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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

私は今日、生きる貴女と最期のキスをする。

私は今日、生きる貴女と最期のキスをする。

作者: 伊藤猫


 群青。この空にはこの言葉が似合いそうな気がした。夏の暑さと照り付ける日光がこの北側の病室を薄暗くしている。

 脈拍を教えてくれる機械音が私の性格の冷たさを訴えながら私の残り時間をカウントダウンを刻んでいた。

 私は深呼吸をし、鼻と口から肺の中に入ってくる酸素ボンベの空気で呼吸を楽にしてから目の前いる目を真っ赤に腫らした少女に笑みを浮かべながら言い放つ。


「どうしようもないね。私は何ともないのにどうして泣いているの?」


 理由なんて分かっている。私の体が何ともないのも嘘だ。貴女が泣いていたら私が笑うしかないじゃないか。

 貴女が私の症状を知ったのはついさっきのこと。見舞いに花を持ってきた貴女に私が何ともないように余命あとわずかだということを伝えた。

 貴女はまだ泣いている。もう私の分も涙を流しているのではないかと思うくらい泣いている。


 この病は私が生まれた時からこの体に住み着いていた。

 小さい頃、奇形で生まれた心臓を手術したものの、それは完全に治るということは無くただの延命措置で、何度も発作にあった。

 そんな状態で私は持って数日だということを医者から聞いたから、ろくに見舞いにこない母親ではなく、ほぼ毎日来てくれた貴女に私から話した。

 何かやりたいことがあるかといわれると正直心のどこかに残っているのかもしれないが忘れてしまったし、それが何なのか今更考えることも億劫だ。もう私の寿命は残りわずかだし、もう何もかも諦めている。


 貴女はまだ涙を流している。本当なら私が泣くのが自然なのかもしれない。だけど泣いている貴女の前で泣いてはいけないと思ってしまった。

 窓から吹く風はカーテンをなびかせ、すぐそこで泣いている貴女の髪もベッドで仰向けになっている私の髪もなびかせる。


「――もし死んだらどこに行くんだろうね」


 鼻をすすり、ベッドに伏せたまま貴女はようやく口を開いた。


「死んだら、何も残らないんじゃないかな」

「そう思うんだ……私ね、おばあちゃんが死んだ時、どうしてって思った。死ぬってなんだろうって。その人が残した証があるのに、もうその人はどこにもいないんだもん」


 落ち着いたのか貴女は起き上がっては乱暴に目をこする。鼻と目が赤く、鼻をすんとすすりながら話を続けた。


「だからこう思うようにしたの。見えてないだけで天国みたいなところにいるんだって。お母さんも行ってたし。でも、正直身近な人が見えなくなるのってすごく辛い」


 貴女はまた泣きそうになっている。正直そのしわくちゃになった顔に引いている自分が居たのは否めないけど、泣く貴女を見るのは初めてだからそんな貴女を独占できることに優越感を感じた。


「もしまだ死んでも意識があるなら、その場所でずっと待って欲しいな……」

「待てるかどうかは分からない……もし私がまだ未練たらたらだったら、幽霊になって貴女に付きまとうかもしれないよ?」


 ビビりな貴女にちょっとだけ脅してみる。まだ元気だったとき、よく色んなところで脅かして見せたっけと思い出して私は少しだけ頬が緩んでしまう。


「――あなたならいいよ。怖くない」


 貴女ではなく私が驚いた。いつもなら多少は怯えるのに今の貴女の目は純粋な眼差しを向けている。私は思わず正気かと疑った。


「正気……?」

「うん」


 そんなイカれている貴女に私は少しだけ呆れてしまったが、イカれていないとこんな瀕死の私を好きになるなんてことはないかと納得した。

 ホント貴女らしい。


 貴女とは出席番号がお隣で、私が何度入院してもその度にお見舞いに来てくれた。

 学校で起きた出来事、私が行けなかった遠足、文化祭、体育祭、部活。貴女はいろんなことを一方的に話してくれた。

 私はその話がなくとも貴女が来てくれただけで本当は嬉しかったんだよ。手を握ってくれただけで呼吸が楽になったんだよ。

 それくらい私は多分貴女よりも貴女が好きなんだ。だけどそれがどちらの意味なのか私の中で曖昧になって、貴女がそういう真似事をしても嫌がらないくらい、好きだった。


 夏はまだ続く。夏休みが終わる前に私は死ぬけれど、貴女は私がいなくなっても私以外の誰かと仲良くなって、惹かれあって、いつか普通の人たちと同じように家族を作るのだろう。

 貴女はまだここで生きていく――……今日も生きるのだ。


 そんな貴女の頬を伝う涙が空を映した。その景色がやたら綺麗で、思わず手を伸ばすと貴女の頬に触れれば、その涙は私の指に伝って空の景色が歪んで消えてしまう。


(のぞみ)……!?」

「――!?っ、はぁっ……はぁ、はぁ……」


 一定だった機械音が乱れ、その後拍が速くなる。私はゆっくりと呼吸を整えると、脈拍も一定になってくる。


「……こうなることは分かってた。すごく前から。私はもう、長くないって」

「それは希を見れば分かる。ずっと頑張って来てたの、それに希も泣いてるから」

「……泣いてる?私、が?」

「うん」


 貴女が私の目尻を親指で拭うと、その肌の湿りで泣いていたのが分かった。

 貴女は私の右手を両手で包み込む。すると握り潰されんような痛みが心臓を縛った。もう痛いのも苦しいのもいっぱいいっぱいなのに。これ以上苦しいともう私は抑えられない。


「……そっか……。もう、このまま楽になるだけだったと思ってたのに……」


 貴女はずっと手を握って離さない。いつもならそれで発作も楽になったのに、私の呼吸はだんだん苦しさを増す。発作よりも苦しくて、嗚咽が止まらない。


 私は貴女を置いて死ぬ。

 今日も明日も明後日も、ずっと生きる貴女はいつか私以外の誰かを好きになる。

 今まで向けてくれた笑顔も独占欲もこの涙も、私がまだ知らない大人になった貴女も何もかも、いつかは私以外の誰かに向けるだろう。


 でも貴女がこれから抱えるこの傷は私だけしか知らない。これ以上知ってほしくないし、これ以上の傷を他の誰かに付けられるのは許さない。


「ねぇ、(こずえ)。こっち、来て……」


 呼吸器を外して空いた手を伸ばすと貴女は涙をぬぐった。

 立ち上がり、私の右手から手を離すと私の身体に覆いかぶさる。そして私は貴女を両手で包み込んだ。

 これは残りわずかしかない私の我が儘だ。


 貴女に今の私をあげよう。

 それが貴女の生きる未来で一生に残る傷になれ。そしてその傷が、貴女が多くの人に愛されたとしても、他の誰かを好きになれない呪いになればいい。


 私たちしかいない青い病室。扉の向こうから看護師や患者が行き交う音。そして終わりへ向かうカウントダウン。


 私は今日、生きる貴女と最期のキスをする。


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