼吸をした。
「中にお入りください。」
「わ、わかってるよ!……失礼致します。」
扉を三度叩き、ドアノブを握った。緊張した面持ちで部屋に入ると正面にある机を挟むように置かれた大きなソファに、公爵と夫人は座っていた。
「お、お初にお目に掛かります閣下…アンソニーです。この度は養子に選んでいただいたこと、光栄に思います…しかし…」
アンソニーは深く頭を下げた。そして次の言葉を紡ぐ前に、公爵が口を開いた。
「顔をあげなさい、アンソニー。そんなに緊張しなくていいんだよ。よく家に来てくれた。ありがとう。」
公爵は優しく笑う。お礼を言われるなんて思ってもみなかった。
「よろしくね。アンソニー。」
夫人はそう言うと、アンソニーを抱きしめた。
「…よろしくお願いします……えっと…夫人。」
養子として迎え入れられる空気が出来上がっている。とても辞退するなんて言い出せない。アンソニーは密かに困った顔をした。
「貴方さえ良ければ母上と…いいえ、私、貴方のお母さんになれるように、頑張るわ。」
その言葉を聞いてハッとした。夫人は過去を受け入れ前に進もうとしている。ここで養子になることを拒否すれば、夫人や公爵を傷つけることになるのではないか。父上や村のためにも、アンソニーは公爵家嫡男を務めるしかないのだ。もう、後には戻れない。アンソニーは弱気な気持ちを振り払った。
「もうすぐ始まる時間だ。お前たちは先に行っていなさい。」
公爵に促され、夫人と共に部屋を出た。グレーテも一緒かと思ったが、彼女は薄暗い部屋に残りアンソニーたちを見送っている。
「あの、グレーテ様は…?」
癖で敬称をつけてしまった。
「私はまだお仕事がございますからお構いなく。行ってらっしゃいませ。」
「そう……。」
アンソニーの言葉を最後に部屋の扉は閉じた。
大広間の扉のアンソニーと公爵夫人が並んで立っている。
「緊張しているわね。」
「今朝知ったんです…。こんな大きなパーティーも初めてですし。」
「そうなの?それじゃあ、目一杯楽しまないと!今日は一族みんなが集まるお祝いの場なんだから。」
「え?それなら、父……フックス男爵も来ていますか?」
「もちろんよ。きっとたくさん貴方を褒めてくれるわ。」
「それにルクス伯爵家と、ベア伯爵家も?」
「……?そうね、ルクスは私の実家ですし、ベア家も……来ていると思うわ。なあに?お友達?」
「え?……まあ、そうですね。友達……」
違和感があった。まるで夫人はあの二人にあったことのないような反応だ。アンソニーはてっきり、3人とも同じように夫人と対面していると思っていた。
話しているうちに扉が開き、アンソニーに拍手の嵐が降りかかる。おめでとうと祝福する声に包まれ、たくさんの人に囲まれる。はじめに探したのは父親の姿だった。
「父上!」
抱擁し、男爵は涙を溜めてアンソニーを見つめた。
「息子よ!私は本当に誇らしい。立派に公爵のお勤めを果たすんだぞ!」
「ありがとうございます!もちろんです。精進します。」
辺りを見回した。どこかに見覚えのある姿がないかと必死に探す。すると、聞き覚えのある声に名前を呼ばれた。
「アンソニー卿!」
見ると、灰色がかった金髪を短く切り揃えた少年だった。
「ジョバンニ!良かった!あの後会えなかったから、心配だったんだ。」
アンソニーはホッとして笑みをこぼした。しかしジョバンニは怪訝そうな表情を浮かべている。
「私の名前を既にご存知とは、光栄です!まあ同じ学舎にいるんですから不思議なことではありませんが。」
「ジョバンニ?」
なんだか様子がおかしい。
「しかしあの後とは、いったい何のことでしょうか。私たち、お話しするのは初めてのはずでは?」
「え?」
ぞわりと肌が粟だった。
そんなはずはない。あの日、アンソニーたち3人は屋敷に集められた。今朝、グレーテは確かに「記憶に問題はなさそうだ」と言ったのだ。
「紹介します。こちらも同じ歳の、クリストフです。」
そう言われてやってきたのは、黄みの強い金髪を後ろで結んだ少年だった。
「アンソニー卿、この度はおめでとうございます。これで一族も安泰ですね。」
クリストフはそう言って、握手を求めてきた。粗暴だったのが嘘のように、丁寧な言葉遣いに態度だった。
「貴殿の優秀さは拝見させていただいています。剣術も魔法も、試験ではいつも首位にいらっしゃるんですから……」
「待って、いや、君の方が剣の腕は良いだろう。俺なんかより全然…」
アンソニーは動揺を隠せなかった。どうなっているんだ。気味が悪い。まるで二人とも別人だ。クリストフは簡単に人を褒めるようなやつではない。
「ご謙遜を!僕は力だけは強くて、あとはからっきしなので…あはは。」
笑えない。二人とも覚えていないのだろうか。あれは夢ではないはずだ。じゃなきゃここに、アンソニー・フォン・レーヴェは存在しない。困惑するアンソニーの前で、二人は談笑している。
「ちょっと、ごめん。」
二人を置いて、アンソニーは大広間を飛び出した。何が起こっているのか知っているのはおそらく彼女だろう。屋敷の廊下を全速力で走った。
「良い働きであった。グレーテ嬢。」
「恐れ入ります。」
バルコニーにつながる大きな窓から光が差し込み、薄暗い部屋を照らしている。
公爵は無表情に語りかけ、一人部屋に残ったグレーテは頭を下げた。
「子どもたちはどうなっている?」
「はい。記憶は消去いたしました。またそちらに伴い、ルクス伯爵、ベア伯爵、両ご夫人と屋敷の使用人の記憶も、この件に関するもの全て消去しております。」
「素晴らしい。妻の様子はどうだ?」
「はい。奥様はアンソニー様に関わる記憶以外のものを消去させていただきました。」
「そうか…問題はなさそうだな。無事に終わってよかった。」
公爵はグレーテに背を向けたまま、窓の外を眺めている。
「……貴殿も式典に参加すればいいものを。」
「私がいると、アンソニー様は楽しめないでしょう。」
「そうか?」
「はい、そう…思います。…では失礼致します。」
「ティーガー伯によろしく伝えてくれ。」
「承知いたしました。」
グレーテはもう一度頭を下げると、部屋を後にした。騒がしい方に背を向けて、長い廊下を進む。記憶を消す魔法は法に触れる行為だ。このような仕事はティーガー家の者にしか許されない。表向きは王の側近、裏では影の一家として国家の闇を背負っている。12年前から続く件の出来事は、決して公にはできない理由がある。そのために、秘密裏に公爵家嫡男を選定したのだ。
表情ひとつ崩さず歩くグレーテの後ろに、駆ける足音が聞こえた。
「グレーテ!!!!」
叫ぶような声に呼び止められて、グレーテがゆっくりと振り返る。アンソニーは肩で息をしている。
「いかがされましたか?」
「はぁ、はぁ、知ってるんでしょ?何が起こっているのか。」
2人は距離をとって向かい合う。グレーテは黙ったままだ。
「何か言ってよ!!2人とも何も覚えてないんだ!夫人だって、様子がおかしかった!試験のことなんて何も知らないみたいな……」
「その通り。養子候補は貴方様お一人でした。」
アンソニーは耳を疑った。意味がわからない。あの日あの屋敷に、3人の少年は自分だけが選ばれたと騙され集められ、命の危機に晒された。それがなかったことなんていいはずがない。
「……は?……何、言ってるんだ?…貴女は、俺たちを見ていたでしょう…?」
「皆さんは貴方が最も優秀で、公爵家嫡男として相応しいために養子に選ばれたのだと思っています。本当のことは誰も知らない。……知らなくて良いのです。」
「なん、で?」
「賢い貴方ならお分かりでしょう。」
あの日、アンソニーは自分だけが養子に選ばれたと思って別邸に向かった。それはクリストフやジョバンニも同じだ。そして同様に、その両親もそうと疑わず息子を養子に出している。それがもし、養子候補が他に2人もいたと知ったら。挙句養子に選ばれなかったら。貴族は表に出さないが、常に権力を得る機会を窺っている。公爵位を得られるまたとないチャンスを失って、反発が起こるのは想像に容易い。それを防ぐために、この選別に関わった人間の記憶を消したというのか。その魔法が禁忌に触れるということは誰だって知っている。
「……なぜ、俺の記憶だけ、消さない?」
禁忌を犯すほどの事件に巻き込まれた。アンソニーはそれを今、理解した。零れた疑問に深い意味はなかった。
「自覚を持っていただくためです。最下級貴族が最上級貴族になるなど、後にも先にも起こり得ない。どのようにしてご自分が公爵家嫡男という立場になられたのか、忘られては困ります。」
グレーテはそう言って歩き出した。廊下には一人の足音だけが響いている。アンソニーは呆然と立ち尽くし、遠くなるグレーテの後ろ姿を見つめている。そしてはたと我に返り、もつれる脚で後を追ったが、追いつくはずもなかった。
「待って、グレーテ!!」
声は届くことなく、グレーテの姿は見えなくなった。
「ここにいたのアンソニー。皆様、貴方の言葉を待っているのよ。」
一人廊下に立ち尽くすアンソニーの後ろから、夫人の優しい声がした。手を引かれ大広間に戻ると、中に入った瞬間に注目を集めた。人々はアンソニーだけを見て、何か言うのを待っている。
「さあ、アンソニー、皆様にご挨拶を。」
夫人に背中を押され、一歩前に出る。震える唇から出た言葉は自分のものではないようで、何が何だかわからなくなった。
「皆様…本日は、ありがとうございます。この、アンソニー……皆様のご期待に応えられるよう…精進して、参ります。」
その目は暗く濁っている。
大広間は、拍手喝采で、皆が口を揃えてこう言った。
「おめでとう!アンソニー・フォン・レーヴェ卿!!」




