第三章
「ソフィストたちとは違って、ソクラテスは『無知の知』ということを知っていたんだね。常に教える立場のソフィストたちに質問ばっかりして、あなたは知っているようで実は知らないんだねってね」
現代の教育について、常に疑問を感じずにはいられない授業のなか、僕は興味のない顔ぶれを眺めながら一人喋っている。隣の生徒と会話している女子生徒や、バレていないと思っているのか教科書で隠しながらスマホをいじっている輩もいる。
「では、次に移るよ。あ、ここテストに出るからな」テストという言葉に、皆がノートに書き込み始める。僕は追い打ちをかけるように黒板の文字を消していく。
たとえノートに書き記したところで、復習しない生徒や覚えていない生徒はざらにいる。他の教科は知らないが、倫理という分野において彼らのこれからの人生に役に立つ、いや、考え方を真似することがあるのだろうかとふと思うときがある。
しばらく質問のないまま一方的に喋ったあと、授業終了の合図とともに僕は職員室に戻った。
「武内先生、授業お疲れさまでしたっ」隣のデスクの川島由美が笑顔で話しかける。
黒のパンツ、白のタートルネックで身を包んだ彼女は、現代国語を担当する教師だ。去年、うちの学校に配属されてきた初々しい教師で明るく教師の期待も高い。年も近いせいか生徒達からの信頼も厚い。男性教諭や男子生徒の多くは彼女の小柄ながらも豊満なボディラインと、茶髪のショートボブの小さな顔から覗く大きな目に見惚れていた。
ただ、僕は彼女に興味がなかった。
次の時間にどのクラスも授業が入っていないことを確認して、マウスを操作した。作成中のテストファイルを開く。定期テストの作成の範囲はどれも容易な内容ばかりだ。それにも関わらず、彼らが満点を取れないのが謎で仕方がなかった。なのでテスト作成はいつも悩む。
ソフィストたちとソクラテスの違いはなにか答えよ――。
そのような問題は本来記述式なのだが、僕のテストはこのような内容でも選択式で出している。ただのラッキー問題だ。
先ほどの授業を思い出す。つまらなそうに黒板を見つめる生徒達。空白だらけのノートといまだに新品さながらの教科書。倫理なんて必要な教科なのだろうか。〝大人のエゴ〟、そんな言葉が頭に浮かんで煙のように消えていく。
昔から変わらない悪い癖だ。一つの疑問が浮かぶと連想してしまい、また別の疑問を生む。それもコミュニケーション能力が欠けていて、友達が少なかった僕の長年の習慣がそうさせていた。発言不足、言葉足らずでアネキの気持ちを知ることが遅れた。唯一の救いは、この癖が倫理教諭に適していたということだけだった。
アネキのメールはいまでも、左胸ポケットのスマートフォンに入っている。携帯を新しくするときにデータもそのまま移行したのだ。
確かに僕たち姉弟には父親がいない。長い間、考えないようにしていた時期もあるし、ちいさな事実を恨んだ時期もあった。世の中にはもっと大きな問題が頻発している。僕より酷い家庭環境で育つ子どももいる。しかし、問題の大きさというものは世間でなく、その人の中で決まる。大抵の問題は、そのときに余裕が無くて頭を悩ませていても、解決した後にはちょっとした笑い話になっていたりする。
父親が出ていったのは、僕が三歳の頃だ。彼の記憶などなににもない。僕は母に甘えきりだったし、父親がどんな存在なのか理解していなかった。
教室で友達が日曜日にキャッチボールをしてもらっただのと自慢していたり、一緒に自転車の練習をしただの話はちっとも羨ましくなんかなかった。というより現実味がなかった。
父親、親父、父さん、パパ――。どの言葉も僕には魔法の言葉であって、僕の口から声となって出ることのない幻のキーワードだった。
僕を厳しく叱ってゲンコツするのも、甘やかして欲しい物を買ってもらうのはいつも母だった。仕事がある日には朝早くから夜遅くまで帰ってこない。休みの日には家の掃除や家事で忙しなく家中を動き回り、いつでもあったかい食事を作ってくれる。晩御飯に並ぶのはレンジでチンするものだったり、作り置きしていた物だったりと豪華という言葉とは似つかないが僕は満足だった。
正月や行事があるごとに親戚の家にみんなで集まったが、物が溢れ、人は多くてまるで祭りのような感覚に陥ってはしゃいだ。だが、嬉しい反面、苦い思いもした。
角刈りで短髪の怖い親戚の叔父さんだ。
「おい、ケン坊っ。ちょっと来い」
「はいっ」その言葉に従兄妹と遊んでいた僕は、一瞬にして夢から覚める。武内健太――。僕の名前を『ケンちゃん』、『ケンタ』とみんな親しみを込めて呼ぶが、この怖い叔父さんだけは『ケン坊』と呼ぶ。
「なあ、ケン坊……最近学校はどうだ。楽しいか?」晩御飯と共に飲んだ酒が回っているのか、浅黒い肌がほんのり赤みを帯びていた。
「はい、まあ友達とも仲良くやってます」嘘だった。僕が友達と呼べるのは片手で収まるほどで、それに彼らは僕と友達とは思っていないだろう。しかし、叔父との会話をなるべく早く終わらせたい僕は順調であると毎回嘘をついていた。
「そうか……んで、勉強はどうなんだ。成績は良いのか」
この一言に僕はいつも苦汁を飲まされる。僕は勉強が大の苦手なのだ。
いや、それがその……。言葉に詰まって叔父さんの顔からテーブルに目を背けると、そこから説教という説教が長々と始まる。従兄妹達はこの叔父さんの説教を毎日聞かされているのだろうか、と同情した。
「今度、叔父さん家に泊り込んだらいい。夏休み中、叔父さんが勉強を教えてあげるから」
絶対に嫌だっ。せっかくの夏休みを、なにが楽しくて勉強漬けにしなきゃいけないのだろう。僕は叔父の誘いを僕は苦笑いでやんわりと断った。
親戚の家にいくと、楽しい一方でこういうことがあるので、家に帰る車内でモヤモヤとする。おそらく母が、夏休み中遊びまわる息子の成績を危惧して代わりに叱ってもらおうと告げ口したのだろう。そう勝手に勘ぐっては母を責めた。
そんな親戚の怖い叔父さんのことを思い出すと、いつも僕は父親という存在はそんな風に恐れたり、絶対的な存在なんだろうかと考えていたりした。
別に母に育ててもらったことに不満はない。アネキと同じく僕も母一人で僕たちを育ててくれたことに対して尊敬していた。だから、いまさら家族を捨てた男に会いたいなんて気持ちは湧かなかった。しかし、人間というのは不思議なもので、ないものねだりだと分かっていながら妄想に耽るのだ。女子が王子様を待つように、男子が美女に好かれたらなんて考えるように、僕には完璧な父親という人がいたら、とあれこれ想像したものだ。
――父さんと呼べる人がいたら、母は家にずっといて、欲しい物もたくさん買ってもらえたのに。
最初はそんな夢のように、楽しみの一環として想像していた。でも、こんな僕でも身体的、精神的にも成長していく段階で、誰にも相談できないことが増えていった。初めて好きになった女の子のこと。クラスで恥をかいたこと。信頼できる友達がいなかったこと。時には疑問が、時には苦しみが胸をギュッと縛り上げ、頭がパンクするほどに抱え込んだ。
「俺ん家は親父がいないから、気が楽だ。母さんは怒るけど、全然怖くないしビンタされても痛くないからな。親が二人いるヤツは、いろいろと面倒で可哀想だな」
いつだったか、悪さをして父親に殴られたという奴に、同情じみたことを吐いたことがあった。そいつの顔や名前など忘れたが、あの頃の僕がいった『親父』という言葉がいまでも引っかかる。あれは同情だったのだろうか、皮肉として、心の底からでた叫びに似た強がりだったのではないか。
名前も忘れるほどの記憶なので、そいつとの友情関係もすぐに破綻したのだろう。
三十過ぎてもなお、時々家族とはなんだろうと頭をもたげる。特に、高校生のときは酷く思考が混乱した年だった。
母は仕事に向かい、姉は看護学校へ通うため、すでに一人暮らしを始めていた。帰宅部である十六の僕はシンとした抜け殻の家が嫌いで、母の帰ってくる時間に合わせ、外で時間を潰すようになっていた。
海岸沿いで夕日をただ眺めたり、真面目に本を読むわけでもなく市立図書館に入り浸った。
世間では『キレる十七歳』といわれるほど、高校生による犯罪が増えた年だった。頭に血が上り、カッとなって起こした犯罪や凶行は次第にニュースとして取り上げられた。同年代の僕はちょっとしたことで怒りを覚えることはそれなりにあったが、力で訴えることはなかった。
むしゃくしゃした日のストレス発散方法といえば、漫画かゲームだった。他の生徒と違い、レギュラー争いや地味な練習に頭を悩ませることはなかったので、帰り道の途中にある古本屋で、興味のある漫画を手当たり次第に立ち読みしていた。
また、高校生ともなると特に親しくない奴でも表面上のグループとして学生生活を過ごしていた。だから、本音で話すことはなく、はぐらかした関係で付き合う奴らの家で、時間潰しに時折テレビゲームをしに行ったりした。
中でも、田中哲。通称“タナテツ”は学校では目立たず、みんなの前で発言する機会があっても恥ずかしがり屋で声が小さく内向的であった。が、タナテツは気を許した相手になら学校とは別人になり、気さくな男に変わるのだ。
「ちょっ、お前そこ違うだろ。あと少しだったのによ」
「いや、あれは無理っしょ。コマンド間に合うわけねーよ」
「もっかいトライすんぞ、ポテチなんか食うな。集中しろ」
「分かった、分かったから、もうちょい食わせろよ」
タナテツは田中家の一人息子で、父親は銀行員、母親は専業主婦という僕とは真逆の生活を送っていた。その日も最新のゲーム機で時間を潰していた。
「なあ、そういえばタナテツの母ちゃん、今日どっか行ってんの?」
「あー、今度長期連休あるだろ、ゴールデンウィークだっけ? そんときの旅行先探すんだって張り切って出かけてった。もうそろそろで戻るんじゃないかな。どうして?」
「マジか、じゃあ帰ってくるまえに、俺出るわ。この間みたいに夕食ご馳走になるわけにはいかないし」
ゲーム相手がいなくなるとわかり、不満気なタナテツをよそに、俺はそそくさと田中ん家のマンションを出た。
実をいうと、もう少し彼の家でゲームをして現実を忘れ、おそらく出るであろう夕食をご馳走してもらいたかった。でも、僕はそうやって甘えてしまうと、彼の家を通して両親がいる家庭に憧れ、自分と比べてしまうのがどうしても嫌だった。一度何気ない幸せそうな家庭像を思い描いてしまうと自分が惨めに思えてくる。そう思ってしまう自分に嫌悪感を抱き、自分が世界の片隅に消えてしまうのを防いだ。
連休に家族旅行だと、ふざけるな。帰り道にちいさく愚痴を吐きながら、彼らと自分の思考が同化してしまうのを食い止め、心の内で彼らと距離を置いて古本屋に足を運ぶ。そんな習慣を何度か繰り返すのだった。
彼らの悪口は吐いて家に帰るまでの間、西日の色は心許なく眩しさとは裏腹に、風の冷たさに寂寥感を覚えた。
「ご飯、炊いといて」、「チャーハンの素と卵、切れそうだから帰りに買ってきて」、「明日、仕事何時にしか終わらないからね」、母との連絡はいつも生活のことであった。それはアネキとも一緒であった。洗濯の当番の指摘や、緊急時の家事の交換の話。高校生だったときのアネキはバイトもしていたので、中学生だった頃の僕は、よく家事の交換をお金で買われていた。
いまは組織みたいな家族であったと思っているが、あの頃のバカな僕は組織という言葉は会社のみを指しているのだと勝手に思い込んでいた。自分が通う学校や帰宅部の僕とは縁がない部活も、組織に当たるということを認識していなかった。
頭の冴えない僕は、そのような会話が普通の家族だと思っていた。他の家庭とは違う特別な会話だとは微塵も考えなかった。
世間で注目を浴びた当時の家庭ドラマも、家族全員で囲む食卓も共感できず、形式的な友達から非難された。
「いや、どうしてもああ上手くはいかないよ」
「それはない。あれぐらい普通にしてるよ。っていうかお前ん家、どんな会話してんだよ」
逆に問いただした彼らは、不思議なものを見るように笑った。そのときばかりは彼らと話を合わすことを忘れ、どうしても主張せずにはいられなかった。世の中、あんな幸せそうに呑気に笑って会話する家族は不自然である。共感しろというのが無理な話だ。親との衝突。両親の喧嘩。嫌々ながらも同室の兄弟や、無口な兄ばかりではないのだろうか。
ただ父親がいないだけで、どの家庭も同じような会話を交わしているのだと思っていた。そのドラマがきっかけで、僕のいままでの常識は崩れていった。たまに家族の誰かと相談するぐらいで、あとは口煩い父親だけが世の中にはいるのだと、そう思っていたが間違っていたのだ。
「どんな会話って、そりゃあ普通の会話だよ。今日の飯とか、家事の分担とか」
「なんだよ、それ。全然会話になってねーじゃんかよ。アハハハハハ」
僕の言葉を区切りにその場にいた三人は腹を抱えて笑い、僕は眉を顰めて反論の言葉を探したが、うまく言葉が見つからないまま居心地の悪い空気が続いた。
「いいか、たとえば母ちゃんに小遣いのやり取りをしたり、自分の名前の由来を聞いたりすんだよ。あとは親が出会ったきっかけとかかな」
「お前、そんな何度も名前の由来なんか聞かねーよ。それに親の出会いなんて気色悪いなっ」
誰かがツッコミ、また笑いが周囲を包んだ。僕は苦笑いのまま、話に付いていけずにいた。
「バカ。いまのは例だよっ、例っ」
必死に否定する彼をみて、さらに笑いが生まれた。彼は顔を赤くさせながら、要は、と話を付け加えた。
「今日の出来事とか、成績の話とかそんなとこよ。っておい、成績が悪い俺にこんな話させんなっ」
そいつの必死な顔が面白く、僕もみんなも笑ったが、それ以降家族の話はしなくなった。別に僕が決めたわけでもなく、彼らの気遣いなのかは知らないが、僕の中で家族という形がまた変わった瞬間であった。
人と比べてはいけない。そんな言葉で母に叱られたときがあった。人と自分の状況なんて、いつも違う。誰かが上に見えたり、羨んで地団駄を踏んだところでなにも変わりはしない。変えたかったら、動きなさい。勉強しなさい、そして大人になって働きなさい。
覚えているのはなにかで母に無理難題なことを要求したとき、友達のところは、と比較したことを言ったはずだ。欲と怒りに任せ反抗したが、時間がたって冷静になってみると確かにそうだな、と妙に魔法にかけられてしまうのだった。
その話には続きがあった。友達の家で遊び帰り、休みだった母と珍しい夕食を一緒に食べていたときだ。
「今日特売日でね、このキャベツ安かったのよ、思わず買っちゃった。どう、買ったばかりの新鮮でおいしいでしょ?」
「どうって、いくら安かったからって、ボンカレーとサラダって組み合わせおかしいでしょっ。しかもキャベツの味って……ドレッシングで分かんねーし」
「あら、そうかしら。健康的なメニューで良いじゃない」
「そういうことじゃなくて。まあ、いいや。それより聞いてよ、吉田ん家で遊んできたんだけど。アイツ俺より頭悪いのに、宿題しないでゲームばっかりやってんの。やばくない? まあ、アイツがこのままだったら、次のテストも楽勝で勝てるから良いんだけどね」
「人と自分を比べないって言っているでしょ。他人は他人、上にも下にも見てはいけないよ。他人が自分より劣っているからって、優越感に浸っているんじゃないよ。そんなこと考えてるから、あんたはいつまでたっても成績が上がんないのさ、もっと頑張んなさいよ」
人を比べてはいけない。その言葉を誰かを羨むな、そう捉えていた僕は目を丸くしながらシャキシャキとキャベツを口に運ぶ母を見ていた。
何気なく福沢諭吉みたいなことをいう母と、僕の知らない一面を持っていたアネキに、一度も誕生日プレゼントを渡したことはなかった。
そんなしょうもない話をなぜか、隣に座る川島先生に話していた。
「えー。ちょっとそれ、酷いですよお。お母さんとお姉さんが不憫に思いますっ。えっ、どうして誕生日、祝ってあげないんですかぁ」
顔を赤く染め、やや呂律の回らなくなった川島先生を左肩で支えながら、僕が家族に誕生日プレゼントを渡してこなかった理由を考えた。
ろくに家族揃って会話をしてこなかったなりにも、母はアネキの誕生日に、アネキは母の誕生日にプレゼントを渡して祝い、一緒にショートケーキを頬張っていた。
アネキは九月の秋生まれで母は春終わりの五月――。人の誕生日を覚えられない僕は、いつも月だけは覚えてはいるが、日にちが覚えていなくて毎回過ぎてから『おめでとう』を言うという具合だった。夏の忙しさが過ぎ去り、ようやく涼しくなってきたな、と思っていると姉がなにかを要求するように見てくる光景も次第になくなった。僕に期待をしなくなって、彼女が行きつく先は母や友達だった。
暑くなってきたな、と思って冷蔵庫にあったショートケーキを食べたら、母のバースデーケーキだったと、涙目ながらにボッコボコにされたりもした。
九月二十二日と五月二十一日――。その日付がどうしても覚えられずにいて、カレンダーに前もって書いていても、僕がカレンダーを見ない習慣だったりと結局過ぎてしまい、自分でも笑ってしまった。
そうやって川島先生に弁明した思い出を振り返ってると、余計なエピソードまで蘇ってきた。ふと隣を見ると、ぬるくなったビールと食べかけの料理の横で、川島先生がテーブルに突っ伏して寝ていた。
臨時教諭の歓迎会として開かれた宴会は二次会へと延長し、一次会が終わったところで僕は理由を付けて帰ろうとした。ところが、酒でできあがった川島先生に強引に腕を引かれ、二次会と加わってしまった。また、べったりと僕に引っ付いて酔い潰れた川島先生をみて、他の男性教諭達は僕たちを置き去り、いつの間にか二人だけとなった。
「川島先生っ、先生っ。そろそろ終電の時間じゃないですか? さあ、もうお店を出ましょう」
脱力しきった先生の腕を肩に回し、会計をなんとか済ませた僕は、駅までの道すがら先ほどの話を思い出していた。
――お母さんとお姉さんが不憫に思います……か。
思い返すと、『おめでとう』の祝い言葉も『ありがとう』の感謝も、母とアネキに面と向かって言ってこなかったな…………。
居酒屋が並ぶ通りを歩いていると、赤い提灯がケーキに乗った蝋燭とダブり、どこかノスタルジックな気持ちにさせた。