花拐え、風のまにまに
命を摘む。植物化にかけた上手い言い方ではあるが、やることは変わらない。
人の命を手にかける。人殺し。そんなことを美桜にさせたくなかった。その一心で杉原が放った言葉のとんでもなさに、突っ込める人間がこの場にはいなかった。
姫川は心身喪失しているし、緋月はそもそも人を傷つけることに向いていない魔法だ。柊兎ならできそうではあるが、柊兎の魔法はカウンター魔法。マリから攻撃されなければ、柊兎は魔法を使えない。嘘か本当かわからないが、マリが自分の血筋の者を傷つけるとは思えない。
マリを殺さなければ、人間に未来はない。緋月はそれも「自然のあるまま」と称した。ということは、マリを止める気はないのだろう。
マリほどの強大な魔法使いをロストにさせずに浄化させるには、桜の魔法少女レベルの浄化の力が必要だ。杉原の杉魔法は風の力でしかない、が、杉原が美桜の代わりになれることをマリは話の中で示唆していた。
「僕を生かす桜魔法の浄化の力を、魔法で抽出できれば、あなたを浄化できる。そうですよね?」
『気づいていましたか』
「わざわざあんな話をされたんですから、気づきますよ」
『なら、何故、夜長舞桜に代わらせるという案を出さなかったのですか?』
ぎくり、と杉原が固まる。やはり、気づいていることに気づかれていたか、と。
浄化の魔法は桜以外にもう一つある。桜草の魔法だ。それは舞桜が持っている魔法である。故に、美桜にやらせたくないなら、舞桜にやらせる、という方法もあったのだ。
だが、そんなもの、選びたくなかった。
「人殺しを誰かにやらせたいわけないじゃないですか。それが大切な人であればあるほど」
杉原にとっては、舞桜も美桜も比べられないほどに大切な存在だ。美桜はもちろんのこと、舞桜にだって、人殺しなんてしてほしくない。
『それは夜長美桜や夜長舞桜も同じことです。あなたに人殺しなんてさせたくない。同じことを夜長舞桜にも夜長美桜にも聞きました。全員同じことを言いました。誰かにやらせるくらいなら、自分がやる、と。そのために夜長舞桜は力を開花させました。夜長美桜は魔法花を開花させました。ではあなたはどうしますか?』
「……あなたが、美桜ちゃんや舞桜さんを唆したんですか?」
頭を打ったような衝撃を受ける。美桜や舞桜とは話し合い済みだったのだ。このまま決定打がないと、マリの独断になるだろう。それは避けたかった。
けれど、ここで杉原が一人で決め、今、この場で施行したとして、それは二人の気持ちを慮らない傲慢な行いということにならないだろうか、という疑問が鎌首をもたげる。
……いや。
『唆したとは人聞きの悪い。彼らの意思は尊重しました。そして私は必要な力を与えただけ』
「それで美桜ちゃんや舞桜さんの寿命が蝕まれることは知っているはずですよね?」
『蝕まれるのは人間としての身体です。彼女らはやがて植物となり、永劫に近い時をこの世界と共に生き続けます』
「でも、人間じゃなくなるでしょう!? それは死ではないんですか!?」
『生き続けるということは、死ぬということに相当しません。何故あなたはそうも嘆くのですか?』
マリの言葉はびりびりと杉原の内側に響いた。きっとアマリリス魔法の効果もあるのだろう。
冷静に、言葉を選べ、と杉原は深く息を吐く。
「それは、あなただって同じだったでしょう? アマリリスの魔女」
『……』
「あなただって、柳の魔法使いが木になったことを嘆いた。そんなあなたに呼応して、世界は少しだけ、姿を元に戻した」
『……そうですね』
「でも、あなたの望んだものは、戻らなかったでしょう?」
植物になってしまえば、もう話すこともできない。魔法花はロストそのものではない。だから、その下に想い人が埋まっていようと、その姿を見ることも、声を聞くことも、二度とないのだ。
魔法花に侵食され、植物になった人は生物としては永遠になるかもしれないが、人間としては終わる。それは「死」と形容して差し支えのない現象だ。
マリはそのことを誰よりも痛くわかっているはずだ。
嘆いた結果が、今この国だ。人々から歪に記憶が消え、偽りの平和が咲き誇る世界。
ナギのいない世界。
「あなたにとってのナギが僕にとっての美桜ちゃんです。だから、僕は美桜ちゃんを傷つけさせない。舞桜さんのことも。二人が傷つくくらいなら、僕が傷つく道を進んで選びます。──人殺しを二人の魔法花の糧になんか、させない」
魔法を使えば、使った分だけ魔法花の侵食が進む。美桜の顔を魔法花が潰すほどに咲き誇っているのは、マリが何らかの干渉をしたからだろう。そうしてマリを殺せるようになった美桜がマリを殺すのに魔法を使えば、また魔法花の侵食が進む。
魔法は不治の病だ。桜の魔法少女はあらゆる魔法の中でも一番侵攻速度が速い。美桜を長生きさせたいのなら、魔法を使わせないことに執心しなくてはならない。少しでも、死を遠ざけるために、杉原が代われることは代わりたい。
いつか木になるとしても、その「いつか」をできるだけ遠ざけたい。それは杉原の独善かもしれないけれど。木になったとき、意識や記憶は消えるのかもしれないけれど、「人を殺した」なんて後悔を抱えてほしくない。
杉原は、手に神経を集中させる。ボタニカルブルームをする必要はない。杉魔法の真髄は風による殺傷能力にある。
緋月がさっと青ざめる。
「待て杉原。今、ここで?」
「……そうしないと、この人は他の魔法使いにさせるかもしれないでしょう? それが美桜ちゃんや舞桜さんじゃない保証がない」
「だが、場合によっては、マリさんは魔法を治せるかもしれないんですよ?」
ちくり、と杉原の顔が歪んだ。そう、マリの口から、「杜若は自分が人のまま死ぬことを許した」と示された。同じことを、他の魔法にできるかもしれない。
だが、それは何の慰めにもならない。
「もし、そうだとしたら、どうして緋月先輩は魔法使いのままなんですか?」
「えっ」
緋月がきょとんとする。どうやら、気づいていなかったようだ。マリも気づいてほしくなかったのだろう。
「柳の魔法使い。そんなの、マリさんが一番見たくない魔法発症者のはずです。それならどうして、緋月先輩は治されないんですか? 僕がマリさんなら、きっと一番に治す」
「そ、それは」
『……ふふ、なるほど』
マリはくすくすと笑った。
『そこからバレたんですか。本当に、嘘を吐くのは難しいですね』
「マリさん?」
『私は一部の魔法は治せます。けれど、私にはまだ人間の部分が残っている。完全に自然になったわけではないから、より植物性の高い魔法を治すことはできません』
「それでも、病を治す手がかりには……!」
『柳兎』
マリの眼差しは慈しみを持ち、ただただ優しかった。緋月は息を飲む。
杉原も承知していた。マリが何を言いたいか。マリが生きて、二百年以上。その多くを緋月家が支えてきた。その二百年の中で、全く進んでいないのだ。魔法の治療方法が。
確かに、緋月家の方針は「自然のままに」かもしれない。だが、ほとんどの場合死ぬ病気を治そうと、誰も思わなかったなんてこと、あるのだろうか。
『柊兎もいらっしゃい』
「マリさん……」
マリが緋月兄弟を抱きしめる。それはきっと、抱きしめられなかった、自分の子どもを重ねているかもしれなかった。
「……アマリリスの魔女」
「ええ。看取ってくださるのが、あなたでよかった」
人の形をしたものの命を奪うことに、当然抵抗はあった。
けれど、杉原は脳裏に美桜と舞桜を浮かべる。──あの二人に、こんな思いをさせるわけにはいかない。
「風よ、はらはら、花拐え」
そう唱えて、杉原は、風の刃をマリの方に放ち、マリに深々突き刺さるのを眺めた。
ふわりと桜とアマリリスの花びらが舞って、マリは風に溶けるように消えた。




