最終章
クリスマス、年末年始、誕生日。祝日はなにかしらのマークがカレンダーにはある。時にはデコレーションしたり、何色ものペンを駆使してその月が一つのアートのように飾る女性も少なくはないだろう。それにくらべて僕の場合、カレンダーはただの日付の確認や人との日程調整だけのツールである。綾を失ってからは誰かと祝う日などなく、自分がいくつになったり新年だからなんだというのだろう、という意識しかない。
沖縄県のみが『慰霊の日』を休日と定めるように、赤く記されたどの祝日も僕には忘れ去られた灰色の日でしかないのだ。
滅多にこない着信メールを四日過ぎてから開いて、件名を確認する。
「12月24日 AM10:36
From:担当 日向さん
Sub:お誕生日、おめでとうございます」
「12月24日 PM10:52
From:アネキ
Sub:誕生日おめでとう!」
まずは一件目。日向さんは、僕が六年前に書いた小説が新人賞受賞したとき、出版社から任された担当だ。僕は受賞以降書く気はなかったが、日向さんは僕の才能を買ってくれ、こうして毎年誕生日に「小説、書いていますか」という催促メールを送ってくれる。そしてアネキのメール。
四年前なら、さらに母のメールが追加されていた。僕が三十路を超えたと思ったら、あれだけ仕事や家事や子育てで慌ただしかった母の人生はあっけなく終わってしまった。
当然のことだが、人は長く生きれば生きるほど誰かの死に直面する。残り十年は余裕で生きるだろう、と勝手に安心していると、母は実家を掃除中に別れも告げずに足を滑らして死んでいった。六十を過ぎても好きだったのか、日課となりやりがいさえ感じていたのかもしれない。バスルームのタイルに横たわる母を発見したのは、たまたま帰省したアネキであった。
「昔、お風呂場で何度も転んだよね」
「ああ、その度に母さんに、気をつけないとって笑われたっけ」
「なんか、自分が死んじゃったことに気付かないで、なに泣いてんのよとかいって、また笑ってんのかしら」
こっちがどんなに心配ごとや落ち込んでいるときでも、豪快に笑い飛ばしてくれた母はもういない。遺影を見つめる僕らは涙でぐしゃぐしゃになっているのに、写真の母だけが顔じゅうに皺をつくって笑っていた。
僕の誕生日は、減ってしまったメールと共に、忘れかけていた苦しみを掘り起こした。
誕生日の四日後に爆発し、僕が生きることを諦めた日。
綾を失った翌年、なんとか社会復帰するも生きる理由を見いだせないまま、やりたくもない仕事で時間を潰していた。物事のなにもかもに絶望し、覇気のなさややる気がないなどの理由からいくつか仕事を変えた。前なら怒っていたことも、どうでもよくなり言葉や態度に出さず、全て内に秘めていた。もう人を信用することを諦め、生きがいなどとうに捨てていた。遠くから僕を心配してくれていた母は、いつも実家に帰ってこい、と口煩くいっていた。
「誰でもいいから、思っていることを全て吐きだしたら気持ちもスッキリするんじゃない」
〝僕〟を知っている家族へ、吐きだすことなんてできない。僕の気持ちを見透かしたような、アネキのその一言が心のダムを決壊させた。積もった玄関前のチラシの中から、『初回相談無料』と書かれた一枚を手に取り、すぐに携帯のダイヤルを押した。
「そうなんですね」、「ええ」、「それは辛かったですね」と繰り返すおばさんに、僕は次々と言葉が出ていく。僕の話が早かったのか、時間にして一時間とちょっと。溜め続けた苦しみが手応えもなく消化していった。
息を吹き返したように空気が美味しい数日。けれども、いままでの人生の苦しみは容易に僕から離れず、一時間かけた魔法が解けてしまい、現実が降り注ぐ。カウンセリングを受けてはひとときの魔法にかかる。そんなことを繰り返しているうちに、当然のごとく魔法の効果もなくなっていった。
「なんか……ただ空しいです」
最後に伝えた言葉は、誰かに話しているというより独り言に近くて、僕は生きることに執着できなくなっていた。クリスマスに降った雪に浮かれる世間の中で、僕はただ一人、地面の先に映る心をずっと見ていた。
クリスマスを楽しみにしていたころ、欲のままに欲しいものが次々に頭の中を駆け巡ったが、いまでは「幸せでいられる方法がほしい」と赤装束と立派なお髭のおじいちゃんに伝えたい。馬鹿げた妄想を簡単に消し去り、冷たい壁と尻が痛くなるような床で時間を潰した。
僕の匂いで充満した空間で、じっくりと生について考えてみるけれど幸せなことなど皆無だった。そのかわりに誘われるように、生きることから解放される〝死〟について惹かれた。
洗面所に水を溜めた僕は、終わるのではなく始まるのだと胸躍らせた。一人暮らしを始めたときに使っていた百均の包丁を片手に、火山の噴煙のように美しく踊る水中の血に魅了されていた。痛みなど感じず、時折、止血作用が働いて止まる噴煙を刃こぼれした包丁で噴火させた。
「武内さん、なにをしているんですかっ」
僕はその声を最後に、気を失った。
眩しいほどの真っ白な世界で目覚めると、そこが死後の世界だと勘違いした。感覚が研ぎ澄まされ、視界がはっきりしてくるとそこが病室でまた苦しい現実だと思い知らされた。
「健太、健太分かる? 母さんよ」
電話越しではない母の声は、少しトーンが高く聞こえ、若さを取り戻して違和感がある。母だけでなくアネキもいて、二人とも僕を涙顔で覗いている。虚ろな記憶が戻り、「ああ、失敗したのか……」と胸のうちでつぶやいた。
家賃を手渡しでしか受け取らない初老の大家は、滞納した家賃を回収するべく僕の部屋まで来たが、部屋から漏れる異常な状態を察して、すかさず合鍵で入り、洗面所にいた僕を見つけたのだという。まったく記憶はないが、手首を水中につけた僕はずっと涙を流しながら笑い続けていたらしい。その事実も当然驚いたが、さらにびっくりしたのは、病室で子どものように泣きじゃくる自分がいたことだ。いつかのアネキが流産したときが重なり、アネキが欲した小さな命と、子どもに命を授けた経験のある母の涙は本物だと思った。それくらべて生に執着できずに、死んだ先にある無に還りたいと願った僕の涙は嘘であるかもしれない、と嘘の涙を果てなく流した。
人を信用できず、愛を見いだせず、生きることを一度諦めた自分には嘘の涙がとてもよく似合っていた。
死ぬことができず、幸せの意味をとにかく探し求めていた手持ち無沙汰な僕は、ずっと幸せについて考えていられる仕事はないかと探した。他者の喜びが幸せに繋がる人なら、献身的な医療系に注目しただろう。また、欲求を満たすことが幸せと考える人は、飲食関連や夜の世界に飛び込むかもしれない。お金を上手く遣って、満ち足りない欲を瞬間的に補っただろう。
僕は欲などに興味がなく色褪せた世界で、ただただ幸せを追求できる哲学に注目した。だが哲学者として、これから生きるにはあまりにもレベルが違いすぎた。しかし、どうしても哲学に拘った僕は高校で倫理を教えようと倫理教諭を目指した。あれだけ嫌いだった勉強を、なにかに取り憑かれたようにペンを走らせ、教員採用試験に合格し教壇に立てるようになった。
いくら大学や試験が難しいとはいえ、死ぬことはなく。食事や風呂、睡眠時間を削ったりもしたが、これまで味わってきた苦しさに比べれば可愛いものだった。教師として生徒に教えるのは、緊張する、と教育実習のときに一緒だった女性はそわそわしていたけれど、内心冷めきっていた僕は「そうですね」とうわべだけで返していた。
大学に受かったときも、教師になったときも母は涙を流していた。
「よくやったわね、健太。あんた本当にすごいよ」
「大袈裟だな」
変に母の視線は照れ臭く、そっぽを向いて「ありがとう」とちいさく本音が漏れた。
神奈川のアネキに正式に教師なったと伝えると、素直にお疲れさまと、また照れ臭い言葉ももらう。話はそれだけで終わらず、アネキからも重大発表を告げられた。
「けんた、アンタ来年はおじさんになるよ」
大学に受かるより、教師になるよりも嬉しい報告はしばらくの間、僕の顔を綻ばせた。
いつか聞くはずだったセリフは、十数年遅れで僕に届いた。
翌年の六月、元気に泣き喚く女の子は「暑い暑い」と訴えるようにアネキの自由奔放さをしっかりと受け継いでいた。『吉岡 遥』と名付けられた赤ちゃんは、みんなの優しい視線を独り占めしているなんて気にせず夢の中。小さくか弱い赤ちゃんは光り輝いているようで、眩しい存在でアネキが幸せになった瞬間だとハッキリと鮮明に覚えている。あれだけ探し求めていた幸せは、僕の近いところで強烈に脈打ち、僕に手が届かない存在だと教えてくれた。
遥が一歳になるころ、アネキは予定していた結婚式で愛に満ち溢れていて終始、涙で化粧を台無しにしていた。
偶然というのは、無意識のうちに働いているのかもしれない。恋人だった綾は、海で苦しんだ四日後に息を引き取った。僕は、生まれた日の四日後に自ら息を引き取ろうとした。
そんな過去があった経緯を僕は川島先生にではなく、クリスマスだからでもなく、ただただ口に出したくなかった。魔法の切れたカウンセラーの意見をバカバカしく思いながらも、時系列に書いてみた。それを何気なく物語風にしたて、フィクションにしたところで現実の傷は消えない。
「話は以上です」と告げた冷めた感情も、生活では剥きだすことはない。形式的な挨拶、表面上の親切で丁寧な言葉で周囲と生きることなんていとも容易い。
小説、『二つの螺旋』のシナリオが僕の実体験だと、担当の日向さんも気付いていない。
「壮絶な過去の実体験をフィクション風に仕上げた」という事実もみんな、作品を印象づけるための宣伝文句と解釈していた。僕もただネガティブな事実だけでは文字数が足りなかったので、世間が好きそうな恋愛や、ミステリー要素を少し盛り込んだ架空の物語で仕上げただけだ。
日々、嫌気がさしていた日常だったが、パソコンの中で架空の人生を紡いで感じたことは、八割がたの本当と二割の嘘をかけあわせると嘘は見破られない。二割の嘘が、僕の過去を完璧に覆ってくれたのだった。学校でも書店でも僕を『新人賞受賞作家の堀アキラ』と気づかない。たまに立ち寄った書店の広告に、偽りの自分と本が紹介されていた。数年も誰にも気づかれなかったのに、いきなり川島先生に正体を突き止められ、さすがに狼狽えた。
どうして、僕だと分かったのだろう。これまでになかった、偽りの中の自分を見つけられたことに奇妙な感覚を抱いた。でも、それを表したい知りたいという気持ちは、瞬く間に冷めた感情がかっさらっていった。
「無理に溜め込まなくていいんです。人に話すことだけじゃなくて、言葉にしてみたり文字にするだけでも、少しずつ問題解決に向かっているんですよ」
あのときのカウンセラーの言葉は、あながち間違っていない言葉だったのかな、といまでは思いはじめていた。
ミーちゃんを偲び、動物や人間だからと差別することなく命の尊さ痛感した。綾との思い出はいつでも目を閉じるとそこにある。死ねなかった代償に、姉の幸せと僕に訪れることのない幸せを知ることができた。「親より先に死ぬのは親不孝」だと本で読んだことがあるが、その親も長生きしてほしい願いも儚く、無情にも僕ら姉弟の前から去った。こうして生きていると実用性のない知識が増え、周りに溶け込んだまま、なに食わぬ顔して心で泣くことができるようになった。
「健太、今年は帰ってこんの?」
「アネキたちは義兄さんとこに行くんでしょ」
「そのはずだったんだけど、ほら、ハルちゃんが風邪ひいちゃったから家にいることにしたのよ」
母になったアネキは、教育のためと遥の前で僕を「あんた」と呼ばなくなった。
「それじゃあ、義兄さんたち家族が家に来るってこと。それなら、俺が帰らなくてもいいじゃん」
姑がいると緊張するのか、アネキはグチグチとごねながらも電話を切った。本当はもう少し、遥の話を聞きたかったけど。俺だって義兄さんならまだしも、彼の親の前でどう接すればいいのか対応に困る。それに可愛い遥の前で、人生にくたびれた大人の顔を晒したくなかった。
大袈裟かもしれないが、純粋な遥に僕の顔を覚えてほしくなかった。
「アネキはやっぱり母親になるのが夢だったの」
いつか遥の気持ちよさそうな寝顔を確認してから聞いたことがある。
「健太って、むっかしから変よね。女に生まれたからには、欲しいと思うものよ。憧れというのもあるかもしれないけど」
「そうなんだ、まあ、そりゃあそうだよな」はっきりとは見えないものの、ベランダの外にぽつぽつとした鱗雲が浮かんでいる。ありえない未来だけど、僕が親になったときに僕は誰のように子どもに振舞えればいいのだろう。
新年が開けた職員室では、地方の実家へ戻った職員がお菓子を配っている。冬期休暇に限らず、お盆休み明けも同様な光景が繰り広げられている。
「お疲れ様です。これ、地元のお菓子です。どうぞ」
「あれ、川島先生も帰省されたんですか。出身は関東じゃなかったんですか?」
「はい、北海道の小樽ってとこです。久しぶりに帰ると、やっぱり寒いですね」
ふふふっ、と笑う川島先生の肌は白く、その理由が胸にストンと落ちた気がした。
「川島先生、放課後に十分ほど時間つくれますか」
大きな目がいっそう大きく開かれ、一瞬の間があった。僕からそんな風にいったことがなかったので、彼女は固まってしまったのだ。
「ええ、いいですよ」持ち前の明るい笑顔でこたえ、お菓子配りを再開させた。
職員と楽しそうに会話している彼女から、手元に残るお菓子へ視線を落とす。
人気のあるラングドシャの名前は、綾と川島先生を連想させた。
「僕のことだとわかったのは、いつからですか」
「……初めは確信なんて持てませんでした。インタビュー記事に載っていたっていっても、信憑性ないですし、本当だったとしても異動している可能性だって十分にあります。それでも私も教師を目指していましたし、千葉の高校にいたらラッキーだなって軽く思っていました。前の勤務地ではまったくイメージが違う倫理教師でガッカリしていたんですよ」
川島先生の話を聞いていると、直感で分かったというニュアンスが含まれていた。途端に拍子抜けした僕は、強張った緊張の糸が切れて笑いが込み上げてきた。それに同調するように川島先生の笑い声も重なった。
「武内先生って、ホントはそんな風に笑うんですね。そっちの方が自然体で良いですよ」
どんな気持ちで笑ったのか分からない彼女は、そういって微笑んだ。恥ずかしくなった僕は、わずかに身体が熱くなる。
ありがとう――。彼女を真っすぐに見つめた僕は、その言葉が心からスッと飛び出した。