表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/3

第一話

「チャンスは残り三回です」どこか楽しげに声は告げた。その声は目の前にそびえる大木の梢から降ってきた。


 ロウジが視線を上げると、そこに声の主がいた。大きく張り出した太い枝にとまった真っ黒い羽毛の塊。大鴉(レイヴン)だ。巨大なカラスは、禍々しい姿に似つかわしくない若い男性の声で快活に言った。


「今回の試行(トライアル)は是非とも成功させてくださいね。引き続きまたリタイアとなってしまうと、今後の審査はかなり厳しくなってしまいますので」言葉とは裏腹にレイヴンの口調はやはり面白がっているようだ。


「うるさい!今回こそ適応する。必ずしてみせる」ロウジは樹上のレイヴンをにらみつけ、鼻息も荒く言い返した。拳を固く握りしめると、革のような手のひらの皮膚に爪が食い込んだ。

 ロウジの全身は褐色の毛皮で包まれていた。足のつま先は硬いヒヅメで、口元には牙が覗き、顔面からはつぶれた豚鼻が大きく突き出ている。その姿は直立二足歩行するイノシシそのものだ。しかし前足は人間の手と同じつくりで、瞳の輝きははっきりとヒトの意志を宿していた。

「俺は必ず再野生化人(リワイルダー)になってやる」ロウジは叫んだ。



 行き詰まった文明社会を捨て、野生の世界で生きることを選択した人々、それが再野生化人(リワイルダー)だ。過酷な自然環境で生き抜くため、彼らは絶滅した野生動物のDNAをみずからのゲノムに組み込み、動物と人間のハイブリッドに変身していた。


 前千年紀、恒星間探査船が誤って持ち込んだ異星の微生物「侵略者」が原因となり、地球の大気中の酸素濃度は14%まで急低下した。その時発生した「第六の大量絶滅」により、地球上から大半の野生動物が一掃された。それはペルム紀末の大量絶滅にも匹敵する大災厄(カタストロフィ)だった。人類も大きなダメージを受け、数百年間以上、酸素ドーム都市内での生活を余儀なくされた。

 その後、人類は「侵略者」の増殖を抑えこむ手段を発見した。そして科学の力を結集して狂ってしまった生態系のバランスを回復し、大気中の酸素濃度を上昇させるための大事業に取りかかった。


 人類が再び大気を呼吸できるようになるまでには千年以上の時間を要した。

 大気が呼吸可能になった段階で、人類は絶滅動物の再生と野生への再導入を実行した。だが、その試みは失敗に終わる。博物館に保存されていたDNAから再生された絶滅動物たちは野生では生き延びられなかったのだ。動物は百パーセント、DNAの情報に還元できる存在ではない。生きる上で必要な彼らなりの文化は絶滅によって断絶してしまっていたのだ。人類は悲しみとともにかつての世界を二度と取り戻せないことを知った。再生しつつある世界は空っぽのまま残された。


 その時、当時の著名な生物学者が過激な発言をぶち上げた。

「絶滅した動物に代わり、われら人類こそが野生で生きるべきだ」と。

 彼女は主張した。

 歴史が始まって以来、人類は技術の力で世界を自分たちの生存に都合の良いものに作り変えてきた。それは多種多様な生態系が織りなしていた豊かな世界を、人間と数種類の家畜と作物のためだけの単調な領域で塗り潰していく活動だった。人類の領域の外側にある自然は排除または搾取の対象としか見なされなかった。地球の全表面を支配下に取りこんだ後もその傾向が変わることはなかった。人類は新たなる支配の対象を求め、飽くなき欲望を抱えて宇宙に突き進み、そして最悪の外来生物「侵略者」に出会ってしまった……。


 教訓。人類は自然を征服する今までの生き方を改め、自然とともに生きるべきである。

 これは単に原始的な狩猟採取生活に回帰すべきだという話ではない。地球には単一の生態的地位を占める百億人もの狩猟採取民を養うキャパシティはない。自然は再び崩壊するだろう。だが、人類がみずからの肉体を改造し、地球上に存在する様々な生態系に分散して適応することができれば話は変わる。草や葉、昆虫、プランクトンなどの食物。熱帯雨林、ステップ地帯、ツンドラなどの居住環境。これら人間に利用されてこなかった資源を利用できるようになれば、人類は地球と共存することができる。それには絶滅した動物たちの遺してくれた遺伝子情報の力を借りよう。

 そして、彼女は自らの幹細胞に絶滅したヘラジカの遺伝子を注入し、最初のリワイルダーとなった。急進的な賛同者たち数百名がクマ、ヤギ、アライグマ、バッファロー、イルカなどのDNAを使って彼女のあとに続いた。


 当時、各国政府は異種DNAの人体への移植を禁じていた。激しい弾圧を受けながらも、リワイルダーの思想は着実に浸透していった。やがてそれは昔からのエコ思想やキリスト教と融合することで大衆層にも一挙に広まった。絶滅動物のDNAという十字架を背負い、贖罪の道を歩み再びエデンの園に帰ろう。母なる地球よ!その爆発的な拡大はかつての世界的宗教の勃興期にも匹敵した。多くの人々が国家の支配を逃れ、緑豊かな世界へと踏み出していった。


 それから一世紀が経過した。リワイルダーの人口は全世界で推定一億五千万人に達していた。

 一方、文明世界の各国は重い閉塞感に包まれていた。格差や不況、政府の圧政、それに今度こそ克服したかと思うたびに再発する戦争とパンデミック。いくらテクノロジーが進歩しようと、それは人が文明社会に生きている限り悩まされ続ける宿痾(しゅくあ)なのかもしれない。その厭世感がさらにリワイルダーの数を増やしていった。

 多くの政治運動を経て再野生化(リワイルディング)はすでに合法化され、彼らの権利や手続きに関する法整備も進んでいた。

 ロウジが生きているのはそんな時代だった――。



 正確には、ロウジはまだリワイルダーではなかった。その志願者に過ぎない。

 選択した動物との不幸なミスマッチが相次いだ歴史から、リワイルダーになることを望む者は必ず事前に、期間限定で試行トライアルを受けなければならない決まりになっていた。

 トライアルの回数は最大で五回まで。それまでに審査にパスしなければリワイルダーになる許可は降りなかった。このトライアルで、志願者たちは野生での生存能力と覚悟のほどを試される。不適格者と判断されると一生リワイルダーになることはできない。

 ロウジはすでに二回トライアルを受け、いずれも途中でリタイアしていた。レイヴンの言ったとおり、残されたチャンスは今回を含めて三回のみ。レイヴンはロウジを担当するトライアル審査員だった。


 決意を叫んだロウジを、大鴉は黒いガラス玉のような眼球で冷ややかに見下ろしていた。


「『必ずなってやる』ですか。結構です。私も成功をお祈りしていますよ。最後に、何か質問は?……特にないですか。では、頑張ってくださいね」大鴉はそう言うと、ばっと翼を広げて飛び去った。

 ロウジは大木に背を向けると、茂みの奥に姿を消した。


 ロウジは茂みをかき分けながら進んだ。森は静かだった。鳥の鳴き声さえ聞こえない。

 哺乳類と同じく、DNAから再生された絶滅鳥類も野生での定着に失敗していた。どちらも脳の発達した高等動物だ。一方、昆虫などの無脊椎動物、それに魚類や両生類はDNAから再生された個体でも野生で生存し数を増やしていた。進化が進むほどDNAにない後天的な情報が重要になるのだろう。

 もちろんレイヴンは再生された鳥類などではなく、鳥系のリワイルダーだ。今では技術の進歩で哺乳類以外のリワイルダー化も可能になっていた。

 それにしても、イヤミなカラス野郎だ。人が失敗するのを望んでいるようにしか思えない。

 今度は絶対にリタイアなんてしないぞ。ロウジは怒りを胸に、決意を新たにした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ