第40話「妖との出会い」
「「ようこそいらっしゃいました。」」
ロビーへ現れた木槿、一葉、アスク、そして旅館の前にある駐車場で彼らと合流したコリウスの前で、2人の和装を纏った彩人が三つ指をついた。
「へぇぇ……。」
旅館のロビーを呆然と見回していたアスクが、木槿にフードを掴まれ引きずられていく。
「送っていただいた荷物は既にお部屋の方へ置かせていただいております、どうぞこちらへ!」
「ん。」
暖色の照明が取り付けられた天井も、浮世絵が飾られた壁も、木目が渦巻いている床も、木材と石だけで作られたその見た目と暖かい印象がアスクに懐かしさと斬新さを同時に感じさせている。
「ようやくひと休みできるな!!一葉!!!!」
「そうですね……。」
廊下の途中、両側に何個もあった扉に書かれていた数字を、アスクが引きずられながら読み取り続けていた時。
不意に、木槿の手がフードを放した。
「?」
自身をおいて歩いていく彼らを数秒の間見つめてから、アスクが振り向いて廊下を駆け始める。
「(色々見てこいって事かな?)」
最初に廊下の途中で止まり、浮世絵を見つめた。
「(頭の上に狼みたいな耳がある……獣人?)」
振り向き、反対側にあるもう一つの浮世絵に目を向ける。
「(下半身が……どうなってんだこれ?)」
下半身が魚のようになっている人間が海を優雅に泳いでいる絵の前で首を傾げ続けた後、次にアスクはロビーへ向かって走った。
「(反対の方も似たようなのが飾ってあるのかな?)」
広い空間へ飛び出し、木槿達と共に進んだ方角とは反対の通路へ入っていく。
ロビーの隅に置かれていたソファの上で、背の高い女性がカップを摘まみながら茶を愉しんでいた。
「……ん……?」
駆けていくアスクの後ろ姿を見つめながら、女性はゆっくりと立ち上がった。
「……確か、あの先は……。」
浮世絵を見つけては数秒見つめて、理解できなければ首を傾げてから再び廊下を走っていく。
駆けた先に現れた小さな黄色い板の前で立ち止まり、再び首を大きく傾げた。
「(……真っ黒な人が片足で立ってる?)」
「(なんでコレだけ壁についてねぇ……っていうか、それ以外にも色々違うな?)」
「(後で皆に聞いてみよう!とりあえず先へ――)」
強く足を前に踏み出した直後、濡れた床がアスクの姿勢を崩す。
咄嗟に動いたもう片方の足が余計な方向へ動いた結果、背中がアスクの頭とほぼ同じ高さまで上がった。
「(なるほど……滑るよって知らせるための看板だったんだね、アレ。)」
このまま頭を地面に打ちつけても月人の天使種には何てことはない。
そう思いながら受け身を取ることもしないアスクの下へ、何者かの強い意思が滑り込む。
「【捕】!」
見えない何かが空中を舞い、瞬時にアスクを捕まえた。
「危なかった、怪我は――」
「ぁぁぁぁああああ!?!?」
白いワンピースをなびかせながら手を前に出していた背の高い女性の横を、桃髪の少女が飛んでいった。
「!?」
空中にぶらさがり、逆さまになっていたアスクに向かって飛んでいく少女とアスクが目を合わせる。
「どいてぇぇぇぇ!?!?」
「どけないよぉ!!!!」
「【捕】!!」
アスクと互いの吐く息を肌に感じられるような距離で、少女がピタリと止まった。
「……あ、ありがとうお母さん。走ったらつまずいちゃって。」
「もっと落ち着きを持って行動しなさい!焦って行動しても良い事なんて起きないわよ?」
白いワンピースの女性が手を下ろした瞬間、空中にいた少女とアスクがゆっくりと床に降ろされる。
「……君も、怪我は無い?」
何が自身を捕まえたのかを特定するために周囲を見回していたアスクの顔を女性がそっと掴んで止めた。
「無いよ!……ありがとう!!今の空中で止まったのはあなたの力?」
「そうよ?妖の『八尺』の力。」
女性の背丈が異様に長い事に気づき、アスクが目を見開いて彼女の姿を観察する。
「妖……あなたも妖人……!?」
「(この女、レイズよりもでけぇぞ!?)」
「え?えぇ……八尺の妖人だけど……。」
「お母さん……この子、私達に気づいてないみたい?」
女性の横に寄ってきた少女の姿を見て、アスクが更に目を開いた。
「見た事ある!?!?」
「あ、テレビで見た事はあった?」
違う。
月でロベリアに妖人の説明をされている時、確かに彼女の姿が映っていた。
「テレビ……テレビかな?アレ……。」
「?」
「……とりあえず、私達はロビーに戻りましょうか。あの人を待ってあげなきゃ。」
天井に手をあてながら立ち上がった女性と少女の姿を見上げ、アスクが後ろに姿勢を崩しそうになる。
「無闇矢鱈に走り回らないようにね。」
「そうだよ!焦っても、良い事なんて何も起きないんだから――」
「八美?」
「……はい、私も気をつけます。」
白ワンピの女性の後ろへついていく八美のジーンズの裾からは水が垂れていた。
「(まさか、あの妖人とこんな所で出会えるなんて……。)」
「(でっけぇ……あんな体格で格闘戦ができたらすげぇ有利だろうな。)」
濡れた床を触りながら、アスクが去り行く2人の背中を見続けていた。
――――――――
「なんでいつの間にフードが手から外れるんですか!?」
「まったくだ!!何かあったらどうするつもりなんだ!?!?」
「……。」
コリウスと一葉に挟まれ、責められながら木槿がロビーへ歩いていく。
「外にしろ反対方向にしろ……どこへ行くにしても、この旅館はロビーやエレベーターや階段を経由する必要がある。そこにいるスタッフにでも聞けば見つかるだろ。」
「「呑気すぎる!!!!」」
後方にいる2人から睨まれつつ木槿がロビーへ顔を出した直後、
「おゥ、止まれや。」
ロビーの隅にあるソファに腰かけていた大男が圧のある声で彼へ話しかけた。
「な!?こ、この方は!!!!」
「妖人の円卓主……『鬼百合 茨木』様か。」
「(妖人という1種族のリーダーである彼が、どうしてこのタイミングで白蛇街に……!?)」
気圧された一葉とコリウスが通路に隠れる中、イバラキと木槿がロビーで睨みあう。
「なんでしょうか?私達は今、子供を探しているんです……うるさくしてしまった件については、申し訳ありませんが。」
「子供か……俺達妖人はよォ、色々と感じ取れるんだよ。」
尖った角を撫でながら立ち上がったイバラキの身長は木槿の2倍以上はあった。
「誰かが怪我しそうになる予感とか、タダ者じャない奴の気配とかなァ……オェ。」
「……。」
大きく口を開け、口内から巨大な金棒を取り出すイバラキを木槿が睨み続ける。
「街並み観察するための散歩から帰ッてきてよォ、旅館の前まで来たと思ッたら……誰かが怪我する予感もした上に、娘も嫁もいなくなッている……そんでヤバそうな気配をまとッたテメェが現れた。」
ロビーの高い天井に角が擦れている。
「答えろ、何者だお前はァ?八美と七尋はどこだ?」
「さぁ……?スタッフに聞いてみてはどうでしょうか?」
一触即発の雰囲気がロビーを包み込んだ。
「あなた!?一体何をしてるの!?!?」
ロビーの向こうから現れた白ワンピースの女性が手を前に構える。
八美が女性の前に立って拳を握りしめた。
「……パパ、ソイツ誰……!?えげつない気配だけど!!」
「さァな、今ちょうど聞いてんだ……。」
「(円卓主の家族!?一家で旅行でもしに来ていたのか!!!!)」
廊下の陰に隠れていたコリウスの横から一葉が飛び出して木槿の横についた。
「どうしますか……?」
「……どうしようか。」
「木槿!?皆も何してるの!?!?」
八美と女性の横をすり抜けたアスクが木槿の前に飛び出し、首元の死月鉱を掴む。
「あの子……あの彩人達と一緒にココへ来ていたのね。」
「大きい人……角があって大きいし、あなたも妖人?……その武器で誰を傷つけようとしてるんだ!?」
彼が死月鉱を掴んだ瞬間、周囲の空気が冷たくなっていった。
これから始まろうとしているのは小競り合いなどというような生易しい物ではない。
殺し合いなのだ。
ロビーにいる全ての妖人へ、輝き始めた死月鉱の放つ気配と予感がそう伝えた。
「(このガキもタダ者じャねェのか……!?……乱暴起こす気は元よりあんましなかッたが、こりャ危険だな。)」
円卓主の家族とL.E.R.Iの面々が警戒しあう中、木槿が片手をゆっくりと上へあげた。
「やめようじゃないか、俺達はそれぞれ観光しに来たんだろう?」
「……本当に観光目的だけかァ?『白蛇舞い』の妨害目的で来たんじャねェだろうな?」
「白蛇舞い……何ですかソレ?」
「白蛇宮で年に一度行われる儀式だ。ちょうどこの時期にやるとは知らなかったが……妨害するメリットが俺達にあるようには思えない。」
木槿が続いて、ポケットから何かを取り出した。
「ソレは……まさか、テメェが……?」
服か何かについていた所から千切り取ったような、古びたワッペンを見たイバラキが眉をひそめる。
「わけあって所属組織は言えないが……あくまで観光目的で此処に来た、同じ政府側の人間だ。互いに睨みあう事もなく、"仲良く"していただきたい。」
「……分かッた。ただし、何かやらかすなら俺達を巻きこんでくるんじャねェぞ……はァァァァ……。」
酒臭い溜め息をつき、金棒を口内へしまったイバラキが八美達の方へ足を踏み鳴らして近づいていく。
「部屋、戻るぞ。」
「……分かった。」
少しかがんで廊下を進んでいく両親の背中を少し追いかけた後、八美が振り返ってロビーに立つL.E.R.Iの人間達を見つめた。
「「……。」」
アスクが彼女と見つめ合い、首を傾げる。
「……危ない人と関わっちゃダメなんだからね!!!!」
そう言い捨てて去っていった八美の背中を、木槿も溜め息をつきながら見ていた。
「妖人の感じ取る力か、お前も似たような力を持っていたな。」
「そうなんだろうけど……あの人達と違って木槿が危なそうな人には見えてないよ。」
「敵意を向けられているかどうかの違いじゃないでしょうか?……アスクさんには、あの人達が危険に見えましたか?」
大きく首を横に振りながら、アスクが伸びをしていた。
「全然!みんな悪い人には見えなかったよ。なんなら女の人達には助けてもらったし……そうだ、あの白くない方の服を着た女の人の事なんだけどさ、月で――」
――――――――
森の中、月人の青年が目の前に現れた紫色の裂け目を睨んでいた。
「暴走したりしないの?変霊に襲いかかって数を減らされたら困るんだけど。」
「安心してくれ、そうならないような教育はキッチリと済ませてある。」
歪んだ音を鳴らしながら煌めく裂け目の前でアンディが携帯電話を握りしめている。
「そうか……感知阻害システムやらを作り上げた君の開発品に、こんな事を確認するなんておかしかったかもね。」
「起動コードは名前をソレの前で呼ぶだけ、ある程度の指令は先にあたしの方で教えてあるから、後は気になったターゲットへけしかけてみたりすると良い。」
裂け目が少しだけ広がり、人型の何かがアンディの前に倒れこんだ。
「……こんな足で歩かせるつもりなのか?」
「まぁ、テスト運用だからね。核風式浮遊システムも組み込んでみた。あたしはまた調べ物をするから、後はソレやロベリアと一緒に計画を練っておくといい。」
電話を切られ、携帯を投げ捨てたアンディが目の前の人影を見下していた。
「……起きろ、エバエボルヴィング。」




