第2話「終戦の炎」
「ひっ!?く、来んなぁ!!」
多くの月人が勇敢に武器を振る中、怒涛の勢いで迫りくる月兎の群れに恐れを成して動けなくなった月人が1人居る。
「何やってんだ新しいの!前出てないで早く下がれよ!!」
「うるせぇ!足が……動かないんだよ!!」
腰を抜かした月人の後ろから数人が大声で彼を呼んでいる。
月兎の1匹が、血気盛んで無知であった月人にゆっくりと近づいてくる。
「いやだ!!死にたくな――」
月兎の口へ音も無く、泣きながら消えていった月人を見ながら、先ほどまで彼を呼んでいた月人達は武器を構え直す。
「……ま、あの調子じゃ今生き残ってもすぐどこかで死んでたよな。」
「今死ねて逆に幸せだったろ、いつか何かやらかしてスリエルの玩具にされてたかもしれんし。」
目の前で仲間が死んだ事に対する動揺を平然と隠そうとする月人達へ、月兎が紫の煙を吐きながら迫り始めた。
「今更なんだけどこの武器、切るのと刺すのドッチが強いんだろう……まぁ、めっちゃ振るか。」
どこか達観していたような月人達の目つきが変わり、彼らは懸命にハルバードを振る。
「わぁーーーーっ!!!!」
目の前で死んだ仲間のようにならないために、彼らは懸命に武器を振った。
恐怖で目は開けられず、自らの振った武器が月兎に当たっているのか、そもそもこの手にハルバードはまだ握られているのか、それすら彼らには分からなくなっていた。
少ししてから、月人達は目の前の大きな気配が居なくなっている事に気づく。
恐る恐る彼らが目を開けると、確かに先ほどまでいた月兎が消えている。
だが、その直後に上から大量の黒いヘドロのような液体が大量に降ってきた。
黒い液体は地面に飛び散るとゆっくりと染みこんで消えていく。
「……?」
驚いた月人達が空を見上げると、いくつかの『輪』が空に浮いていた。
「これ、アウレオラ……?……ぐぇっ!」
空に浮くアウレオラを見つめていた月人達の1人の顔に、突然大きな拳が降ってきた。
「闇雲に武器を振るな!!危ねぇだろうが!!!!そして戦闘中に黄昏るなこのアホチビ共!そんなに死にてぇんなら俺のスコアに加えてやろうか!?!?」
真っ白な口髭を生やした禿の男性が、月人達を激しく怒鳴りつけている。
「げ、インヘリット……様!!すみません!!」
「謝ってる暇があったら1匹でも多く殺してみろ!!!!ったく……」
インヘリットはぶつくさと文句を言いながら、地面を強く蹴ってどこかへ跳んでいった。
「……オレあの人苦手だな。」
「同感。」
月人達もまた、ぶつくさと文句を言いつつ遠くに見える仲間を援護しに向かった。
――――――――
外壁の上から戦いを見つめる者がいる。
月兎と月人達が様々な場所で牙と武器をぶつけ合う中で、1か所に集まる月兎達が外壁の上からはとても目立って見える。
「……そこか!!」
月兎に囲まれた絶体絶命の状況の中、次々と月兎を撃ち、切り倒していく2人の天使がいる。
「キリがない……!あとどれくらいで全滅するかな!?」
アスクが月兎を次々に軽々と切り捨てながら、リプラへ目を向けた。
「分からない!とりあえずたくさん倒さないとやばいって事しか!!」
月兎の頭を正確に撃ち抜きながら、リプラは息を荒くする。
2人の背後には、同じく月兎に囲まれている数人の月人がうずくまっていた。
「な、なぁ……コレって本来オイラ達が守らなきゃいけない状況なんじゃ……?」
全身の震えをおさえながら、1人の月人がおもむろに立ち上がる。
「おいやめとけ!!……私達は私達を守っていればいいんだ!私達がアッチに行けば逆に足を引っ張る事になるぞ!!」
近くで武器を振っていた別の月人が、立ち上がった者を説得する。
「……でも!あっちは2人だけじゃないか!!」
体の震えに振り回されながら1人の月人がアスク達の方へ走り始めた。
「馬鹿野郎!そっちは数で決まる戦いじゃないんだぞ!!」
月兎へ突撃した月人が叫び、ハルバードを両手で前に突き出す。
「やあぁっ!!!!」
一匹の月兎の喉元にハルバードが命中し、黒い液体を散らしながら月兎が暴れ始める。
「えっ!?なんでこっちきてるの!?」
「危ないよ!戻って!!」
リプラの警告も聞かずに月人がハルバードをより一層深く突き刺すと、月兎はさらに激しく暴れ始めた。
「あっ……!」
月兎に刺さったハルバードにしがみつく形で月人が振り回されていたが、とうとう振り回されるのに耐え切れず、月人の体が宙を舞う。
ハルバードは月兎の喉元に刺さったままであり、この戦場ではあまりに無力な、武器を持たぬ1人の月人が地面に転がった。
「ギッ……ギ……!」
目の前に転がってきた月人に、月兎達が怒りの声をあげている。
「……!!」
絶望と恐怖に、月人は喉を潰されていた。
――――――――
「【焔蛇・七重奏】!!!!」
上空から聞こえてくる声と共に、月兎達へ7本の火柱が襲いかかった。
火柱はそれぞれ蛇のように細長い生物の形をしており、うねっては月兎達へ噛みつくようにして彼らを焼き尽くしていく。
「コレ、セラフィエル様の……熱っ!?」
撒き散らされた火の粉の一つが武器を落とした月人の頬を焦がした。
月人が頬をさすりながら辺りを見回すと、先ほどまで大量にいたはずの月兎が全滅している。
視界の端で他の場所に居た月人達が誰かを取り囲んでいるのが見えた。
「スリエルにラミエル……ありがとう!!2人が月狼を倒してくれてなかったら多分ボク達死んでた!」
「それだけじゃない!月兎もたくさん引きつけてくれた……本当にすごいよ!!さすが『太陽の双子』だ!!」
月兎が全滅した瞬間、前線でのアスク達を見ていた月人達がアスクとリプラを取り囲んでいた。
「あはは……皆を助けられて嬉しいけど、私達そろそろ行かなきゃ!」
「あ、あと少ししたら来る人の方にお礼言っといた方がいいんじゃないかな?」
2人を英雄視して騒ぐ月人達とは裏腹に、2人は大衆を避けながらどこかへ向かおうとしている。
人混みをかきわけて、リプラはアスクの手を引き走り出す。
もう少しで人混みを抜け出せるとリプラが思った矢先、アスクを引いていた方の手を誰かに掴まれた。
リプラが振り返って、丁度繋いでいたアスクとリプラの手を1度に捕まえている人影を見上げると、自分達と同じ白い肌と髪、紫色の目をしているがリプラ達よりとても背の高い青年が、2人の手を掴んでいた。
「あー……えっと――」
リプラがアスクと目配せしてから、何か話そうとするのを青年が遮った。
「レイズ様にどれほど心労を重ねさせるつもりなんだ?」
青年の声はひどく落ち着いており、先ほど彼が繰り出した炎とは反対に威圧感で、辺りの空気は凍り付きそうだった。
「ひぃっ……あの……ロ、ロイヤー・セラフィエル様……アスクさんとリプラさんが勝手に戦場へ現れていたのは確かにダメな事だと思うんですが……ひっ!?」
後ろから恐る恐る青年へ話しかけた月人を、青年が鋭い目で見つめる。
「確かにダメな事なんですが?……続けろ。」
一瞬荒くなった青年の声色に月人は震えながら話す。
「え、えっ……と……インヘリットさんに加えて2人が出てきてくださったおかげで、脅威である月狼はとても早い段階で全滅しました……。コレは長い間戦ってきた我の勘なんですが、多分今回死んだ月人……今まで我が戦ってきた『月獣の暴走』の中では1番少ないと思います……!多分、多分なんですけどね!はい……。」
月人は早口で2人を弁護し終えるとそそくさと人混みに紛れて消えていった。
人混みを見つめる青年『ロイヤー』の顔をアスク達は恐る恐る覗き込んだ。
先程の鋭い目つきのまま何かを考えているロイヤーを見て、アスクは小声でリプラに話しかける。
「これ……僕達も髪の毛焼かれるんじゃ……?」
リプラは首を大きく横に振りながら答えた。
「いやいやいや……さすがにそれやったらミカさんに怒られるでしょ……。」
少しの間見つめあってから、2人は再びロイヤーの顔を見てみる。
先程まで人混みを見ていたはずの視線はいつの間にかアスク達の方へ向いており、ロイヤーは2人を交互に見た後、ため息をついてしゃがんだ。
「……確かにいつもより残っている月人が多い。それに2人にも怪我は無いようですね。」
彼の声がどこか柔らかい雰囲気になり、2人の繋がれていた手を解いて自分の手と繋ぎ直した。
「『ピリナス』に戻りますよ。」
ロイヤーがそう言うと、アスクとリプラは自分達はお咎め無しだと確信して、同時に胸を撫で下ろした。
「……戻ったら、しばらく2人を外出禁止にするようレイズ様に進言するからな。」
ソレを聞いたアスク達が今度はとても不服そうな顔で、ロイヤーの手を強く握った。
深くため息をついて立ち上がり、ロイヤーが外壁の方へ歩き出す。
「仕方ないだろ!ここでお咎め無しにしたら、どうせまた危険な行動に走るつもりだろ!?……それより、どうせインヘリットがお前達を連れて来たんだろう……!!あの禿チョビ、どこへ逃げた……!!!!」
ロイヤーの手が微かに熱を帯びていた。
――――――――
無数の足跡が刻まれている月の大地を1人の少年が駆けていく。
「足跡の幅も大分縮んできた……もうすぐ発生源に着くかな?」
通常種の月人より少しばかり背の高い少年が、笛を持ちながら『月獣の暴走』の発生源を探しているようだ。
「……ん?」
少年は近づいてくる気配に気づき足を止める。
辺りを見回すと、自分が向かってきた方向から髪のない男性が走ってきているのが見えた。
「……インヘリット。」
インヘリットが少年に追いついてから、再び走り始める少年の後へついていく。
「一番都市から離れてる事の多いチェッカ様と行動しときゃ、俺がまたアイツにどやされる時間が遠のくからな。護衛もどき、やらせてもらうぜ。」
2人は『月獣の暴走』が遺した足跡の先を見つめながら会話を続ける。
「案の定、2人をあそこに紛れ込ませたのはあなただったんですね……。」
「アイツらが戦ってみたいってうるせぇもんだから行かせてやったんだよ。おかげでスコアの伸びは過去最低だ……ったくよ、スコアは伸びねえ湿気た戦いだったし、俺はこの後髭か眉を焼かれるんだろうし、踏んだり蹴ったりだぜ。」
「2人を戦わせようと判断したのは貴方じゃないですか……被害者面しないでくださいよ。」
少年、チェッカが目頭をおさえていた。
少し走り続けた後、彼らは足を止めて目の前に広がる光景を見つめる。
2人の前に広がる巨大な『ヘドロの沼』。
インヘリットは沼の前で腕を組みながら、ソレを端まで見渡している。
「……足跡も此処から出てきてやがるし……この『闇溜り』が今回の発生源でいいんだよな?」
インヘリットが歯を舐めた後、しばらく風の音と闇溜りの揺れる音だけが辺りに響いていた。
チェッカが闇溜りの向こうを見つめたまま静かに笛を取り出す。
静寂が疎ましいかのように、インヘリットが荒々しい溜め息をつく。
「……気のせいだと思いたかったんだがなぁ……?」
「少し意外です……貴方なら、出会った時は褒美だ、手応えある相手だって喜ぶと思ってましたよ。」
インヘリットの視界の端に、チェッカの視線の先に、闇溜りを挟んで2人の前に女が立っている。
月人特有の白い肌に美麗な容姿、風になびく黒い髪。
深淵のように黒く暗い瞳が彼らを見つめていた。