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選ばれなかった紫色の侯爵令嬢~歪んだ心はきっと死ぬまで戻らない~  作者: 紺名 音子


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最終話 歪んだ心はきっと死ぬまで戻らない


 マリアライト邸の執務室――幼い頃のアザリアとネクセラリアが笑顔で微笑んでいる。

 そしてお父様が優しい顔でソファに腰掛けている。


 誰に言われずとも、これは夢だと分かる。

 そして――アザリアが手に持っているフルートがいつの日の夢かを告げてくれる。



 そう、この日の事はよく覚えている――お父様の誕生日を歌と演奏で祝った日だ。



 アザリアはフルートで、私はハープで、ネクセラリアは歌で――一曲聞いたお父様は『素晴らしいプレゼントだ。だが、できたらもう一つ欲しいな』とゆっくり立ち上がると、木箱から小型の弦楽器バイオリンを取り出した。


『欲張りな父親に、合奏のプレゼントもくれないか?』


 お母様が亡くなってからずっと元気がなかったお父様の笑顔に、私もアザリアもネクセラリアも笑顔で応えた。


 そして私のハープ、アザリアのフルート、ネクセラリアの歌、お父様のバイオリンの美しい音色が重なる。


 私のとても大切な時間――誰かから課せられた物ではない、幸せの時間。


 聞き惚れている間に歌が聞こえなくなって、ネクセラリアが霞んで消えていく。


 次にバイオリンの音色とともにお父様が消えて――アザリアもフルートの音色とともに消えていく。


 ああ、もう甘い夢から覚める時間なのね――


 かつてそこにあった本当の幸せが、確かにあった幸せが崩れていく。

 この夢を、一欠片でも現実に持っていけたなら――


 縋るように手を伸ばす私に応えるように、ハープの音色だけは聞こえ続ける。


 景色すらも暗闇に溶けて消え、明るい光が差し込んでもその綺麗な音色は消えなかった。


「……何をしているの?」


 ベッドの横でハープを抱えるフレンヴェールを見て、彼の返答を待たずともその音色だけ聞こえ続けた理由を悟る。


「貴方の辛さが少しでも和らげばと思いまして……」

「そう……ネクセラリアに弾いてあげた曲を、私にも弾いてくれたのかしら?」


 私の棘のある言葉に、フレンは悲しそうに微笑む。


「耳障りでしたらもう止めます。以前……私のハープを聞きたいと言ってくださっていたのに、無下にしてしまって申し訳ありませんでした」


 また深く頭を下げられる。

 このまま黙っていたらきっともう、フレンヴェールは私の前でハープを奏ででくれる事はない。


「……貴方が……」


 私に反抗しなくなったフレンヴェールはつまらない。

 かつて欲して求めた物が、目の前にある。けれどそれは偽物。だけど――


「貴方が私の為に弾きたいと思ったのなら、好きになさいな……」

「……ありがとうございます、ウィスタリア」


 フレンが目を細めて、本当に嬉しそうな表情でまた弾き出した。


 フレンが奏でるハープの音色は子どもの頃聞いた時と同じように綺麗で、それが酷く心に染みた。




 結局、立ち上がるとつわりが悪化する事もあって、その日から私はしばらく寝たきりの生活を送る事になった。


 フレンはマロウ伯の補佐もあってとても上手くやっているようだ。

 そして忙しい公務の合間に時間を見つけては私のもとにやってきて、ハープを奏でる。


 私は何も言っていない。フレンが勝手にやってきて勝手に弾くのだ。


 その愛もこの曲の綺麗さも偽物だと思ってしまうのが虚しい。

 それでもフレンが自らここに来て、私の為に奏でてくれる事が嬉しい。


 ひび割れた心の中にフレンの愛が注がれていく。

 そしてどれだけ愛が注がれてもヒビからしたたり、こぼれ落ちていく。


 その愛が本物か偽物かはともかく、愛という名がついた温かい想いが私に注がれるのが嬉しい。溢れていくのが悲しい。


 そして心がそれで満たされる日は、きっともう永遠にこない。


 その癖、何も注がれなくなるのがどうしようもなく恐い。

 私の中にいる我儘で哀れな私は注がれなくなったらきっと文句を言い出すのよ。私ってそんな女なのよ、ウィスタリア。


 ねえフレン、私を愛しているのなら私からの愛を求めてみなさいよ?

 貴方が『私を愛してください』と言ってくれたなら、私は『可哀想な人ねぇ』なんて言ってもう一度愛を向けてあげる事が出来るかもしれないのに――


 だけど私からそう言わない限り、フレンは絶対に言ってくれないだろう。


 だってフレンもそういう男だから。

 勝手に自分で結論付けて、私の言葉なんて聞いてくれない人だから。


 そして言わせたところで疑り深い偏屈な私は『どうせ植え付けられた感情だから』と難癖つけて喜ばない、嫌な女。


 ねぇ、ウィスタリア。私はどうして素直に喜べないの?

 今、ようやくフレンは私を見てくれているのに――



 私の心の中で、色んな私がそれぞれの意見を主張する。

 そんなどうしようもなく哀れで惨めな感情に包まれた中で、第一子が産まれた。


 マリアライト家を継ぐに申し分ない紫色の魔力を持つ男の子は、全然フレンに似ていなかった。


 身の回りを整えて助産師達を帰し、一息ついたところでフレンを子どもと対面させる。


「貴方の子よ。私は貴方と違って不貞なんてしていないわ」


 妊娠中に行われた祝歌祭の日、久々に再会したネクセラリアから、自分達は私が去った日に一回キスしただけだと教えられた。


 たかがキスの一回――と思う人もいるかもしれないけれど、私にとっては十分、心引き裂かれるくらいの不貞だった。


「分かっています、ウィスタリア……子の顔は変わるといいますから、じきに私かウィスタリアに似てくるでしょう……とても可愛い子です」


 フレンは私の言葉に表情を歪める事無く、私の横で眠る子の頭を撫でる。

 その慈愛に満ちた彼の手を振り払う気にはなれなかった。


「……フレン。子は親の不仲を察するというわ。私達の仲は表面上だけでも取り繕っておいた方がいいと思うの……だからもう敬語はやめて」


「……分かった。ただ、慣れないので少しずつでもいいかな? 後……ウィスタリアさえ良ければ、二人目の子の時は私に呪術を使うのは止めて欲しい」


 なぜ? と聞いたらきっと甘い言葉が返ってくるのでしょう。

 だけどそれはフレンが本心から言ってるものなのか、書き換えられた心が言わせているのか分からない。


 その言葉に惑わされてまた嘆く事になるのが恐いから――聞けない。

 偽物の言葉に惑わされて喜ぶ自分が哀れで惨めになるから、聞かない。


「……この子の名前はフレデリックにしようと思うの」

「ウィルフレド様から名前を拝借したんですね。良き呪術師になると思う」


 フレン(貴方)の名前から取ったつもりなのだけど――まあ、いいわ。

 『貴方の人生を崩してしまった分、貴方との子どもにはちゃんと自分の幸せをつかんでほしいの』――なんて、言えそうにないから。


 私とフレンの色が混ざったような紫色の髪と目を持つ息子が愛しい。

 フレンヴェールの想いは偽物でも、この子がこれから抱く想いは本物。


 これから本物の笑顔と愛を私に向けてくれる、大切な存在。


「愛称はフレディにするわ。フレディ……どうか貴方は幸せになって。マリアライト家を継いで、本物の恋をして、本当の幸せを掴んでくれたら私はそれ以上の事を望まないから」


 私が触れると起こしてしまったようでフレディが小さな泣き声を上げる。

 乳をあげた後、ケプッと小さく息を吐いて眠りについたので、再び横に寝かせる。


「ウィスタリア……本当に乳母を雇わないつもりか? 昼夜問わず泣く赤子を貴方が……いや、君が誰の力も借りず育てる事を皆心配している」


「誰のせいで雇えないと思ってるの……? 私を心配するなら、貴方が私の傍で仕事しながらフレディの世話もするくらいの甲斐性を見せなさいよ」


 フレンの他人事のような言い方に嫌味をぶつけると、フレンは困ったように眉を潜める。


「それは構わないが……フレディが泣き出しては君の安眠を妨害してしまう事になる……今もうフレディを連れて部屋を離れようか?」


 紡ぎ出された言葉は思ったより優しかった。

 ただ、実際にそうされる事を想像すると寂しさが過る。


「……それはいいわ。泣き出したら連れていってくれればいいのよ。それともさっさと私から離れたいのかしら?」

「そんなつもりで言った訳じゃない……分かった。君がそれでいいならここで仕事をしよう」


 そう言って微笑んだフレンは一旦部屋を出ると、何通かの封書や書筒を抱えて戻ってきて業務を始める。


 温かい日差しと柔らかな差し込む中で紙が擦れる音とフレンのペンの音だけが聞こえる静かな時間。


「ウィスタリア……もう歌は歌わないのか?」


 ポツリと呟かれた言葉が鮮明に耳に響く。

 子守唄でも歌えと言っているのだろうか?


「歌わないわ……憐れまれるのは嫌いなの。もう二度と歌わない。祝歌はネクセラリアが歌うのだから、何の問題もないでしょう?」


「……そうか。君が憐れまれるのが嫌いな人で良かった。これ以上君の悲哀に心打たれる男が増えたら、生きた心地がしない」


 本当に貴方は――愛してなくても愛してても私を傷付けるのね。


「本当に歌うんじゃなかったわ……何よ、愁人侯しゅうじんこうって……誰が言い出したのよ……」


 愁人――悲しい心を抱く者、悩みのある者。

 どうやら爵位継承パーティーの後にガゼボで歌った鎮魂歌を聞いたのは、フレンだけではなかったらしい。


『ウィスタリア様は心に深い傷を負われながら気丈に振る舞われる悲しい方』

『花咲く庭園に悲しい歌を響かせる夜の女神』


 従者達が家族に、家族が周囲に広めた結果、コンカシェルの『愛人侯』ほどではないものの私にも微妙な名称がついてしまった。

 父に送った私なりの鎮魂歌は、けして悲哀を込めて歌ったものではないのに。


 私に祝歌の才が無い事を知らしめるこっ恥ずかしい噂は、口止めしたいと思う頃には既に領外にも広まってしまっていた。


「……君は美しい人だ。強く気高い人間が酷く悲しい歌を歌い、時折虚ろで憂いを帯びた表情をすればそういう風にも呼ばれるさ。あまりパーティーでそんな表情をしないでくれ。傍にいられない私は話を聞く度に胸が張り裂けそうになる。それにその名称はけして哀れみの美しさだけを称えるものじゃない」


 フレンのチクリと言う癖も変わっていない。

 私だってこれは何とかしたいと思っている。


 だけど――このことわりを無理矢理捻じ曲げた上で成り立っている幸せの中にいると、酷く虚しくなる事があるの。

 神様に作られた愛と幸せに縋る自分が哀れで仕方なくなる時があるのよ。


 その感覚に捕らわれると、男女問わず気遣われて心配される。

 困ったものね――広大な領地を治め、数多くの呪術を引き継ぐ気高きマリアライト家の長がこんな事ではいけないのに。


 執事や従者達も気遣ってくるのが酷く煩わしい。

 だけど、その度に見捨てられる子犬のような目をするフレンが愛しい。


 今の私は――誰より貴方がいなくなってしまう事が寂しい。


「ねえフレン……もう二度と私を裏切らないでね……」

「ああ……もう二度と見誤らない。この命ある限り君とこの家に尽くそう」


 ここには確かに幸せがある。ようやく得られた、私の平穏。

 私一人の力ではけして得る事のできなかった、歪んだ幸せ。


「ウィスタリア……愛している。君が信じてくれなくとも、私は君と私達の子を愛し続ける」


 ああ、この愛は本当はネクセラリアが受け取るべきものだったのに。

 それでも、それでも――


 ごめんなさいねフレン――本当に、ごめんなさい。

 私の心はすっかり歪んでしまった。


 孤独な私の心を満たしてくれるのはフレディだけじゃない。

 フレンも確かに私の心を満たしている。


 私が何を言っても受け止めてくれる、私が大嫌いで、大好きな、愛しくて憎い人。


 貴方が傍で私の為に音楽を奏でてくれる日々を過ごせる喜びが、かつて貴方に抱いた怒りが、貴方の幸せを奪ってしまった悲しみが、共に生涯を歩んでくれる人がいる事の楽しさが――枯れ切っていたはずの花畑に色んな花を咲かせて、私の心を彩っている。


 どれだけ貴方に謝ってみても、どれだけ貴方に謝らせても、私の歪んだ心はきっと死ぬまで戻らない。



 だから私はきっと――死ぬまでこの歪んだ幸せを手放せない。



(完)



本話にて本編終了です。最後までお読みいただき、ありがとうございました!

下にある☆☆☆☆☆にて評価・応援して頂けると励みになります。


同じ世界を舞台にした異世界恋愛ものを他にも色々書いてますので(☆☆☆☆☆の下にリンクがあります)、興味を持った方は読んで頂けたら嬉しいです。


次に1話だけ番外編を載せますがこちらは「婚約破棄された桃色の子爵令嬢~相手の妹に消えてほしいと思われてるみたいです。~」及び「銀色の渡り鳥~異世界に召喚されたけど価値観が合わないので帰りたい~」の一部ネタバレがあります。

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この世界の話をもっと読んでみたい!と思った方はhttps://ncode.syosetu.com/s5725g/からどうぞ!

「婚約破棄された桃色の子爵令嬢~」ではウィスタリアも子ども達も出てきます。

感想、誤字脱字報告は本作目次欄の下部にフォームへのリンクを設置してますのでアカウントをお持ちでない方もお気軽にどうぞ♪
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