30000円
「なんでまたこんな短編を」「要するに埋め合わせです」
「30000円ならもらってあげるけど」
そう口にした彼の目は、実年齢と全く不釣り合いだった。
まるで目だけが十倍の速さで年を取ったかのようであり、安いビー玉か昭和時代のCGよりも噓くさい目の輝き方をしていた。
「でも」
「じゃああのおじさんに言って、ボクはおじさんに一生ついて行くって」
そこまで言うと、少年は車に乗り込まさせられた。
誰もが、ため息を吐かざるを得なかった。
ここで野次馬根性を発揮するほどの度胸の持ち主などおらず、重苦しい空気だけが流れた。
「どうすればいいんでしょうか…」
「今は時を待つよりありません…」
警察官でさえも、他に何の言いようもなかった。
誰か理想の答えをくれと皆が嘆く中、パトカーに乗り込んだ少年だけがついさっきまでと違う心から安堵したような顔をしていた。
「ったく、最高にやな奇跡だよな!」
最高にやな奇跡。
この事件を一言で表せばそれで事足りそうなフレーズだった。
「遊ぶ金欲しさとか言う全くふざけた言葉のために奪った命を…とか言おう物なら俺は怨嗟を買う事になる訳だからな」
「言わなかったんですか、悲しくないのって」
「言ったよ、全然って言われただけだ」
全然と言う二文字は、この場において最悪の単語だった。あの百歳の目付きでつぶやかれた一言が、たった一人だけに刺さらなかったと言う現実は実に重たかった。
「同級生たちは何と」
「とくに何も。
なんでもいつも隅っこでボーっとしてて、授業の時だけ必死になって後は何にもしないで図書室にさえも行かずに」
「いじめられなかったのか」
「いじめっ子の方が一週間で飽きたそうです。そしてそのせいで冤罪事件まで起きて」
冤罪事件と聞いて刑事は肩を震わせたが、後輩曰く遊ぼう遊ぼうと誘って来た人気者の同級生に対してやだやだしか反応せず、それでも毎日毎日彼のために声をかけた結果彼がいじめたと判断して騒いだ事があった。
もちろん同級生たちの証言によりすぐいじめ疑惑は晴れたが、それから本格的に彼は孤立。先述の通りいじめっ子たちさえも、絡む事はしなかったらしい。
「しかし30000円ならもらってあげるけどって…」
「大人の機嫌を読む事ばかりを覚えてしまった彼に取って、精一杯のわがままだったんでしょうね。本当は馬鹿野郎とか許さないとか言って欲しかったのがわかってしまって、その上で自分の気持ちに嘘も吐けなくて。それで気が緩んで本音を吐き出してぐっすりと……」
「父親は!」
「別れてすぐ事故死しており…」
「ああ、これから先あの子はどうなるんだろうな」
「ああそれは、父親のお兄さんのおうちが引き取る事になるそうで。そこは元から三兄弟いる上におじいさんおばあさんまでいる大家族で」
「そうか」
安心だと言う事も出来ない。
認めたくない。認められない。これがもし、あの子にとってのベストなルートだと言うのなら。
「これからあの子には、彼を貶めないようにしつつそれはいけない事だと教えなければならなくなりますね…」
「いずれは殺人と言う行いが許されないそれであるとわかってくれると信じたいが……。
しかし30000円ってのは何だね」
「これです」
スマホの中に映る、一台のゲーム機。
そのゲーム機と、ゲームソフトの値段。
合わせて大体30000円。
「塾に行っても、水泳教室に行っても、学校でも、みんな同じ。そして親でさえもその流れに乗っかっている状態で。
うさぎとかめでさえも、悪用しようと思えばできるんですね」
「うさぎの速度で走ったら死ぬことぐらいわかりそうなもんだがな……」
それこそ金に糸目を付ける方が馬鹿だと言わんばかりに、まだ八歳の息子に科した教育。
家でも徹底的に付き添い、少しでも間違えればすぐ怒鳴った。そしてやる気をなくしそうになると暴力を振るいこそしないが泣きわめき、息子の心を罪悪感で縛り付けた。
そんな中に飛び込んで来たキラキラした存在を、母親は徹底的に憎んだ。いや、これまでの通りに少しでも欲しいと言えばどうなるかわかってるんでしょうねと言わんばかりに縛り付けた。全てはあなたのため、あなたが将来困らないためにと言いながら、我が子のために動いた。
「教えてやりますか、そんな家庭だったって」
「悪趣味にもほどがあるぞ」
「でも反省してない感じですけど」
「わかっている。だが彼がどのような気持ちになって出て来るか、それを考えねばなるまい。あの子のためにも……」
「それで先輩、奥さんは…」
「元気にしてるに決まってるだろうが!まあ今度バッグでも買ってやるつもりだけどな!」
このまま彼女の教育が徹底されれば、少年は幸せになれなかったかもしれない。そうなれば彼女自身まで不幸になる。だとしたら——とか言う妄想を振り払いながら、刑事たちは再び取り調べへと向かう事とした。
少なくとも、あの時の彼女は幸せだった事に目を背けながらも。
それを言ってやれば少しは反省するだろうとか思いながら、結局子どものあの笑顔を踏みにじる事を決意した二人の刑事はドアノブを握った。