あいつの隣にいるために
『久しぶりだね』
『はい…』
図書館の件から一週間。クリストファーが離宮へやってきた。たまに顔を出すとは言っていたけれど、本当に来るとは思っていなくて、行儀が悪いけれど持っていたお菓子を皿の上に落としてしまったくらい、びっくりした。偉い人なんだから忙しいはずなのに、こんな小娘の様子を見に来るなんて。律儀な人である。
『ここでの暮らしはどうだい?不便なこととかあるかい?』
『いえ、ほんとに良くてもらって、ます。お菓子も美味しいし』
『そう、ならよかった』
クリストファーがカップを手に取る。何をしても様になるな、この人。
『最近は図書室に通っていると聞いているけれど…』
クリストファーが人好きにするような笑顔を向けながら言った。どうやらここでの生活は全て報告済みらしい。だったらこんなところに来なくてもいいだろうに。
『はい。他にすることもない、ので』
普段から全く使わないからだろうか、どうしても敬語を話そうとすると詰まってしまう。昨日読んだ本には、他国には敬語がない言語があると書いてあった。なぜこの国の言葉にはあるのか。ややこしいし難しいではないか。
『そう……あぁそうだ、私には敬語じゃなくていいよ』
そんな私の心を読んだのか、はたまた顔に出ていたのか、クリストファーはそんな提案をしてきた。正直とても魅力的である。でも、仮にも宰相にタメ口を聞いてしまってもいいのだろうか。
『慣れないだろうしね』
そう言って、また優雅にカップに口をつけるクリストファーを思わず凝視する。
(まぁ、本人がいいっていうならいっか)
『じゃあ、遠慮なく』
『よし』
『ルークは無事なの?』
とりあえず一番大事なのはこれである。わざわざここに監禁されてるのも、そもそも結婚が先延ばしになったのも(まだ諦めてはいない)これがないと意味がない。なんせここは一切の
情報も入らないのだから、この人に聞くしかない。村より情報が新鮮だからと王都に来たのに、名前すら日常で聞かなくなるなんて本末転倒だ。
『……っは、ははは』
そう思っての質問だったのに、なぜかクリストファーが愉快そうに笑い始めた。いつもの貼り付けたみたいな胡散臭いものではなくて、多分心から可笑しいと思ってるやつだ。
『いやぁ、敬語を外すって、普通もっと躊躇うものじゃないのかい?』
『いいって言ったじゃん』
『そう、そうだね』
そう言いながらも笑いは止まらない。今までルークに悪い影響があるのかもしれないと思って、常に猫被っていたけれど、本来私は図太いのである。食べていいと言われたら好きなだけお菓子は食べるし、ここが王城だろうとだらける。もちろん敬語も外す。だから本当に、図書館での一件は例外なのだ。私が泣くなんて滅多にない。
『性格も変わったんじゃないかい?なんだかルーク殿と似ている』
『これでも幼馴染なんで。それで?ルークは無事なの?』
私はこの一週間、本を読みまくって、護衛の騎士の言葉を聞いて気づいたのだ。私の現在の立ち位置は救国の魔術師に対する人質。生きている方が利用価値がある以上、王宮側は私を害せない。傷一つでもついていたらきっとルークは怒り狂う。だったら、私は何をしてもいいのでは?、と。つまり、ルークがバックについている今、私は最強なのである。まさに虎の威を借る狐だが、使えるものはなんだって使っていいだろう。
『はは…ふぅ。無事だよ。あと一箇所で終わるそうだ』
『ならよかった…ん?一箇所?』
『そう。一箇所』
とりあえず無事らしいことに自分の胸を撫で下ろすが、一つだけ引っかかることがあった。思わず聞き返すと、クリストファーは更に笑みを深めた。
『…私、図書館の本で特に救国の魔術師について調べたの』
『そうかい』
『それでね。意外と色々な人がいて、その歴史を調べるのも面白かったんだけど』
『うん』
『今までで一番早い収束って、救国の魔術師が見つかって五年とかじゃなかった…?』
『そうだよ』
恐る恐る投げかけた疑問を、クリストファーはあっさりと肯定した。それに私は思わず、呆然としてしまう。長い人は十年ぐらいかかってるのに、一年…?私の幼馴染、ハイスペックすぎやしないだろうか。
『流石ルーク…何回か疑っていたけれど、あいつ人間じゃないんじゃないの?』
『こちらも驚いているよ。まさか一年で終わらせるとは……だから君を攫ったんだけれども』
『あそっか…私が必要なのはここからか』
私の役割は、ルークをいかに王都に縛り付けるかである。あいつなら厄災が終わったら、十中八九村に帰ろうとするだろう。なんなら挨拶もしないかもしれない。
『ルーク、キレるだろうなぁ』
『怒るだけで済むならいいけれど…想像するだけで恐ろしいね』
『まぁ、そこはがんばって。悪いことしたんだから』
『嫌だな…』
本気で嫌そうなクリストファーの姿を見て、少しばかり溜飲が下がったのは内緒である。
☆☆☆
『死ぬかと思った…』
『何したの。ルーク』
あれから2ヶ月ほど経ったある日の昼下がり、もう現れるのは3度目になるクリストファーが、そう言った。珍しく口調が乱れている。
『先日、厄災が終わりました』
『おめでとう』
『当事者なのに他人事だね』
『実感ないもの』
私は綺麗なチョコ細工を摘む。クリストファーの手土産だ。なんともまぁ精巧な作りをしている。今手に持っている蝶なんて、今にも飛んできそうだ。
『ここにいたらそうか…それでね、ルーク殿は最後の一箇所を攻略したその足で、君たちの村に帰ったらしくて』
『報告より前に?』
『あぁ。いやまぁやるとは思っていけれど。君は本当に彼に愛されているね。さすがは恋人だ』
『恋人ではないかなぁ』
『え?』
クリストファーが心底驚いたようにこちらを見つめ直す。その姿からは、初対面の時よりも随分とお貴族様感がなくなっている。この話をしたらみんなこうだ。私とルークの関係性の名前は、正確には恋人ではない。結婚の約束はしているのだから、婚約者ではあるはずだけど、想いを伝えあったことはない。そのくらい言葉にしなくてもわかるのだから。
『君は、ルーク殿のこと…』
『好きだよ』
『じゃあなんで…』
『だって村で暮らすなら、恋人である必要はないもん』
『そういうものかい?』
『そういうものだよ』
政略結婚が当たり前のお貴族様には、理解のし難い関係らしい。まぁ別に理解を求めているわけじゃない。正直、一緒にいられるなら結婚しなくてもいい。
『なかなか難しいね……とりあえず話を戻そうか』
『なんだっけ、あぁ村に帰ったのか』
『あぁ。でもそこに君はいない。村の人たちも君の行方はわからない。そこで頭の回転の早いルーク殿は即座に犯人に辿り着いたらしくてね。私の執務室になんの予告もなく転移してきたんだ』
あの時が多分人生で一番驚いた瞬間かな、と笑うクリストファーが取り乱している姿なんて想像できないが、きっと人が突然目の前に現れるなんて、生きているうちに体験することなんてないんだろう。
『その時点で魔力が漏れ出てて、危なかったんだけれど…美人の激怒って迫力がすごいよね』
『あんたが言っても嫌味にしか聞こえないよ』
ルークの顔の綺麗さは言わずもがなではあるが、目の前に座るこの人もとんでもない美形である。あいつとの系統は違うが、知的なイケメンと言ったところか。そんな人が言うのだから、嫌味以外の何者でもない。
『はは、とりあえず元凶である陛下の元に連れて行ったんだ』
『否定しないのかい』
『自分の見た目の良し悪しくらいわかってるよ……そこでまぁルーク殿が暴れてね』
『…』
ルークが全力で怒っているところなんて見たことがないはずなのに、なぜか想像ができてしまって、閉口する。うちの幼馴染がすみません、なんて言ってやる通りはない。
『正直命の危機を感じたけれど、最終的には王都に残ることになった。やっぱり君を人質に取ったのは正解だったらしい』
『嬉しくないなぁ』
『すまないね…』
そう苦笑しながらクリストファーは綺麗な所作で紅茶に口をつけた。それがあまりにも優雅だったから、神父様に少し教えてもらっただけのあやふやな自分の所作が気になった。
『…最近私勉強してるのよ』
『ほう』
唐突に話題変換をした私に、クリストファーは微笑みを浮かべたまま話の続きを促した。これから話すのはただの夢物語だ。叶う可能性なんてほとんどない。
『もし、もし、ここから出られてルークと結婚できるとするじゃない』
『…はい』
『その時にね、優雅さのかけらもない、なんの長所もないただの村娘を妻にしたら、お貴族さまからの批判ってすごいんじゃないかなぁ…ってマナーもこんなんだし』
そう言ってクッキーを摘んで見せる。正しいかどうかなんて私の知識にはない。他人からの視線なんてどうでもいいとルークは言うだろうし、私もそこまで気にしないと思う。でも、その時のルークの立場は余計に危なくなるのではないか、と言う可能性に気づいたのだ。
『まぁ、そうだね』
『それでね、考えたの。その時、胸を張ってルークの隣にいるにはどうしたらいいか、って』
『あぁ』
クリストファーはただ相槌を打って私の話を聞いている。この話が不毛であることを一番知っているのは、この人だ。それでも、私は話を続ける。誰かに聞いてもらいたかったのだ。こんな夢物語でも。
『ここにいる間はいくらでも時間はある。何をしてもいい。だったら勉強しようって。救国の魔術師の奥さんであれる私を作ろうって』
『…』
『勉強は一人でどうにかなる』
ここの図書館の本は種類が本当に豊富だ。初心者にもわかる簡単なものから、専門的なものまで、分野ごとに色々な本が配置されている。
『だからね、私にマナーを教えて欲しいの』
ルークが愛してくれる私のままで隣に立てないのなら、努力をしよう。もう一人の私をつくる。それが無駄になるとしても、現状の暇つぶしとしてはいいだろう。
『…いいよ。協力しよう。もとはといえば私たちのせいだしね』
今までにないくらい真剣に見つめると、クリストファーは苦笑しながら了承してくれた。やはりこの人は優しい。こんな無謀な作戦に付き合ってくれると言うのだから。
『やるからには、完璧になってもらうよ』
『もちろん!』
こうして、クリストファーによるマナー講習は大体月に一度、私が離宮から抜け出す三年後まで続くのだった。




