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婚約破棄と、

婚約破棄と、その後の私

作者: 碧凪空

前作「婚約破棄と、胃痛の俺」のB面+ボーナストラックとなる侯爵令嬢視点です。一応単独でも読めなくもない、はず。

前作より名前がたくさん出てきますが、

バスケス侯爵令嬢=マリア(マリアネラ)

王女殿下=クリス(クリスティーナ)

リオス公子=レイ(レイナルド)

の三人だけ把握していただければあとは秒で忘れても大丈夫です。

「バスケス侯爵令嬢、貴様との婚約を破棄する!!」


 傍に男爵令嬢を侍らせた第一王子が、高らかに婚約者である侯爵令嬢(わたくし)を指差して宣言します。

 喧騒に包まれていたプロムナードの会場が、ぴたりと静まり返りました。


「これまで学院という場で権力を笠に着て、度々彼女……このカベーロ男爵令嬢に危害を加えていたようだが、それも今日まで。今ここで、貴様の悪行の全てを白日の元に晒してやろう!」


 それでどうして、あの方はそんなにも自慢げなのでしょうか。

 隣で大層力んで殺気を放っておられるお兄様は視界に入っておられないのでしょうか。

 かく言う私も、心がスゥと冷えていく心地が致します。


「まず、彼女への度重なる暴言。彼女が堪えていたのを良いことに、次第にエスカレートしていったそうだな! 最終的に人格まで否定するようなことを言われたと、涙ながらに俺たちへ打ち明けてくれたんだ」


 俺()()、ですか。

「……そういえば、レセンデス卿とグアハルド卿の二人がおりませんね」

 彼らもまたかの男爵令嬢に入れ揚げていたので、この場にいてもおかしくないと思うのですが。

「……殿下のご親友たる彼らなら、既に謹慎処分を受けているよ」

 扇子の裏で呟けば、兄がひっそりと教えてくれます。


「……早いですわね?」

「この場に彼らも加わると事態が大きくなりすぎて面倒だからね」


 面倒、という突き放したような表現に少し眉間に皺を寄せそうになりました。お兄様の表現なのか、あるいは、お兄様に指示を出された方の表現なのか。後者だとすると、リオス公子ではないでしょう。


「——そして他にも、度々彼女が授業をまともに受けられないように妨害していたそうではないか。ペアやグループを組む時はいつも除け者にしたり、配布物を彼女に回さなかったり、随分とせせこましい真似を繰り返したようだな」


 粗筋のわかっている三文芝居にも劣る茶番ですが、殿下の主張の端々で微かに響めきが広がります。特に学生でない方々にとっては、想像の斜め上を行く田舎芝居だったのでしょう。驚くほどの脚本の——もとい、殿下の主張の粗さが目立ちます。


「何より、彼女の私物を破損、隠匿したこと。教科書や筆記具を使えなくさせ勉強できないようにしたり、つい先日は彼女のドレスを破いて着替えられないようにしたりしたそうではないか! 卒業式後に着るドレスがないと相談されて、何があったかとようやく聞き出したら、ずたずたに裂かれて着られなくなったと聞いたから、俺たちでドレスを贈ったんだ」


 昔はここまで、浅慮な方ではなかったと思うのですが。

 いいえ、私自身、きちんと最近の殿下御自身を見ていなかったということなのでしょうね。


「以上、このような悪辣な真似をする女性を王族に加えるわけにはいかない!よって、貴様との婚約を破棄し、こちらの令嬢を新たな婚約者とする!!」


 殿下のやけに得意満面の宣言に、痛いほどの沈黙が訪れます。


 それを破ったのは、陛下の一言でした。 


「バスケス侯爵令嬢の発言を許可する」


 前に一歩進み出て一礼致しますと、耳目がこちらへ集まったことを感じます。

 ゆっくりと頭を上げつつ周囲を確認し、他の役者の立ち位置を確認します。


 あぁ、居ました。王族の立ち位置近く、されど絶妙に目立たぬ位置に、リオス公子とクリスティーナ王女殿下が連れ添っておいでです。既に彼が胃を押さえているようですが、特効薬が隣にいるので大丈夫でしょう、多分。


「私、マリアネラ・デ・バスケス・イ・アラーニャの名において、証言致します。私は、そこにいるカベーロ男爵令嬢に対し危害を加えた覚えはありません」


 はっきりと、まずは明言しておきます。


「嘘です!」


 甲高い声で叫んだカベーロ男爵令嬢が、私の方をきっと睨みつけてきます。


「マリア様、あたしはただ、貴方に謝ってほしいだけなんです。素直になって下さい!」


 目に涙を浮かべ、胸の前で両手を組み哀願する姿は、見ようによっては庇護欲をそそるのかもしれません。


「素直になれと言われましても、やってもいないことを謝罪するなんてできませんもの」


 似合わないと知りつつあえて幼子のように首を傾げれば、さっと彼女の頬に朱が走ります。

 王女殿下に授けられた作戦なのですが、果たして有効なのでしょうか。


「ふざけないでください! 散々あたしのこと、平民のくせにとか、平民のほうがお似合いだとか、言ったじゃないですか!!」


「どうやら、認識に齟齬があるようですわね」


 首を傾げたまま、頬に手をあててため息をつけば、殿下と男爵令嬢の目つきが剣呑になったのを感じます。


「どういう意味だ!」


「貴方が勉強面で遅れていることを『平民出身だから』と二言目に言い訳することに対して、それを免罪符にするなと注意したことはあります」


「なっ、あたし、そんなこと、」


「授業で指名されて答えられなかったり、グループワークで言われるまで何もしなかったり。それについて注意されるたびに、貴方は『あたし平民育ちなので、貴族のみなさんの常識で言われても分からないです』と言っていたわね。それに対して私は、『平民出身故に足りないものがあると自覚するならば、それを補う努力をなさい』と、何度もそう言ったはずですが」


 淡々と詰ると、男爵令嬢は無言でふるふると首を横に振ります。

 彼女を庇うように、殿下が前に進み出ます。


「彼女は貴族としての振る舞いに不慣れなんだ! 周りの者が助けてやればいい!」


「ですから、私が率先して再三注意していたのです」


「もっと優しくやることはできないのか!!」


 激昂した殿下に、冷めた眼差しを送ります。


「私とて、初めは不慣れ故、無知故の仕方がない行動と考えておりました。ですので、丁寧に教えるように気を付けておりましたし、何も分からない中で指摘した者によって教え方が異なれば混乱するだろうと思い、他の方には直接の注意は控えるようにお願いしたのです」


「なんだと!?」


 殿下が会場を見渡すと、私の視界に映る範囲内だけでも幾人もの同級生たちが頷いています。

 

「恐れながら、発言をお許しいただけますでしょうか」


 颯爽と、一人の令嬢が私の前まで歩み出てきます。私を殿下から庇うような立ち位置をとった彼女は、伯爵令嬢であり、私の友人であり、騎士見習いとして護衛役であり、カベーロ男爵令嬢に入れ揚げた殿下の友人の婚約者でした。


「そなたは、カルモナ伯の娘か。許そう」

「ありがとう存じます」


 彼女は直立不動の姿勢をとると、騎士見習いらしい朗々とした声で話し始めました。


「バスケス侯爵令嬢の仰ったことは事実です。入学直後の礼儀作法の授業で、バスケス侯爵令嬢がカベーロ男爵令嬢の指南役になられた時、すぐに『分からない』と投げ出す男爵令嬢に対し、何度でも丹念に説明しておいででした。見ているこちらがもどかしくなってしまって、つい口を挟んでしまった時、バスケス令嬢に止められたのです。『あれこれ言われると逆に分からなくなってしまうと思うから、私に任せてもらえるかしら。何か気になる点があったならば、まず私に伝えて』と」


「っそれは、授業内での話だろう!」


 殿下の反駁に、いいえ、と反論します。


「授業後に改めて言われたのです。他のことについても、自分が対処すると。そう他の生徒にも知らせてほしいと」


 えぇ、確かにそう言いました。


「証拠は!?」


「私の証言だけでは不十分だとおっしゃるなら、騎士見習いとして当時提出した週報に詳細に記載しております。どうぞご確認ください」


 一切揺らがぬ彼女に気圧されたのか、殿下の剣幕が霧散します。


 しかし、証拠、ですか。


「そもそも、私の行動や発言は、王家より派遣された護衛により常に記録されております。王族の方であれば閲覧可能なものですが、確認しておられないのですか?」


 友人の隣に進み出ながら王子殿下に問えば、一転して鋭い視線が私に向けられる。


「被害者である彼女の証言がある以上、貴様の罪は明らかだ。彼女に平民の方がお似合いだ、などと言ったのはどういう了見だ?」


「他にも在学中は色々と彼女に注意しましたが、あまりにも改善が見られないため、『貴族として馴染む気がないのであれば平民に嫁いで平民に戻った方が貴方にとって幸せなのでなくて?』とは言った覚えがありますが……」


「色々と注意した、だと? 本当か?」


「具体的には——貴族の一員となったならば、己が家名を背負っているのだと自覚して行動しなさい。貴族子女たるもの、異性に対し節度を保った付き合いを保つように。まして婚約者のいる殿方相手に馴れ馴れしく振る舞うのはおやめなさい」


 男爵令嬢は聞きたくないとばかりに耳を塞ぎ、体を震わせます。

 あくまでも、暴言を受けた被害者ぶるつもりでしょうか。


「そんなことを言っていたのか!?」


「そんなこと、と言われましても。私はそれが貴族の常識だと思っておりましたので」


 違いますか? と会場を見渡せば、王妃殿下が大きく頷いてくださいました。他の保護者の中にも、頷いている方々が見受けられます。


 流石に劣勢を感じ取ったのか、王子殿下は次だ! と鋭く声を上げられました。


「彼女が授業を受けられないように妨害していたのは!?」


「グループワーク等で除け者にされていた件は彼女の振る舞いが理由ですわ。真面目に学ぶ気がない者と、進んで組みたいと思う学生がどれだけおりますでしょうか」


「嘘です! あたしと組まないように、マリア様が指示を出したんでしょう!?」


「私と貴方で同じ授業を受ける場合は、私が貴方と組みますとは伝えておりましたわね」


「どうしてそんなことを!?」


「先ほど申し上げたように、貴方への説明役を私に統一するためですわ。それが最善であると考えておりましたので」


「じゃあ、あたしに課題が配られなかったりしたのは!?」


「私その件は把握していなくて……。二年生になってからは貴方と同じ授業を受ける機会が減っていましたし。——そもそも、そんな学業を妨げるようなことはしておりません」


「貴様自身が行っていなくとも、誰かに指示してやらせたのだろう! 他にも、彼女の私物を壊したり、失くしたりしたことは、どう説明する!?」


「誓って、そのような器物損壊行為はしておりません。私が指示を出したかどうかも、記録を確認頂ければと」


 王女殿下の方を見遣ると、頼もしい頷きが返ってきます。


 やっていないことの証明は本来難しいことですが、王族に準じる立場として護衛兼監視が付けられている立場が幸いしました。

 

 またここまで断言できるのは、王女殿下が面倒な手順を踏んで事前に全ての記録を確認して下さったお陰でもあります。


「逆に伺いたいのですが、私がカベーロ男爵令嬢の私物を損なうように、どなたに指示を出したというのです?」


 首を傾げて問い返せば、王子殿下の視線が私の隣に移ります。


「私も、家名と騎士道精神に誓って、そのような犯罪行為はしておりません」


 自らの証言を終えてなお傍に控え続けていてくれた友人は、きっぱりと宣言します。


「では、」


 殿下の視線が私たちの背後の他の学生に移ったところで、ざわめきと近づいてくる足音が聞こえてきました。


「お、恐れ入ります! 発言をお許し頂けますでしょうか!」


 左を振り返れば、三人の令嬢が少し震えながら進み出てきました。男爵家と子爵家の出身であまり交流はありませんが、何度か会話した覚えがあります。——そういえば。


「許そう」


 陛下の言葉に初々しい礼を返した彼女たちは順番に家名を名乗り、先頭の令嬢が震える両手を胸の前で組みながら口を開きました。


「わたしの証言は二つあります。一つは、配布物等がカベーロ男爵令嬢に渡らなかったことがある件です。その原因は、彼女が授業に欠席していたり、遅刻や早退を繰り返していたことにあります」


 彼女の証言に、会場全体にどよめきが走ります。愕然、呆然、倦厭、失望……いずれにせよ、良い感情ではありません。


「デタラメ言わないで!」


「陛下の御前で、出鱈目など申しません。——不在中に配られたものや、周知された課題について、初めはカベーロ男爵令嬢と寮の部屋が近いわたしたちが届けたり伝言したりしていたのですが、頻度が高くなるにつれて、自己責任とすると教師より伝達がありました」


「嘘よ! 聞いてないわ!!」


 絶叫する男爵令嬢が証言中の令嬢に詰め寄ろうとして、遮るように出された腕に阻まれ蹈鞴を踏みます。いつの間にか、友人の彼女が令嬢たちを庇うように間に立ってカベーロ男爵令嬢を制していました。見事な早業です。


「証言を続けてください」


 振り返らずに発された台詞に先頭の令嬢はこくんと頷くと、ゆっくり息を吸いました。


「もう一つは、カベーロ男爵令嬢の私物の件です。あれは、一年生の終わり頃のことです。放課後噴水のそばにいた彼女が、抱えていた荷物を噴水に撒いた上で、悲鳴を上げて噴水の中に入っていく様を、わたしは目撃いたしました」


「私もその一部始終を見ておりました。何が起きているのか分からず初めはただ見守っているばかりでしたが、彼女が噴水に入っていく様を見て、慌てて保健室にタオルを借りに動きました」


「わたくしも見ておりました。わたくしは、バスケス侯爵令嬢にお伝えするべきかと思い、探しに行きました」


 後ろで控えていた令嬢たちの証言を受けて、私も詳細を思い出しました。


「そちらの令嬢に呼ばれて、私も現場に向かいました。噴水の中で濡れそぼって教科書を拾い集めていたカベーロ男爵令嬢に何があったのか問うたのです。するとなぜか、こう言われたのです」


 あまりに予想外だったため、前後の記憶が薄れるほどの衝撃がありましたから、よく覚えています。


『ひどいです、マリア様! あたしの教科書をびしょびしょにするなんて!! そんなにあたしが目障りですか!?』


 彼女の言い方をそのまま真似ると、奇妙な沈黙が訪れました。——少々気まずいです。


「私もそう言っているのを聞きました。あのとき噴水周辺には私たちが行くまで彼女以外に誰もいなかったのに、なにいってるんだろうって、そう思って。そうしたらちょうどグアハルド卿がいらして、『貴様ら、彼女に何をした!?』って、すごい剣幕で。何もしていないって言っても、信じてもらえなくて……」


 後半は涙交じりの声になってしまい、他の令嬢たちが背を撫でたりして落ち着かせています。

 

「違います! あたしは自分の教科書とかがなくて、探してたら噴水の中に落ちてて、それで……!」


「じゃあなんで、私がタオル持って行って、何度も声をかけたのに、無視したんですか!?」


「そんなことしてません!!」


 あくまで否定するカベーロ男爵令嬢に、私を呼びにきていた令嬢が冷静に問いかけます。


「もう一点、よろしいでしょうか。先日寮で、わたくしに裁縫道具を借りにきましたよね?」


「……だったら何?」


「ドレスを手直ししたいけど道具がないから貸して欲しい、と言って借りて行ったのに、ものの十分程度で返しにきたり、中を確認したら裁ち鋏以外に使った痕跡がなかったりしたから、気になっていたのです。一体、何に使ったのですか?」


「なっ、直そうとしたんだけど、うまくいかなかったのよ」


 視線を逸らし、口籠っての発言に、疑いの眼差しが、カベーロ男爵令嬢に注がれます。


「ドレスを直そうとして、いきなり鋏を入れたのですか? 仮にそれで失敗したとして……どうしてそれが、バスケス侯爵令嬢が命じてドレスを損じたなんて話になっているのでしょうか?」


 舌鋒鋭く切り込んでいく彼女に、カベーロ男爵令嬢はわかりやすくたじろぎました。


「それとこれとは違う話よ!」


「そうなのですか? だとするなら……」


「黙れ!」


 なおも切り込もうとした彼女ですが、王子殿下が叫んだことで口をつぐみます。


「貴様らの発言が事実だという証拠はどこにある!?」


 あまりの剣幕に、思わず彼女たちを庇うように体が動いてしまいました。殿下が話の流れを変えたことで、男爵令嬢の表情に喜色が浮かびます。


「わたしは! 配布物のことも、噴水でのことも、日記に記録をしています! 証拠として必要なのであれば、提出する用意もしてあります!」


「私は噴水の件は保健室にタオルの貸し出し記録が残っているはずですし、実家を通じてグアハルド卿に抗議してもらおうと思い、両親に手紙で報告しております。必要であれば、手紙を証拠として提出いたします」


「裁縫道具に関しては、不審に思った時点で素手ではそれ以上触らず、部屋に保管してあります。調査が必要であれば、いつでもお渡しできます。また報告のため、いずれの件についても手紙を書いております」


 順に彼女たちが証言すると、殿下が顔を歪めて舌打ちしました。


 あまりの態度に注意しようとした矢先、手を打ち鳴らす乾いた音が壇上から響きました。音の方を辿れば、陛下が立ち上がっておいでです。


「双方、そこまでだ。第一王子とバスケス侯爵令嬢の婚約破棄を認める。その上で、第一王子の継承権を剥奪し、成人後は臣籍降下することをここに宣言する」


 力強い宣言に、会場が静まり返ります。継承権の剥奪という重い罰に、誰よりも王子殿下が困惑している様子が窺えます。


「ありえない!」


「ありえない? なにがありえないというのです?」


「だって、そうでしょう母上! 彼女との婚約を破棄しただけで、なぜ継承権を剥奪されねばらないのです!? 俺になんの非があるというのですか!?」


 つかつかとお兄様が殿下に詰め寄りかけていることに気づき、そっと腕を引きます。気持ちはわかりますが、抑えてくださいませ。


「リオス公子」


「はい、ここに」


「そなたの方から説明しておやり。我らをこの場に集めたのはそなたでしょう」


 王妃殿下から水を向けられ、いままで沈黙していたリオス公子に注目が移ります。


「御意のままに」


 彼の婚約者である王女殿下と仲睦まじく連れ添っている様は、王子殿下と好対照です。——いつ見ても、羨ましいものです。


「さて、——よく聞け、アホ王子」


 公の場で彼が毒を吐くのは珍しくて、思わずまじまじと見てしまいました。後の言葉が何も入ってこなくて、お兄様に軽く肩を叩かれてようやく我に返ります。


「マリア、大丈夫か?」

「え、えぇ……。少し疲れましたが、事前に王女殿下から概要を伺っていましたから、衝撃はそこまでではありません」


 婚約破棄騒動は勃発したものでしたが、いずれ婚約が解消される可能性は一年以上前から教えられていたので、殿下に対する感情も怒りよりは呆れの方が強いのです。


「あぁいや、殿下に対してもだが……」


 奥歯に物が挟まったようなお兄様の言い方に、私は首を傾げます。お兄様はブツブツと口元を覆って一人の世界に入ってしまったので、続きは後で聞くことにいたしましょう。


「そうして材料が集まり、後押ししてくれる相手も見つかり、漸く婚約を解消する準備を整えたところで、あなた方が今日のプロムで一方的な婚約破棄を行おうとしていると聞いた時は、もうどうしてくれようかと。慌てて、各方面に連絡し、こうして必要な方々をご招待しておいたわけです。——ご理解頂けましたか?」

 

 ちょうど種明かしが終わったところのようです。すっかり青ざめた王子殿下とカベーロ男爵令嬢が、リオス公子の圧に負けて頷いています。


「さて、此度の騒動はそういうわけだ。——バスケス侯爵令嬢、そなたには苦労をかけた。すまない」


 目礼のみならず頭を下げる国王陛下の姿に、これまでの十六年間が走馬灯のように思い出されます。


「いいえ、国王陛下。私にも至らぬ点がございました。ご期待に沿えず、申し訳ございません」


 脳裏をよぎったのは、リオス公子と王女殿下の姿でした。あの二人と、私と王子殿下と、何が違ったというのか。思わず陛下に返答する前に、彼らの方を見てしまいました。


「ふむ、リオス公子に何か言われたか?」


「正論を唱えているだけでは、人は動かせないと。また、己の信ずることだけが、万人にとっての正解ではないと」


 学院入学前、王子殿下との関係修復を意気込んでいた私ですが、結果は暗澹たる有様でした。見かねたのか、当時リオス公子にかけられたのが、この言葉でした。

 そう言われて私なりに考えるようになり、友人たちからは少し柔らかくなったと言われました。残念ながら殿下との関係修復はなりませんでしたが——逆に、彼らにとっての正解と私の正解が決して交わらなかったのだろうと、割り切ることもできました。


「そうだな、それもまた一つの真理であろうよ。バスケス侯爵令嬢、其方には今後も期待している」


 陛下の温かいお言葉に、胸の奥に火が灯ったような心地がします。


「ありがとう存じます」


 一礼して会場の中心から少し外れるようにお兄様と共に後退します。

 空気を変えるように咳払いして、国王陛下が口を開いた。


「さて、ではもう一つ発表しよう」


 ……はい?

 王女殿下から聞いていたのと違う筋書きに、思わず目を瞬かせます。

  

「そこの王子の継承権を剥奪した以上、次に継承権が高い者が次期王位継承者となる。すなわち、そこにいるクリスティーナ第一王女が、次の王となる」


 二人の方を見れば、彼らの方も困惑しているようです。顔を見合わせて——王女殿下が頬を赤らめました。何を言われたんでしょう。


「拝命いたします」


 王女殿下がリオス公子と距離をとり、見事なカーテシーを披露します。


「そして、彼女の婚約者であり、今回尽力してくれたリオス公子。そなたにも王配として、期待している」


「身命を賭して」


 リオス公子も優雅に礼をとります。さすが、堂に入った振る舞いです。


「さて、これで前座は終いだ。ここからは、次代を担う若者たちの門出を存分に祝おうではないか」


 陛下の言葉に、これまで沈黙を保っていた楽団が演奏を始めました。

 自然とリオス公子と王女殿下を残すように、人が動き始めます。

 私も友人とお兄様と歩調を合わせ、少しずつ後ろへ下がります。


 王子殿下と男爵令嬢がその場に残っていたのは、衛兵たちに回収されていきました。入れ替わるように、手を取り合った王女殿下とリオス公子が、広く空けられたホールの中心へ進み出ます。

 流れるように、彼らが踊り始めました。


「マリア」

「なんでしょう、お兄様」


 息の合った二人のダンスを眺めていると、お兄様が躊躇いがちに口を開きました。


「リオス公子のこと、なんだが……彼に対する未練はもう良いのか?」


「……はい?」


 思わず兄の方を振り返ると、冗談ではないと分かる真剣な表情を浮かべています。彼に対する未練、という言葉にかつて綺麗に仕舞い込んだはずの感情が疼いて来るのを感じます。咄嗟に胸を押さえて、彼の方を見てしまったではありませんか。


 これでは、未練があると言っているも同然です。


「どうして今そんなことを?」


「先ほど、クリスティーナ王女殿下が王位継承すると陛下が明言されただろう」


「そうですわね」


 継承権順に考えるならば、わざわざ宣言せずとも王子殿下の次は王女殿下です。それでもあえて宣言したのは、ある思惑を封じる意図がありました。


「これで、リオス公子を王位に担ぎ出そうとする者たちはおとなしくなることでしょう」


 本来リオス公子の継承順位は十指に入るかどうかというところ。ただし、その継承権はリオス公爵家に婿入りした先王の弟——現国王陛下の叔父上から連なる男系での継承権であり、男系優位を唱える派閥にとっても、正統性に疑う余地はありません。

 王女を娶ることでその正統性をさらに強固にするならば、彼自身が王に立つことも可能であるほど。

 実際、女王という存在(イレギュラー)を戴くくらいなら、彼を王にしようとする派閥は存在しています。


「陛下があえて宣言された理由については今は良い。ただ、その」


 お兄様は逡巡ののちに少しかがむと、限りなく声を潜めて私に耳打ちします。


「それによって、お前がリオス公子——レイナルド・デ・リオス・イ・バルデスに嫁ぐことは、ほぼ不可能になっただろう?」


「——それは、元々、万に一つも、あり得なかった未来ですわ」


 今までどんな表情を浮かべたら良いのかわからなくなっていましたが、兄の発言には苦笑しか浮かびません。


 あまりこのような場で話す話題でもない気がしますが——まぁ、少しならば良いでしょうか。


「仮にリオス公子が王に立ったとて、今の王家が第二妃の存在を容認するはずがありません。それは、今の王家に王冠が移った経緯を考えれば明らかです」


 かつてはこの国でも、一夫多妻を認めていた時代や王に公妾が認められていた時代がありました。

 しかし、今から百五十年ほど前の話です。当時の王家は正当な世継ぎが姫一人しかおらず、その姫が王配を迎えて女王として即位しました。

 女王陛下とその王配の間には子が恵まれず、王配は外に愛人を作り、そしてその愛人との間には子供が産まれました。

 そして、子が産まれないのは女王のせいだと触れて回った王配は、愛人を第二妃として召し上げようと画策。更にはあろうことか、自らと愛人との子供に王位を求めて反乱を起こしました。

 これを女王陛下の代理として鎮圧した傍系の王位継承者が、今の王家の祖です。女王陛下が亡くなられた際、遺言として彼に王冠が渡りました。


「同じ過ちを繰り返さぬため、婚姻は一夫一妻を基本とする、か」


「何より、見てくださいな、お兄様。()()()()()も、完全に二人の世界に入ってしまっているではありませんか」


 互いに相手しか見えていないような、そんなダンスを披露する二人。十年前から、ずっとあぁなのです。

 

 憧憬と、僅かな嫉妬と、淡い恋慕。疼く思いを再び仕舞い込みながら、視線を幼馴染たちから兄に戻します。


「レイったら、本当に、昔からクリスのことしか見えていないんです。学院でも、彼は女子生徒から人気がありましたけど、どうやら全く気付いていなかったようですし」


「人気があった? アレが?」


 兄も昔からレイのことをよく知っている一人ですが、年が離れていて学院では在籍が重ならなかったことで、想像がつかないようです。


「えぇ。なんでも、クリス王女殿下に一途で誠実なところが良いのだそうですよ。私、彼女たちの気持ちがとってもよくわかります」


「……すまない、さっぱりわからん」


 しばし沈黙して咀嚼していた様子の兄でしたが、残念ながら理解してもらえなかったようです。


「つまりですわね……」


 解説しようとしたその時、周囲から「きゃあ」と黄色い悲鳴が上がります。

 ぱっと幼馴染たちの方に視線を戻せば、二人が抱き合っているではありませんか。


 あらまぁ。


 壇上の国王陛下と王妃殿下が拍手し始めたのを皮切りに、会場内が万雷の拍手に包まれます。

 本来ならはしたないと眉を顰められそうな振る舞いですが、先ほどの婚約破棄劇の印象を払拭するにはこの上ないパフォーマンスでしょう。何より、王妃殿下が満面の笑みを浮かべていらっしゃいます。ここで苦言を呈する者はおりません。


 肝心の二人は真っ赤になって周囲を見渡すと、さっと距離をとりました。


「いやはや、仲が良いようで何よりだ」


 陛下が話し始めたことですぐに静まり返ります。


「えぇ、仲睦まじいようで、安心したわ」

 

 涙交じりの王妃殿下の声に、幾人もの方が頷いているのが見えます。


「さぁ、まだ宴は始まったばかりだ。皆も!」


 陛下の声かけに、楽団が新たな曲を演奏し始めます。

 

 他の卒業生たちが手に手をとって歩み出ていくのを見ていたら、ふと、閃いてしまいました。


 ——思い出作り、しておいてもよいかもしれません。


 じぃっとレイの方を見つめていると、彼が会場を見渡し始め、一瞬目が合ったような気がしました。が、すぐにクリスに耳を引かれて彼女の方に戻ってしまいます。


 ふむ。まぁまだ、チャンスはありますし。


「お兄様、私たちも踊りませんこと?」


「リオス公子はいいのか?」


「まだクリスが離してくれないようですので、後ほど挨拶がてら行ってきますわ」


 肩を竦めながら手を差し出すと、お兄様が恭しくエスコートしてくださいます。


「それでですね、先ほどの続きなのですが……」


 学院でいかにレイの人気が高かったのか、どうして高かったのかを滔々と語ります。

 お兄様は始めは珍味を口にしたような表情でしたが、だんだん渋いものを口に含んだかのような表情に変わってゆきます。


「お前、本当に未練はないのか?」


「ですから、あくまでクリスに向けての一途さが好ましいという話で、自分がその対象になりたいというわけではないのです。……まぁ、恋愛小説を読んだ時に、うっかり男主人公をレイに置き換えて考えてしまったりしたことはありますが」


 今考えるとだいぶ痛々しい行動でした。寮の部屋でお泊まり会をした時に、人気だという恋愛小説の話になり、その主人公がレイに似ているとかなんとかでついうっかり私も借りて読んでしまったのです。


「……理解できん」


 あら、完全に匙を投げられてしまいました。

 ちょうど曲が切り替わる頃合いだったため、連れ立って王女殿下とリオス公子の元へ向かいます。


「あら、バスケス卿とマリアじゃない。マリア、卒業おめでとう」


 先に気付いてくれたクリスが砕けた話し方をしているので、そちらに合わせます。


「ありがとう。クリスは、また来年ね?」

「そうね。来年は、何事もなく終わればいいと思ってるわ」


 冗談とも本気とも取れる発言に、思わず苦笑いを返します。


「レイ、卒業おめでとう。クリス殿下も、此度の継承、おめでとうございます」


 お兄様の発言に、今度は二人が顔を見合わせて困り笑いを浮かべます。王位継承争いに参加する気はないと公言していたこともある彼らにとって、この結末は望んだものではなかったのでしょう。


「王女殿下。私に、殿下と踊る栄誉を与えていただけますか」


 空気を変えるように、お兄様がクリスに一礼して手を差し出します。

 すでに婚約者のいるお兄様であれば、変な噂が立つこともなく、卒業生ではありませんが高位貴族の嫡男なので序盤に王女殿下と踊っても問題ありません。

 しばし逡巡していたクリスでしたが、最終的にはお兄様の手を取りました。


 そうすると、残されたのは私とレイです。


「では、バスケス侯爵令嬢。俺と踊っていただけますか?」


 少し戯けたような仕草で差し出されましたが、手を取るにはちょっと勇気が要りました。


「えぇ、喜んで」


 声が震えないように、足がすくまないように。ここまで一挙手一投足に気を遣うのは久しぶりです。

 自分では割り切っていたつもりでしたが、お兄様の言う通り、未練が残っているのかもしれません。


 ならば、いっそぶつけてみましょう。


「レイ、大事な話があるんだけど」


 向かい合って踊り始めてすぐに、切り出します。


「何?」


「私、……あなたのことが、好きだったの」


 言われた瞬間の彼の表情は、純粋な驚きに満ちたものでした。


「え? いや、えぇ? いつから?」


 照れるでもなく、ただただ困惑する態度に、やはり脈はなかったようだと得心します。


「昔、——王子殿下に対して、どうして私を大事にしないのかと、怒鳴ってくれていたでしょう。あの時からよ」


「え、何それ。いつの話?」


 そこで首を捻られてしまうとは思いませんでした。


「クリスと私が刺繍の授業を終えて、手巾を贈りに剣術の授業を見学しに行ったときがあったでしょう? あの時、二人で喧嘩してて、ボロボロになってて……作ったばかりの手巾で、手当をする羽目になるとは思ってなかったわ」


「えーっと、あぁ、あの時か。ごめん、王子と稽古なのか喧嘩なのかの取っ組み合いするの、あの頃は日常茶飯事だったからさ。確かあの時は、多分俺がクリスに尽くしてるのを馬鹿にされて、お前はむしろもっと婚約者大事にしろよ! って喧嘩したんだった、と思う」


「稽古中に喧嘩していたのは聞いていましたけど……日常的に?」


「うん。俺と殿下の体格差が広がって、手合わせが危ないって判断されるまではほぼ毎日」


 同じ年の二人ですが、生まれ月の関係なのか、身長の伸びに差があったのは覚えています。


「あー。で、えっと、うん。俺が聞きたかったいつからっていうのは、そういう意味じゃなくて」


「じゃあどういう意味?」


「マリア、最初は俺のこと嫌ってたは言い過ぎかもしれないけど、良く思ってなかったでしょ?」


 さらっと言われて、一瞬何のことか分かりませんでした。


「途中から壁がなくなったな、とは感じてたんだけど、それもあって、まさか好意を持たれてるとは思ってなかった」


「それ、本っ当に出会ったばかりの頃の話ね? 確かに、あの頃はそうだったわ」


 突然対抗馬として用意された王女殿下の婚約者で、優秀なのに卑屈で気弱で芯がなくて。

 それまで神童だなんだと家庭教師にもてはやされていた私は、降って沸いた彼を敵だとすら思っていました。


「段々と、何に対してかは知らなかったけど、一心に努力していることに気付いて、見直したのよ」


「じゃあ、それはクリスのお陰だ。クリスの婚約者として頑張らなくちゃっていうのが、今も昔の俺の原動力だから」


 衒いもなく笑う様は、本当に眩しくて。敵わないなぁと、思わず呟いてしまいます。


「あぁ、もう。私の入る隙なんて一分たりともないと、改めて理解したわ」


 前々から分かっていたことですが、こうも眼中にないとは。

 ようやく、完全に吹っ切れそうです。


 ふと、レイは真剣な表情になりました。


「好意を向けてくれたことはありがとう。けど、俺はクリスが『唯一』だから、君の気持ちには応えられない。ごめんね?」


「はっきりと振ってくれてどうもありがとう。もう暫くだけ、想い出作りの為にも時間を頂戴」


 再び仕舞い込むのではなく、片隅にひっそりと飾れるように、昇華させてみせるから。


「了解」


 それから、幼い頃の他愛ない思い出話に花を咲かせて。

 一曲踊り終えて離れた途端、人垣に囲まれます。


「バスケス侯爵令嬢、自分と踊って頂けますか」


「リオス公子!」


「マリアネラ様!」


「レイナルド様!」


 あっという間に、彼とは分かたれてしまいました。


「少々お待ちくださいな。順番にお話しさせて頂きますから」


 学院を卒業してしまえば、一人前と見做され気軽に身分を超えて話す機会は少なくなります。これもまた、一つの思い出作りです。


 そうして以降のプロムナードの夜は、賑やかに、しかし和やかに終えることができました。


   * * *


 そして、卒業から半月後。


「マリアネラ・デ・バスケス・イ・アラーニャ。其方を大学都市ザイティスへの留学生に推薦する」


「謹んで、お受けいたします」


 陛下の執務室に参上した私は、一通の推薦状を受け取っておりました。


 大学都市ザイディスは中立都市国家として、学問の都として名高い地です。

 近年、更なる学問の発展のため、これまで少なかった女性研究者を増やす取り組みを進めており、各国から優秀な女性が集められていると聞いていました。


 恐れ多くも、私もその一枠に推薦して頂いたのです。


 外務大臣の娘として多言語に通じ、学院でも優秀な成績を修めていたためと、先ほど宰相閣下より伺いました。

 そして、王族のとある方からの強い推薦があったとのこと。

 

 陛下の御前を辞して、王族の方々が私的に使う応接間へ向かいます。


 入り口にいたメイドに扉を開けてもらって入室しましたが、茶会の用意は整っているというのに、中には誰も居りません。

 不思議に思って見回していると、後ろから足音が聞こえたと思ったら衝撃に襲われました。


「なっ!? 何事ですか!?」


 慌てて振り返ると、肩口に見慣れたつむじが見えました。


「クリス!? ちょっと、ぐりぐり押し付けないで!?」


 腰にしがみついたまま無言で縋り付いてくる幼馴染に、どうして良いか分からず立ち尽くします。


 暫くうーうー唸っていた彼女でしたが、漸く落ち着いたのか離れてくれました。


「どうしたの、クリス?」


 自分より少し低い位置にある彼女の目線に少し屈んで合わせると、彼女の双眸が潤んでいることに気が付きました。


「陛下から推薦状を受け取ったのでしょう?」


「えぇ。推薦してくれてありがとう、クリス」


 確信を持って礼を伝えると、彼女の顔がくしゃりと泣き笑いに歪みます。


「どう致しまして。母上には反対されたけど、押し切って良かったわ」


「……そこで私の意見を聞く前に押し切るあたり、本当兄妹よね」


 しみじみと溢すと、別の意味でクリスの顔が歪みました。とても王女がして良い表情ではありません。


「王妃殿下が反対された理由は?」


「王家の都合に振り回したのに、まだ振り回すつもりかって。それより、誰か別の良い人に嫁ぐのはどうかしらって」


「それは……ちょっと。私もお母様に言われて考えてはみたけれど、王命ならともかく自分の意思で嫁ぎたいかと聞かれると……」


 母にそう答えると、そうよね、と苦笑していました。


「母上も一度マリアの意向を直接確認したいと言っていたから、今後呼ばれる機会があるかもしれないわ」


「承知したわ。ところで、クリスはどうして、そこまでしてくれたの? きっと、反対意見も少なくなかったでしょう?」


 大学都市ザイディスへの女性留学者は、我が国からはまだ一人も推薦していなかった筈です。

 他国はというと、既に国内で何らかの功績のある女性を送っていることが多く、結果ある程度年配の留学生が多いようです。私のような学院を卒業したばかりの若者の留学は、男性では聞きますが女性ではあまり聞いた覚えがありません。


 二重に前例のない推薦を押し通すのは、いくら王女といえども、まだ実績の少ないクリスでは困難も多かったはずです。


 じっと彼女を見つめると、ふいっと顔を逸らされてしまいました。ですが、半分結い上げた髪から覗く耳が赤いのは、きっと見間違いではありません。

 

「……だって、どうしても私の治世にマリアは欲しかったんだもの」


 拗ねたような言い方にも、その内容にも、思わず笑みが溢れてしまいます。


「あぁ、もう! 折角用意したのだから、あとは座ってお茶をしながら話しましょう?」


 背に回ったクリスにぐいぐいと押されて、ソファの方へ向かいます。一応押さないで、と声はかけてみますが、大変良い笑顔で嫌! と拒否されてしまいました。


 今日の茶会は長椅子に並んで座るように設られています。結局クリスに押されるまま長椅子に座ると、クリスがベルを鳴らしメイドを呼び、手早く熱い紅茶が用意されます。


 そして、給仕の一人を残してあっという間に去って行きました。あまりの手際に唖然とするよりありません。


 思わずクリスの方をまじまじと見ると、得意げな笑みを浮かべています。どちらからともなく吹き出してしまって、幼い頃のように声を上げて笑ってしまいます。


 ひとしきり笑って、少し落ち着いて。温くなり始めている紅茶を飲むと、思ったより喉が渇いていたことに気づきました。


「あぁ、美味しい」


 無作法ながら一気に飲み干してしまうと、間を置かず次の紅茶が注がれます。給仕してくれている彼女も昔からの馴染みです。心置きなくくつろげるように、ということでしょうね。


「マリアの好物も用意させたわ。あと、そっちのお菓子は新作らしいわ」


「嬉しい。順番にいただくわ」


 少しずつ軽食をいただきながら、ゆっくりとクリスと話をします。最近の話題は王子殿下の茶番対策がもっぱらでしたから、平和な内容なのは久しぶりです。


 ——楽しい時間は、あっという間に過ぎてしまうものです。


「そろそろお開きの時間ね」


 窓から差し込んでいた日は随分と傾き、茜色に染まっています。あれだけ用意されていた菓子や軽食も、食べ尽くしてしまいました。

 互いに席を立ち、クリスが——王女殿下が、夕日を背負います。


「本日はお招きいただきありがとうございました、王女殿下」


 とても楽しい時間でした。幼い頃のように話して、笑って。こんな機会はもうないでしょう。


「留学に行く前に、最後にこのような機会を設けてくださったこと、心より感謝申し上げます」


 思いを込めて、可能な限りの礼を尽くします。


「最後では、ないわ」


 静かに、しかし力強く断言され、目線を上げれば逆光の中でなお炯々とした眼差しに、視線が吸い込まれるようです。


「数年は間が空くかもしれないけれど……またいずれ、機会を設けましょう? 何度でも」


 どこか挑むように、王女殿下が微笑みます。


 今日のような茶会が開けたのは、私が婚約解消されたばかりでまだ目溢しがあるのと、何より未成年と捉えられているからです。

 互いに成人し、一人前と見做されるようになった時。私が一介の貴族令嬢、あるいは夫人であれば、何度も王族に私的に招かれることは叶いません。裏があると見られるか、ともすれば痛くもない腹を探られることになります。

 いつか王女殿下が女王として即位すれば、なおさら。

 

 つまり、彼女が言うのは。


「このマリアネラ。全身全霊を以て必ずや功績を打ち立て、この国に戻って参ります。その時は、どうかおそばに」


「えぇ。期待しているわ」




 これまで大人の期待に応えるばかりで、将来について自ら望むことなどありませんでした。

 

 婚約解消され、自由の身になって、それでも何も望みなどなくて。


 留学の打診を受けた時は、正直都合が良いとさえ思いました。かの大学へ行けば、いずれ何か見つかるだろうと。



 ですが、今日。


 何か、掴んだような気がします。


 婚約が解消されようと、それまで重ねた月日が消えたわけではないのです。


 自分が、大切な幼馴染で、主人として不足ないと認められる相手に、望まれること。


 それが自分にとって、この上ない喜びであること。


 ならば、全力を尽くしましょう。


 私自身の望みのために。


短編で投稿してしまったのですが、続きがあります。

https://ncode.syosetu.com/n2642hv/

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[良い点] クズな王子に婚約破棄で散々迷惑かけられ、王女からはお邪魔虫追放がてらいずれ都合よく利用してやろうと恩売られたにもかかわらず気付かず主人として不足ない!と思ってしまうチョロインっぷり。 何…
[良い点] 後の偉大な女王とその右腕たる女宰相の若き日のエピソードといった雰囲気で良かったです。 マリアがレイへかつての恋心を告白するシーンでは、レイの直向きで一途なクリスへの想いをしっかりと描写さ…
[一言] もしマリアが留学先で素敵な男性に出会ったなら、遠慮なく恋をして結婚でも何でもしてしまえばいいと思います! 下手に忠義立てして帰国してしまえば、この王女様にこき使われる未来しか見えません。初の…
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