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もう、いいの。

作者: 仲田憂城

 蓋し、是は僕の所為なのだろう。こういう決着は余りに暴力的で不始末だけれど、然し此の心の平静が来る日など望めそうにないから、大人に成れない僕は、こうする他になかったのだ。


「さとちゃん、ねえってば。」

んん、と曖昧な返事で答える。講義室の窓際の机、僕らはふたり、肩を寄せ合って座って居た。一限の眠たさに肘を附き、隣に居る彼女よりも、唯黒板を見て居る。かと言って、真摯に授業を受けて居るわけでもない、此の退屈が早く終わればいいのにと、それだけだ。尚も呼びかける彼女に、遂に僕は返す。

「何さ。」

「今週末空いてるでしょ?」

「うん。」

「何処か行こうよ。」

「遊びにか。」

「其れ以外何があるのよ。」

「……如何かな、木曜日にレポートを出さなきゃいけないし、金曜は試験があるからなァ。」と答えを渋る僕を促すように、彼女は続ける。

「何なら、近いところでもいいよ。兎に角さ、最近一緒に遊べてないじゃん、久々に予定がお互い空いてるんだし——何処でも良いから。」

僕は唸った。二人は暫く沈黙して、軈て彼女は「考えといてね。」と言って板書を写し始めた。

 今日の講義は、其れだけだった。彼女は平常通り、私は次の講義があるから、と僕に手を振って別棟へ行って了った。彼女の艶やかな黒髪を見つめて、軈て其れが自動開閉する扉の向こうに行ったのを認めると、僕は大学を出る方向へ進む。ふと、廿五号館を見た。否、サークルに呆けて居る場合でもないかと振り返って再び歩き出す。其の先に一人の男が見えた、僕は手を振って、半ば足早に彼に寄る。彼も又、入り口より此方へ向かって来た。

「や、虹村、お前もう帰るのか。」男は言う。

「今週は色々あってさ、レポートと試験、取り敢えず帰って支度をしなくちゃなんだ。」

「そうか、じゃサークルには来れねえか。」

「時灘、お前こそ今日はやけに早いな、どうした。」

「おん、あとひと月で学園祭だろ、其の準備だな。」

「そう、か。そうだったな。」

「来週でいいからさ、お前もサークルに顔出してくれよ。」

「おう、そうだな。」ゆっくりとすれ違わんとして居た僕らは、此の言葉を合図に手を振って別れた。僕はポケットから一対のイヤホンを取り出し耳に掛け、平静を歌った音楽のリズムに、心なしか足を合わせて帰路についた。

 次の日、明日にレポート提出を控えた僕は、大学からの帰宅の後ただちに筆を執るが、凡そ二時間経って集中の限界を迎えた。では、と参考書を開き、試験対策を進めようと試みるが、まるで頭が働かない。嗚呼世に言う「煮詰まった」とは此のこと——否、是は答えがほぼ明らかであることの喩えであるから、二進も三進も行かない此れとはまるで違うか。嗚呼しまった。此れを皮切りにまるで関係のないことばかり駆け巡る。ふと、昨日の講義の最中の出来事を思い出す。嗚呼そう言えば、未だ返事さえまともに返して居ない。さて、如何しようか。久々に用事が合ったのだから、僕の体力が許すなら、何処でも良い等と言わず、此処が良いという場所に共に行きたい。指を机に叩き、今迄の記憶を探る、何処か二人で行くのに良い場所は無いか、と。そうして記憶を辿って居る内、何時かの会話を思い出した。二人で学食を食べて居る時の何気ない一コマ、彼女が携帯を眺め、おお、と軽く驚き僕に見せた記事のこと。大学の最寄りよりさらに一駅行ったところに、遊園地が出来たのだという其の記事に、彼女は喜々として、近いからさ、休みが合えばさ、と呟いた。此れだ、僕は背凭れより上体を起こしてキーボードに指を乗せ、即座にかの遊園地のホームページへ辿り着いた。予約をせんとカーソルを合わせた時に、指が止まる。浮かれて居る此の僕に、眼前に控えた課題から来る不安が押し寄せたのだ。僕はじっくりとホームページを眺め、彼女との会話を何篇も反芻し、軈てよし、と膝を打った。僕は予約を確かに取り付ける。此の日の為に、今晩と明日で総てを終わらせて仕舞おう。そう思うと先に枯れた情熱にも再び火が付いた、僕はホームページを閉じて、再びテキストエディタに向かった。

 存外、其の日中にレポートは片付いた。僕はもとより飽きっぽい性質(たち)だから、此の情熱が残る内にと試験勉強に勤しんだ。珍しいことに、次の日も僕は何の障害もなく大学の講義の後、机に向かうことができた。けれど幾時間経っても範囲が終わらず、日が沈むにつれ、自分の怠惰を呪い乍ら必死に設問を解き進めた。指定の範囲の設問を網羅したのは、翌二時の事である。僕は四時間の睡眠の後、電車に乗って大学へ向かった。勿論道中、一秒たりとも参考書から目を離すことは無かった。三十分早く教室へ着いて、所定の席に座しノートを見返す。軈て試験の時間と為り、僕は最大の緊張の中、此れを解き進めた。此の試験に、僕は良い意味で裏切られた。僕の想定より遥かに、難易度が低かったのだ。嗚呼なんだ、と天を仰いで笑いたい位の気分になって、肩に圧し掛かったあらゆるものが滑り落ちて行くのを感じながら、最後の一問を解き終わった。残った十分は解き直しをするには余りに長く、次第に余計なことを考えるだけの余裕が生まれて、最早週末の予定で頭の中は一杯であった。試験が終わり教室から出て、僕は彼女に週末の予定を伝えようと直ぐに携帯を取り出した。すると、其の画面には幾件もの通知が表示されて居た。最新の履歴によって一つに纏められた其れらを眺めて、即座に僕は内容を確認しようと試みた。震える指で何回も入力を誤り、解錠に丗秒かかって漸く、僕はメッセージアプリを開く。彼女との会話履歴には、八件のメッセージが残って居た。「結局週末どうする?」という問いから、昨日の朝に始まった其の履歴を、結末を知り乍らも一件一件読んでいく。——私は何処でもいいよ——ね、せっかくだから行こうよ——でも、都合が悪いなら、無理は言わないけどさ——もしかして忙しい?——都合のいいときに連絡してよ、夜迄待つからさ——おーい——もう、いいよ。——普段そうしないからか、或いは、今だからそう見えるだけか、彼女の使う句点はとても深刻に見えた。昨晩十一時、此処で彼女のメッセージは終わって居る。僕は堪らず返信を打ち込む、「ごめん、試験勉強で見れなかった。明日、出掛けようよ。」僕は階段を駆け下りる。忽ち彼女は返した。「いいよ、無理しなくて。」メッセージは即座に返って来るが、然し内容は何処か気だるげだった。「無理なんかしてない、行こうよ。」僕は言う。今度はある程度の時間が経って、彼女が返した。「どうしたの、急に。」——急。僕は踊り場で立ち止まる。

「どうしたって、何が。」

「今迄あんなに素っ気なかったのに、急にさ。」

「だって試験勉強があるから」

「其れは昨日の話でしょ。今迄だよ。」

火曜の会話を再び思い出す。振り返って、僕の脳は甚く此れを拒絶する。自分に都合の悪いことは隠して了おうとするプログラムに阻まれ乍ら、己の立ち居振る舞いを見て、僕の指が止まった。二の句を告げられぬ僕を前に彼女は続ける。

「暫く、講義でしか会わない内にさ、冷めちゃったんでしょ。」

「だから、もう、いいの。」

——判らない。僕は彼女に何と返せば良い。僕のあらゆる答えを封殺されたそんな気がして、階段の手摺に凭れた。

「私も、冷めてたみたい。」

「思い返せば、別に気になってる人がいた。」

「別れよう、お互いの為に。」

直ぐに、携帯をポケットに仕舞った。僕はゆっくりと歩き出す。何か、返さなくては。でもどうやって、何を。探るようにゆっくり、虚ろな目で大学を歩く。気付けば駅に着いて居た。僕は反対の電車へ乗り、定期の範囲外の、遊園地のある隣駅へ向かった。改札を出て間も無く、光り輝くアーチが見えた。向こうには大きな観覧車もある。僕は其処にぽつぽつと人の入るのを眺めて、そして再び携帯を開いた。けれどメッセージを見る気にはならなくて、ソーシャルメディアのタイムラインを、ゆっくりと下へ擦沿(なぞ)った。すると、直ぐに時灘の投稿を見つけた。数分前のものだった。サークルが学園祭に向けて準備を進めて居ることを述べながら、一枚の写真を添付した。其処には彼と其の同級生三人と、あと彼女の姿があった。何てことない、同期五人の写真、けれど、この、隣り合った、殊に僕が親しくして居る二人が、横に並んで居るのを見て、何かを思わずには居られなかった。再びアーチを見て、僕は来た道を戻った。今度は大学の最寄りで下りず、此の儘帰る方へ進む。其の電車の中で、僕は参考書の代わりにひたすら()の画像を眺める。唯そうしても、僕の脳裏には彼らへの嫌悪に似た気持ちが生まれるばかりであった。過去の些細ないざこざが何個も思い出され、端から僕は嫌われて居たのかもしれないとさえ思う。どうして僕が居ないのにもかかわらず此奴らはこんなに楽しそうにして居るのだ。其れが解せなくて、やはり僕は排斥されたのだと知らされる。其の原因は——彼女の言葉を思い出し、此の状況は紛れもなく僕が作り出したものだと判って、発狂したい気持ちをぐっと抑え、帰路についた。エレベータを降り、自分の部屋の玄関に立つ。ドアを開き、中へ入る。其の儘ふらりふらりと歩き続け、忽ちサッシを超え、手摺を超えた。

 だから、もういいのだ。

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