第4話「天使集結」(非戦闘パート)
月人の暮らす月の都市には、天使種の拠点である『ピリナス』と呼ばれるいくつかの館と庭で構成された場所を中心に、大量の通常種の月人が暮らすビルのような建造物と、それらを外敵から守るための高い防壁が建てられている。
ピリナスに建造されている一番巨大で白い館の中、ロイヤーは紫のカーペットが敷かれた銀色の長い廊下を歩き続けていた。
廊下の少し先、右の方に1枚の扉が見えてくる。
水晶のような宝石で少し飾られただけのシンプルな石の扉だ。
ロイヤーはその奥に感じる、強大な気配と顔を合わせる事に対して心を躍らせながら扉を叩こうとした。
「おう、奇遇だな……自問自答キッズはどうした?」
インヘリットが平然を装いながら、先程ロイヤーが歩いてきた方と反対の廊下から歩いてきた。
インヘリットの数歩後ろには青ざめた顔でチェッカが立っており、ロイヤーは眉をしかめて彼らの方を向いた。
「インヘリット……!!貴様どの面下げて現れた?庭を荒らし木を数本ダメにした事といい、今回のアスク達の乱入の手助けといい……貴様、自分を灰の1片すらこの世に残したくないらしいな!」
青色に光り始めたロイヤーの手元を見て、インヘリットは焦った様子でチェッカを前に押し出した。
「げっ……!まぁまぁ、待ってくれよ!今は俺達同士で争うような状況じゃなくなりそうなんだよ!なぁ?説明してくれよチェッカ様よ!?」
背中を押されたチェッカは色々な事に悩みながら、緊迫した様子で説明を始めた。
「月獣の暴走が収まった後、調査を行っていたら発生源と思われる闇溜りにて『堕天使』と遭遇しました……インヘリットは勝手についてきただけだったのですが、結果的に助かりましたよ。」
「『堕天使』だと……!?」
チェッカの発言を聞いてロイヤーは思わず自分の耳を疑った。
思わず声が大きくなってしまったと思ったロイヤーは軽く咳払いをし、ドアの方にゆっくりと体を向けた。
「……インヘリットに焼きを入れる事より1000倍は優先すべき事が起きたのは理解しました。とりあえず、まずは私よりもレイズ様に詳細の報告を。」
チェッカがロイヤーの横に立ち、少し遅れてからインヘリットもロイヤーの横に立ち並んだ。
「3人共入りなさい。」
ロイヤーが扉を3回ノックすると、扉の奥から女性の声が聞こえてきた。
「……失礼いたします!」
ロイヤーが扉を開けると、横に広い部屋の中央で品のある雰囲気の、背が高く美しい完璧の化身のような姿をした女性が純白の椅子に座っていた。
3人が部屋に入り彼女の前に並ぶと、彼女は淡々とした様子で彼らに説明を求める。
「少しは扉越しに聞こえていたけれど、念の為もう1度……詳細的に話してくれる?チェッカ。」
「もちろんですレイズ様。まず、インヘリットの援護によってアスク君とリプラ君が乱入できてしまった『月獣の暴走』の後、いつも通り発生源の調査を行っていたらインヘリットがロイヤーを避けるために、勝手に調査に合流してきました。」
「(俺の事叱らせる気満々だなオイ……)」
レイズは呆れたようにため息をつく。
「……それで?」
「その後調査を進め、今回の『月獣の暴走』発生源と思われる闇溜りを発見。同時に、私達がいる闇溜りの端の反対側に立っていた堕天使を発見しました。」
レイズが両肘をデスクにつけ手を組んで、少し身を乗り出した。
「マリー……堕天使に何か特徴はあった?髪型とか、何か持っていたとか。」
インヘリットが短い髭を撫でながらため息をつく。
「長い髪に、歪な物が巻き付いた剣を持っていたぞ……そのマリーってのが堕天使の名前なのか?よく知ってるなレイズ様よ?」
インヘリットがそう言い終わるのより少し早く、ロイヤーがインヘリットの顔面に火の粉を飛ばした。
レイズの顔に陰がかかる。
「熱ぁ!!……何しやがる!!」
一瞬顔を手で隠した後、面を上げたインヘリットの胸ぐらをロイヤーは乱暴に掴んだ。
「この無礼者が!!レイズ様はこの月で最も偉大で強大で、慈悲深い原初の存在なのだぞ!お前のような……俺よりも長く生きていない老いぼれが軽々しく口を開くな!」
「うるせぇ慈悲の対義語みてぇな野郎が……!!ここで火放ったり掴みかかってる事の方が無礼なんじゃねぇのか?あぁ!?」
互いに額をぶつけて2人が睨み合う。
レイズが咳払いをし、どこからか金属のきしむ音が聞こえてきた。
「……!!失礼しました、レイズ様。」
「……ケッ。」
レイズの機嫌を損ねている事に気づき、冷静さを取り戻した2人は睨み合いを続けながらも、先程自分達の立っていた位置へ戻った。
チェッカは2人が元の位置に戻ると、少ししてから説明を再開する。
「……我々が報告したいのは堕天使に遭遇したという事だけではありません。」
「……。」
それを聞いたレイズは目を閉じ、話を聞く事に集中した。
「堕天使と遭遇した直後、堕天使は闇溜りに干渉し始めました。闇溜りの内部には『月獣の暴走』の前兆現象が発生し、闇溜りの周囲では謎の……攻撃的な紫色の光が大量発生しました。」
本当にこれを話してもいいのか?
いや、それともこれは本当に現実なのだろうか……?
チェッカは迷い、言葉を詰まらせていたがレイズの顔を見つめた後、決心して口を開いた。
「堕天使の目撃、紫の攻撃的な光。いずれも今まで確認してきた『月獣の暴走』の前兆とは同時に起こってこなかった現象です。近いうち、我々の知り得ない規模の『月獣の暴走』が発生すると私は考えています……今すぐに天使全員と戦闘員を集め、防衛作戦を展開するべきだと、私は考えます。」
それを聞いたレイズは目をゆっくりと開き、椅子から立ち上がった。
「えぇ、きっとあなたの言う通りね、チェッカ。今すぐに天使全員を招集しましょう。情報の共有を行った後に戦闘予定の月人達へ防衛作戦の説明を行います。インヘリットはリメイムを呼んできて、チェッカは都市の皆へ避難の準備をするよう指示をして!」
「はいっ!」
「りょうか〜いだぜ〜……。」
指示を聞いた2人が部屋を後にし、ロイヤーは彼らが部屋から出ていくのを見送った後、再びレイズの方を向く。
ロイヤーが気まずそうに自身のうなじに片手を回す。
「……アスク達は地下の闇の湖にいるかと思われます。すみません、アイツら外出禁止になる前に散歩したいと言って聞きませんでしたので……すぐに連れ戻してきます。」
申し訳なさそうな様子でドアに手をかけるロイヤーをレイズが呼び止める。
「それについては別に怒ってないわよ。もし私がロイヤーだったとしても、きっと散歩くらいは許すでしょうから、気にせず……でも、ささっと2人を迎えに行ってあげて。」
「……ありがとうございます!」
レイズが彼に見せた微笑みに、ロイヤーは思わず顔を赤くしてしまった。
意気揚々とした様子で部屋を後にし、廊下を歩いている最中にロイヤーは嬉しそうな様子で彼女を褒め称えていた。
「やはりレイズ様は優しく美しい人だ……あれほど寛大なお方の下で生きていられている私は、なんて幸せ者なんだろうか……あぁ……!」
扉越しに聞こえるロイヤーの声を耳にして口角を上げながら、レイズはいくつかの事について考えを巡らせていた。
「……ロイヤー、あの子達の事外出禁止にするつもりだったのね?そこまで厳しくしなくても良いとは思うのだけれど……きっと、2人の事がそれだけ大切なのかしらね。」
――――――――
月の都市中に独特な笛の音が響き渡る。
これは天使が『月獣の暴走』の前兆現象を確認したという合図であり、これを聞いた月人達はざわめき始めていた。
「は?『月獣の暴走』!?」
「終わったばっかりだよね……?さっき戻ってきたばかりなのに!?」
「間違え……るわけないよね!天使だもん……!?」
月人達は驚きを隠さぬまま、しぶしぶと広げたばかりの荷物を再びまとめ始めていた。
笛の音は月の都市の地下深くにまで響いており、
談笑を続けていたアスクとリプラは驚いた様子で1番近くの階段へ走り始めた。
「今の……『月獣の暴走』の笛であってるよね!?」
足と共に手をばたつかせながら、隣を走るリプラにアスクが確認をとった。
「笛が鳴る時なんて大体ロクな事は起きてないよ!!とにかくピリナスに戻らなきゃ!」
まっすぐ前を走りながらリプラが走っていると、突然アスクが足を止めた。
リプラが振り向くと、アスクは首を傾げている。
「……あれ?でも確かロイヤーは迎えに来るからここで待ってろ!みたいな事言ってなかったっけ?」
「うーん、そうだっけ?とりあえずピリナスに進んでけば途中で会えるでしょ!」
リプラが少し戻ってアスクの手を掴み、再び走り始めようとした瞬間に、階段の上の方が強く光った。
オレンジ色の炎が階段を飛び出してアスク達の前に落下する。
「「ロイヤー!」」
ロイヤーが体に纏わりついたすすを払いながら2人の元に歩み寄る。
「今の笛、本当に……また『月獣の暴走』が来るの?こんなすぐ早く?」
アスクが困惑した様子でロイヤーに尋ねると、ロイヤーは少し俯いて頭を掻いた。
「あぁ、本当のようだ。とりあえず2人共どこかに移動していなくてよかった……急いでピリナスに向かいますよ、レイズ様が待っている。」
そう言った直後に、ロイヤーが素早く階段の方を向いて駆けだした。
そのすぐ後に続いてアスクとリプラも走り始める。
地下から地上へ続く、手すりも無い螺旋階段。
少し遠くから3人が階段の途中あたりに飛び、そこから凄まじい速度で階段を登っていく。
階段を一瞬で登った勢いのまま3人が地上に飛び出して、あたりを見回す。
全く同じ見た目のビルのような建物が並ぶ風景の中で、建物の中でも周りでも月人達が慌ただしく動いていた。
笛を聞いた月人達は避難のために急いで荷物をまとめ、両腕でいっぱいに抱えながら、それを落とさないようにピリナスへ続く道を歩いていく。
「人混みの間を跳びながら行きますよ。」
ロイヤーがピリナスがあるであろう方向を向き、跳んで着地できそうな人混みの隙間を探していると、リプラがロイヤーの裾を引いた。
「炎で飛べばよくない?」
ロイヤーが裾をつまむリプラの手を振り払う。
「……2人抱えさせながら飛ばす気か?知ってるだろう、光と炎の天使は遠隔攻撃や飛行ができる反面、燃費が悪いんだぞ。これから敵が攻めてくるかもしれん時に、私だけ疲れていては情けない。」
(まぁ、レイズ様は遠距離攻撃もできるし、疲れ知らずの例外なんだがな!だからこそ敬い、気遣わねばならないのだ。)
フンと鼻を鳴らすロイヤーを尻目にリプラが何か思いついた様子で、突然2人の手を掴んだ。
「前線に出なきゃ疲れてていいんでしょ?なら私が運んであげる!」
それを聞いたアスクが好奇心に口角を少しだけ上げた反面、
ロイヤーは手を引かれながら焦りを覚え始めた。
「リプラ……確かに『変異が多い』お前の能力は、変化前でありながら変化後の今までのラミエルと遜色無いほどに素晴らしいと俺も思うし、レイズ様もそう評価していらしたのだが……移動はやった事あるのか?……聞いてるか?先代ラミエルが死んで、お前が生まれてから俺は空を飛ぶ光なんか見た事ないんだ!まさか今からやろうとしているのが初めての光速移動だったりしないよな!?」
靴の裏を光らせ始めたリプラに引っ張られながらロイヤーが焦り始める。
アスクは特に何も気にしていない様子で彼女と手を握り続けていた。
靴裏の発光が急加速する直前に、リプラは振り返って自信満々な顔を2人に見せる。
「大丈夫!きっと上手くいくから!!私達、双子だもん!」
「やっぱり初めてなのか!?下手したら空に飛んで月には永遠に戻れなくなるんだぞ!!なんならピリナスに突っ込んでぶっ壊す可能性もある!やめろ思いとどまれリプ……うわ!!!!」
月の都市全体が一瞬だけ光り輝き、次の瞬間にはピリナス内の庭に、3人の埋まった月人が現れた。
――――――――
地面に突き刺さっていた月人の下半身が足をばたつかせて、地面から最初にアスクが抜け出てきた。
「……何が起きたの?ここ、ピリナスの庭……?」
自身に覆いかぶさっていた草の生い茂る地面を投げ飛ばして、次はロイヤーが顔を出した。
「クソ!やってくれたなリプラ!!あぁ、庭がえぐれた……力づくでも止めておくべきだったか……不覚。」
荒れた庭を見渡すロイヤーを横目に、アスクは地面から生えている月人の腕を引っ張り、リプラを引っ張り出した。
グッタリとした様子で、リプラは灰色の草を数本吐き出した。
「2度とやらない……からさ、髪燃やすのだけは勘弁して……?」
ロイヤーが頭を掻きながらアスク達に歩み寄り、2人の頭にそれぞれ1発ずつチョップを喰らわせた。
「痛っ。」
「っ……何故僕も?」
「……止めなかった俺とアスクも悪い、今回はコレでチャラだ。」
本当はロイヤーはこんな小さな罰で事を済ますつもりは毛頭無かった。
――レイズ様に見せるために、リメイムと共に永い間手入れしてきていた庭、それを少しでも荒らす者は誰であろうと絶対に許したくない。
だが、レイズ様は残念ながらこの庭よりアスクとリプラの事を大切にしていらっしゃる。
何より……今レイズ様が目の前にいる状況で2人の髪をパーマ程度に焦がすのは、ソレをロイヤー自身の忠誠心が許さないのだ。
抉れた地面の中に立つ3人を見下ろす形で、レイズが凛と立っている。
「大きな音と強い光……まさかと思って来てみたら……中々な状況だけれど、ひとまずおかえりなさいロイヤー、アスク、リプラ。」
「……急いで戻るためにリプラの力を使ったと見てよいか……?初めて移動に力を使ったのじゃろうが……中々派手にいってしまったのう。」
レイズの横に立っている、背の曲がった老人が髭を撫でながら静かに笑っていた。
老人の存在に気づいたロイヤーが慌てた様子で老人の横に走っていく。
「リメイムさん!申し訳ないです……私がいながら、庭に大きな穴が……。」
「よいよい、大丈夫じゃ。規模も動機もインヘリットがやりおった時に比べたら可愛い物じゃから。丁度いい位置と大きさの穴だし、ここに木でも植えようかのう。今度チェッカに外から探してきてもらおう。」
「木なら私がすぐに探してきても……ん?リメイムさん、確か貴方を呼びにインヘリットが来ていたはずでは?」
辺りに数本生えている木と、先程リプラがえぐった地面の距離を見ているリメイムの横で、ロイヤーはソレに気づいて眉間にしわをよせた。
リメイムとロイヤーが会話している様子を穴ぼこの中から眺めていたアスクとリプラの肩に、突然誰かが叩くような勢いで手を置いてきた。
「おうお前らどうしたんだこの状態!俺に憧れて庭で修行でもしてたのか?ギャハハ!」
2人の目線に合わせてしゃがみこんだインヘリットは心底愉快そうな様子で笑っている。
「あ、インヘリット!ロイヤーに焼かれて眉毛くらいは無くなってると思ってた。」
「今回ばっかりは『月獣の暴走』に救われたんだね!」
2人の言葉を聞いたインヘリットの表情はみるみると苦虫を噛み潰したようになり、立ち上がると穴ぼこを抜け出してレイズの横へ跳んでいった。
「……今はな!!世辞でも『俺に憧れてる』とか言えばいいだろうがこの憎たらしいガキ共が……そんな小せぇ穴ん中でボケーっとしてねぇでとっとと上がってこい!!」
アスク達がインヘリットに続いて穴ぼこから抜け出した直後に、ピリナスの上に張られていた結界をすり抜けてチェッカが飛び降りてきた。
笛の吹き口を服の裾で拭きながらチェッカがレイズの元に駆け寄ってくる。
「レイズ様、笛を聞いた月人全員の出発を確認しました!ピリナスの受け入れ準備は……ん?なんですかこの穴。」
訝しんだ様子で穴を覗き込むチェッカの横で、レイズが静かに笑っていた。
「ソレに関してはひとまず後で話しましょう。ね、リプラ。」
「……はぁい。」
レイズがリプラに目配せしたのを見て粗方何が起きたのか察したチェッカは、集まった天使全員の様子を見た後、姿勢を正してレイズの方を向いた。
「とりあえず……レイズ様、全天使が無事に集まったようです!」
「そのようね……館に戻りましょうか。」
7人の天使が灰色の草原を踏みしめていた。




