第一話:過労死エンジニア、魔法を「自動化」する
「――仕様変更です」
その一言は、深夜二時のサーバー室に、死神の鎌よりも鋭く響いた。
三日三晩、エナジードリンクと安物のチョコだけで繋いできた僕の意識は、その瞬間にプツリと切れた。
画面に躍る、デバッグが終わらない真っ赤なログ。
脳内を駆け巡る「定時って何だっけ?」という哲学的な問い。
カフェインで無理やり叩き起こしていた心臓が、ついにセグメンテーションフォールトを起こして停止した。
ああ、最後に本物の白いご飯が食べたかったな。
そんな未練を、どろりとした闇が飲み込んでいった――。
*
次に目覚めた時、僕を包んでいたのは無機質なサーバーの排熱ではなく、むせ返るような「生命」の匂いだった。
鼻腔をくすぐるのは、湿った土と、焦げたハーブ、そして何か得体の知れない甘い香り。
重い瞼を押し上げると、そこには信じられない光景が広がっていた。
「おい、いつまで寝ぼけてやがる、この給料泥棒が!」
鼓膜を震わせる怒号。
視界に飛び込んできたのは、赤銅色の肌をした、樽のように太った巨漢だ。
顔中を覆う真っ白な髭は、ビールと汗でべたつき、その隙間から覗く眼光は鋭い。
混乱する僕の脳に、濁流のように「知識」が流れ込んでくる。
どうやら僕は転生したらしい。
ここは剣と魔法の異世界。
僕の今の名前はリュート。
そして目の前で唾を飛ばしているのは、街で一番偏屈だと評判の錬金術師、ガンツ親方だ。
「すみません、親方。少し……頭が重くて」
「当たり前だ! 昨日は半日もポーションの撹拌作業をさせてやったんだからな!」
……半日?
たった十二時間の労働で「させてやった」だと?
前世の僕なら、十二時間経過した時点はようやく「午前の部」が終わったくらいの感覚だ。
だが、この世界の錬金術は過酷らしい。
魔法陣に魔力を通し続け、一定の速度で液体を混ぜ、温度を完璧に保つ。
その「職人技」が、この世界の錬金術師の全てなのだ。
「いいかリュート。お前は才能がない。昨日、鑑定ギルドで授かったスキルは何だった?」
「ええと……たしか……」
僕は頭の中に浮かぶ「コマンド」を意識した。
すると、視界の端に半透明のウィンドウが現れる。
【固有スキル:マクロ】
「『マクロ』、です」
「はっ! やっぱりか! そんな聞いたこともねえスキル、使い道がねえって鑑定士も匙を投げてたぜ。お前はせいぜい、一生俺の横で鍋をかき混ぜる雑用係として、底辺の暮らしを謳歌するんだな!」
ガンツは下品な笑い声を上げながら、作業台の上に大量の薬草を叩きつけた。
「いいか、今日中にこの『下級ポーション』を十本作れ。一本でも失敗したら、今日の飯は抜きだ!」
親方が工房を出ていく。
静かになった室内で、僕は一人、煮えたぎる大釜の前に立った。
さて。
エンジニアとして、まずやるべきは「仕様の確認」と「環境の構築」だ。
僕は釜の中を覗き込んだ。
ポーションの作成工程は、驚くほどアナログだった。
1.薬草をすり潰す。
2.一定の温度(体温よりやや高い程度)の魔力水に入れる。
3.魔力陣を起動し、魔力を一定の周波数で流し込みながら、右に三回、左に一回混ぜる。
4.これを三十分繰り返す。
「……いや、非効率すぎないか?」
これでは一本生産するのに一時間近くかかる。
しかも、少しでも魔力の供給にムラがあれば、ポーションは即座に黒ずみ、悪臭を放つ廃棄物へと変わる。
人間の集中力に依存しすぎた、劣悪なシステム設計だ。
「もしこれが、プログラムだとしたら――」
僕は【マクロ】のスキルを起動した。
すると、視界が劇的に変化する。
世界がコードに見える。
釜の中の温度、空気の振動、自分から流れ出す魔力の波形。
それらが全て、数値化されて「ログ」として流れていく。
【マクロ・エディタ:起動】
脳内に、使い慣れた開発環境のようなインターフェースが広がった。
僕は震える指先で、虚空にコードを書き込んでいく。
『
Repeat: 10
{
Input: Magical_Herb (Crushed)
Target: Cauldron_01
SetTemp: 38.5C
ManaFlow: Pulse (Frequency: 120hz, Consistency: 100%)
Action: Rotate(R, 3), Rotate(L, 1)
Duration: 1800s -> Skip(Optimize: Alchemy_Engine)
}
』
三十分の工程を「最適化」し、物理的な時間をショートカットする。
魔力供給のムラを排除し、完全な定数として固定する。
書き終えた瞬間、背筋にゾクりとした快感が走った。
それは、複雑なコードをたった一行に集約した時の、あの全能感。
泥臭い手作業を、美しい自動処理へと昇華させた瞬間の、脳を焼くような愉悦。
「実行」
瞬間。
ごうっ、と大釜が青白く発光した。
本来なら三十分かけてじっくり抽出されるはずの薬草の成分が、魔力の圧力によって強制的に引き出され、一瞬で魔力水と結合していく。
熱い。
釜から溢れ出す魔力の熱気が、僕の肌を撫でる。
それはただの熱ではない。
完成された「秩序」が放つ、官能的なまでの熱量だ。
ドクン、ドクンと、僕の心臓が魔力の循環と同期する。
前世の、あの死にそうな動悸とは違う。
全身の細胞が「正解」を叩き出していると歓喜しているような、激しい疼き。
「あ、はは……っ、すごいな、これ」
釜の中の液体が、透き通るようなエメラルドグリーンに染まっていく。
通常のポーションが濁った緑色なのと比べれば、その差は一目瞭然。
不純物が一切ない、純度百パーセントの「極上品」だ。
そして。
ポポポポポポポポポポンッ!!
と、小気味よい音を立てて、空の小瓶に次々と液体が吸い込まれていく。
一秒。
わずか一秒で、十本のポーションが、棚の上に整然と並んだ。
あまりの快感に、僕はその場にへたり込んだ。
指先が微かに震えている。
「なんだ、今の……。魔力を流した瞬間の、あの感覚」
まるで、世界の理そのものを、自分の手で愛撫したかのような、濃厚な手応え。
これだ。
これこそが、僕が求めていたエンジニアリングの究極だ。
その時、工房の扉が乱暴に開かれた。
「おい、リュート! まだ一本もできてねえんだろうな……って、は?」
戻ってきたガンツ親方が、作業台を見て硬直した。
そこには、朝日に照らされて宝石のように輝くポーションが十本。
まだ湯気を上げている大釜。
そして、何故か顔を上気させ、恍惚とした表情で座り込んでいる僕。
「お、おい……これ、どういうことだ? ポーションの作成には、最低でも一本一時間は……」
「親方、終わりましたよ」
僕は額の汗を拭い、会心の笑みを浮かべた。
「仕様書通り、十本です。……あ、でも一本あたりの処理速度を詰めすぎたかもしれません。次はもっと並列化して、百本単位で回せますけど、どうします?」
「へいれつ……? まるち……?」
ガンツが口をパクパクと金魚のように動かす。
その滑稽な姿を見ながら、僕は確信した。
この世界に、定時退社の概念をインストールしてやる。
そのためなら、僕は、この最強の「ハズレスキル」で、世界そのものを書き換えても構わない。
何しろ、僕の辞書に「不可能」という文字はない。
あるのは、「未実装」と「不具合」だけなのだから。




