第四話:システム統合:最強の工房と定時の空
一万本の魔剣を納品した翌朝、僕を待っていたのは「英雄」としての喝采ではなく、山のような「追加発注」と、権力者たちの「強欲」だった。
「リュート殿! これより貴殿を王立錬金術師に任命する。直ちに軍事拠点へ移動し、二十四時間体制で魔剣を量産せよ!」
工房の前に並んだのは、王国騎士団の精鋭百人。
先頭に立つ髭面の将軍は、有無を言わさぬ圧力を放ちながら、一枚の羊皮紙を突きつけてきた。
そこに記されていたのは「徴用令」。要するに、国の命令で僕を強制労働に叩き込むという死刑宣告だった。
「……二十四時間、ですか」
僕は思わず天を仰いだ。
前世で、あの薄暗いサーバー室で見た悪夢がフラッシュバックする。
僕が効率化を求めたのは、楽をするためだ。
より多くの仕事をこなすためじゃない。
「断ります。僕はもう、残業はしないと決めたんです」
「なにっ!? これは国王陛下の命令だぞ! 反逆罪で捕らえられたいのか!」
将軍が剣の柄に手をかける。
ミーアが背後で「リュート、もう逃げられないわ……」と震えながら僕のシャツを掴んだ。
彼女の指先の震えが、僕の背中に伝わってくる。その細い指に、僕はそっと自分の手を重ねた。
「逃げる必要はありませんよ。……『自動化』すればいいだけですから」
僕はその場で【マクロ】をフル稼働させた。
今回のターゲットは、物理的な「モノ」ではない。
王国という名の「組織構造」そのものだ。
【マクロ:行政文書自動処理プロセスの展開】
【対象:王宮官僚組織、および法務部門】
【アルゴリズム:官僚主義的無限ループの生成】
僕が指をパチンと鳴らした瞬間、将軍が持っていた「徴用令」が青い光に包まれ、分裂を始めた。
一枚が二枚、二枚が四枚……。
一秒後、将軍の足元には、高さ数メートルに及ぶ「異議申し立て書類」と「手続き確認書」の山が築かれていた。
「な、なんだこれは!? この量は!」
「それは僕の代理として自動生成された『法的なデバッグ報告書』です。その一万枚に及ぶ書類の全ての項目に適切に回答し、三十二の関連部署のハンコを貰わない限り、僕を徴用することはできません。ちなみに、一つでも記載ミスがあれば、最初からやり直しになる『ロールバック機能』付きです」
「き、貴様ぁぁ! そんなもの、人力で処理できるわけが……っ!」
「でしょうね。僕なら一秒で終わりますが、あなたたちなら三百年はかかる計算です。定時までにお引き取りください。……あ、不法侵入への『ファイアウォール』もセットしておきました」
将軍たちが無理やり踏み込もうとした瞬間、工房の周囲に目に見えない魔力の壁が展開された。
触れた瞬間に、まるで静電気のように「不快な事務処理の記憶」が脳内に直接流れ込む精神防壁。
屈強な騎士たちが、次々と「もうハンコは嫌だぁ!」と叫びながら逃げ出していった。
権力という名のバグを排除した直後、今度は見覚えのある「不具合」がやってきた。
「リュート! 頼む、リュートぉぉ!」
ボロボロの服を着て、煤まみれになったガンツ親方が、防壁の外で土下座をしていた。
背後では、僕のいたブラック工房が「技術負債」の爆発によって、今や巨大な廃墟と化しているのが見える。
「助けてくれ! あの大釜、お前がいなくなってから一回もまともに動かねえんだ! それどころか、触るたびに魔力が逆流して、俺の……俺の大事なヒゲが全部燃えちまった!」
ガンツが顔を上げると、自慢の髭は一本もなく、ツルツルのアゴが情けなく震えていた。
僕は冷ややかに彼を見下ろした。
「親方。言ったはずですよ。僕のコードを消すな、と」
「消してねえ! 消してねえんだが、勝手に書き換わっていくんだ! 『四〇三・フォービドゥン』とかいう文字が出てきて、何も受け付けてくれねえ!」
「ああ、それはアクセス権限の問題ですね」
僕は指先で空間に文字を書いた。
【権限設定:管理者以外の全アクセスを永久遮断】
「親方には『閲覧権限』すら付与していません。あなたが今まで僕に強いてきた無駄な残業代、その未払い分が完済されるまで、そのシステムは『凍結』したままです。……お疲れ様でした」
「待て! 行くな! このままじゃ俺は破産……ぐわあああっ!」
彼が無理やり防壁を突破しようとした瞬間、権限拒絶の魔力が弾け、ガンツは街のゴミ捨て場まで一直線に吹き飛んでいった。
ようやく、静寂が訪れた。
工房のテラス。
時刻は午後五時。
空は燃えるような茜色に染まり、風が心地よく僕の頬を撫でる。
「……終わったのね、本当に」
ミーアが、エプロンを脱ぎ捨てて僕の隣に立った。
夕日に照らされた彼女の肌は、黄金色に輝いている。
一万本の納品を終え、強欲な権力者も老害も追い払った彼女の表情は、これまでにないほど晴れやかだった。
「ええ。完全な自動化の達成です。これからは、僕たちが何もしなくても、この工房のマクロが勝手に商品を生産し、納品し、代金を回収してくれます」
「信じられない……。あんなに苦労していたのが、嘘みたい」
ミーアが僕の腕に、そっと自分の胸を押し当ててきた。
作業着の下で解放された彼女の柔らかな体温が、僕の腕を通じて全身に溶け込んでくる。
少しだけ汗の残香が混じった、甘く、濃厚な少女の匂い。
「リュート、一つだけ教えて」
彼女が僕の顔を覗き込んできた。
潤んだ瞳には、夕焼けの赤と、僕の姿が映っている。
「どうして、そんなに急いで全部終わらせちゃったの? そんなに働きたくなかった?」
「……いや。働きたくないのは本当ですけど、一番の理由は違います」
僕は彼女の腰をそっと抱き寄せた。
驚いたように、けれど拒むことなく、彼女の体が僕に預けられる。
「どうしてそんなに急ぐのかって? ……早く帰って、君とこの夕日が見たかったからですよ」
「……っ」
ミーアの顔が、夕焼けよりも赤く染まる。
彼女は僕の胸に顔を埋め、くぐもった声で「バカ……、エンジニアのくせに、甘すぎるわよ……」と呟いた。
僕は空いている手で、空中にある「仮想ボタン」をタップした。
【マクロ:本日の業務終了】
視界の端で流れていた膨大なログが、スッと消える。
それは、前世で一度も味わえなかった、完璧な仕事の終わりだった。
自動調理マクロが用意した、冷えたエールが二つのグラスに注がれる。
一口飲むと、麦の香りと共に、最適化された快楽が脳を突き抜けた。
「ねえ、リュート。明日は何をする?」
ミーアが上目遣いで僕を誘う。
彼女の手が、僕のシャツのボタンに、悪戯っぽくかかった。
「明日は……一日中、ベッドの中で『システムの保守点検』でもしましょうか。もちろん、二人きりで」
「それ、最高に非効率な作業になりそうね」
彼女の熱い唇が、僕の首筋に触れる。
世界を救う必要なんてない。
伝説になる必要もない。
僕はただ、この「定時」という名の楽園を守るために、これからもマクロを書き続けるだろう。
さて、明日のマクロもセットしたし……。
「……お疲れ様、僕」
僕は愛しい人の肩を抱き、ゆっくりと工房の奥へ、暗くなった部屋へと歩みを進めた。
窓の外には、静かな星空が広がっていた。
そこにはもう、仕様変更も、デバッグも、デスマーチもない。
あるのは、愛おしい静寂と、明日のための深い眠りだけだった。
(完)




