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第二話:技術負債の爆発と「退職」の快感



「……嘘だろ。なんだ、この滑らかさは。喉を通る瞬間に、魔力の粒子が愛撫するように全身へ溶けていく……ッ!」


 絶叫に近い声を上げたのは、工房の看板娘であり、親方の娘でもあるサーシャだった。

 彼女は僕が「マクロ」で一瞬にして作り上げたポーションを一口飲んだ途端、その場に膝をつき、上気した顔で自分の胸元をかき抱いた。


「おい、サーシャ! そんなだらしねえ声を出すんじゃねえ! たかが出来損ないの雑用係が作った安物だぞ!」


 ガンツ親方が顔を真っ赤にして怒鳴るが、サーシャの瞳は潤み、焦点が定まっていない。

 無理もない。僕がマクロで組んだ「抽出工程」は、薬草の有効成分を分子レベルで最適化し、魔力の波長を人間の神経系に最も心地よい周波数へとリファクタリングしてある。

 飲むというよりは、魔力の抱擁を受けるに近い。それは肉体的な快楽を伴うほどの、完璧な調律の結果だった。


「ち、違うの、お父様……。これまでのポーションが泥水に思えるくらい、純粋で、熱くて……ああ、体の中が、洗われていくみたい……!」


 サーシャの吐息が熱を帯びる。薄い麻のシャツが、彼女の急激な体温上昇による汗で肌に張り付き、柔らかな曲線を露わにしていた。

 その光景は、健全な工房の作業風景としてはあまりに扇情的すぎた。


「ふ、不潔だぞ、リュート! 貴様、ポーションに何か変な薬でも混ぜたな!?」


 ガンツ親方が僕を指差し、唾を飛ばす。

 エンジニアとして最も心外な「仕様外の混入」という疑い。僕は冷静に首を振った。


「失礼な。それは純度を百パーセントに高め、吸収効率を極限まで最適化しただけです。親方のレシピは、いわば『スパゲッティ・コード』なんですよ。無駄な手順が多くて、魔力が衝突し合っている。それを僕が整理デバッグしてやったんです」


「スパ……なんだと? 訳の分からねえ言葉で煙に巻く気か! 錬金術はな、苦労して、時間をかけて、汗を流して作るから価値があるんだ! 一瞬で作るなんてのは、聖なる錬金術への冒涜だ!」


 出た。これだ。

 前世でもよく聞いた「苦労することに意味がある」という精神論。

 自動化を提案すれば「機械に頼ると腕が鈍る」と却下され、効率化を達成すれば「暇になった分、別の仕事をしろ」と工数を積み増される。

 この男は、本質的な価値よりも「従業員が苦しんでいる姿」を評価しているのだ。


「いいか、リュート。お前のような楽をすることしか考えない怠け者は、この工房にはいらん! 今すぐ出ていけ! その『マクロ』とかいうふざけたスキルごと、野垂れ死ぬがいい!」


 ガンツ親方が高らかに「クビ」を宣告した。

 本来なら絶望する場面だろう。だが、僕の心に湧き上がったのは、噴水のような解放感だった。


「……わかりました。辞めさせていただきます」


「はっ、ようやく身の程をわきまえたか。おい、置いていけ! お前が今日作ったポーションも、その釜も、全部うちの資産だ!」


「ええ、もちろん。ただ――僕が書いた『ソースコード』は、僕の著作物ですから。全部引き払わせてもらいますね」


 僕は不敵に微笑み、右手をそっと大釜に添えた。

 意識を加速させ、工房全体に張り巡らされた「僕の魔力」をサーチする。


 この半日の間に、僕は親方の許可なく、工房内のあらゆる設備を「マクロ」で強化していた。

 魔力を効率よく伝えるためのバイパス、自動で温度を調整するバックグラウンド・プロセス、素材の劣化を防ぐエラーハンドリング。

 それらは、バラバラだった古い機械たちを繋ぎ、一つの洗練された「システム」として機能させていた。


「【マクロ:全プロセスの強制終了キル】。および――【ローカル環境の完全消去クリーン】」


 指先から、黒いノイズのような魔力が走る。

 それは僕が構築した「秩序」を、一瞬にして剥ぎ取っていく作業だった。


 ゾクリ、と工房全体が震えた。

 まるで、今まで極上のマッサージを受けていた肉体が、突然冷水を浴びせられたような、暴力的な拒絶反応。


 ピシッ、と大釜にヒビが入る。

 ゴーッという音を立てて、魔法の灯火が不気味に揺らぎ、嫌な臭いの煙が立ち込めた。


「な、なんだ!? 何をした!」


「何もしなくなりました。……それだけですよ」


 僕が施した「最適化」という魔法の衣を剥ぎ取られた設備たちは、元々のボロボロで非効率な姿へと戻っていく。

 いや、それ以上だ。無理やり高負荷で回されていた古い部品たちは、僕の制御を失った瞬間に、溜め込んでいた「技術負債」を一気に爆発させた。


 ドガァァァンッ!


 奥の攪拌機が火花を散らして停止し、そこからドロリとした、腐った卵のような臭いの液体が溢れ出す。


「ひぃっ! ポーションが、俺の最高級ポーションがぁ!」


 ガンツ親方が慌てて駆け寄るが、もう遅い。

 一度崩壊したシステムを、彼の「根性と手作業」で修復することなど不可能なのだ。


「リュート……待って、行かないで……!」


 サーシャが震える声で僕の服の裾を掴む。

 その瞳には、先ほどの快楽の名残と、今の惨状への恐怖が混ざり合っていた。

 彼女の指先が、僕の腕に触れる。熱い。だが、今の僕にはその熱に応える義務はなかった。


「サーシャさん。悪いけど、僕はもう『退職』した身ですから。……あ、親方。一つアドバイスです」


 僕は扉に手をかけ、振り返らずに言った。


「その設備の裏側に、僕が書いた『魔力循環図』が残ってますけど……絶対に消さない方がいいですよ。もし一箇所でも消したら、工房全体の魔力回路がスパゲッティみたいに絡まって、二度と起動しなくなりますから。まあ、僕以外の人間には解読不能(難読化)してありますけどね」


「貴様ぁぁ! 戻れ! 戻って直せぇぇ!」


 背後でガンツ親方の絶叫が響くが、それは心地よいBGMにしか聞こえない。

 一歩、工房の外へ踏み出すと、そこには眩いばかりの青空が広がっていた。


 時刻はまだ、昼過ぎ。

 前世では考えられなかった「超・早期退社」だ。


「さて……」


 僕は大きく伸びをした。

 腹の底から、力がみなぎってくる。

 

 自由だ。

 もう、誰にも僕のコードを、僕の生き方を制限させない。

 

 【マクロ】のスキルが、僕の脳内で静かに囁いている。

 次はどんな世界を「自動化」してやるか、と。

 

 僕は軽い足取りで、賑やかな大通りへと歩き出した。

 まずは冷えたエールでも飲んで、それから――この世界の「非効率」を、根こそぎ書き換えてやることにしよう。

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