歴史にない災害
「……あれ?」
杉原はふと、首を傾げる。
国境戦争の話も、日本大震災の話すら、杉原は知らなかった。大陸と島国がぶつかるなんて大自然災害があったのなら、歴史の教科書にくらい残るだろう。マリとナギの話がなかったとしても。
それに、杉原が今生きている日本という国は、島国である。大陸と合体なんてしていない。日本大震災なんて、世界地図が変わるレベルの出来事が、これではまるで、起こっていなかったかのようだ。
それは別世界の話のようだった。
マリは躊躇いながら、杉原に告げる。
『戦争は終わり、日本列島は元に戻りました。いえ、逆ですね。日本列島が元に戻り、戦争が終わったのです。……私の言霊によって』
交渉は当然のように決裂した。
ナギを渡そうとしなかったのだ。交渉は平行線を辿り、マリを外国の軍が保護したという情報が洩れ、挙げ句、マリが敵についた、と警戒され、それなら尚更ナギには会わせられない、となったという。
もちろん、マリは軍人に「お願い」こそしたが、軍人になったわけではない。あくまで彼らはマリを保護しているだけであり、マリの情報を悪用するつもりはない。マリの能力の詳細さえ、彼らは聞いていないのだから。
マリがお産直後の状態で発見されたことから、子どもにくらい会わせてやれ、とやや情に訴える議論も交わされたが……
「神子は神に捧げました」
「どういう意味だ?」
「我らの神は弱り、供物を欲していた。故に、神に相応しい供物として、神子を捧げたのです」
この意味がわかるか、とマリに説明に来た兵士が言う。その声色が暗いのは、当然のことだった。
マリは何も声が発せられなくなるほどの衝撃を受けた。わかってしまったのだ。
ナギは人々のために力を使い続けている。けれどそれは病気が侵攻することにも繋がる。マリは魔法花が咲いたことによる不自由を感じてはいないが、ナギを見ていれば、体表に魔法花が咲くこと、体が植物に変化していくことの不自由さはわかった。どれだけ咳き込んでも、吐血することはない。ナギの口から零れるのは柳の木片。人間の細胞が植物化の細胞に侵食されることで拒絶反応が起きる。そんな話。
マリは我が子の姿すら見ていないが、ナギに捧げられたということは、魔法が発症しており、魔法花が咲いていたのだろう。杉の魔法使いが桜の魔法使いを食べたように、マリが少しずつナギの体を取り込んだように、ナギだって、魔法発症者を食べれば、魔法の侵攻が緩やかになるのだ。
そんな、そんな、あんまりだ。マリはあまりの事実に、呼吸がおかしくなる。マリがお腹を痛めて産んだナギとの子どもは、名前もつけられず、ナギに、食べられた。
何のために、産んだのだろう、とマリは思う。ナギの中に還った命。そう言えば聞こえはいい。けれど、ナギもマリも、そんなつもりで子どもを作ったんじゃない。
ナギは死ぬつもりでいた。死ぬ、というより魔法という病気の終わりが「死」ではなく「植物になる」ということだと捉えていたからこそ、ナギはそれを受け入れていた。随分と昔から。マリと出会う前から。
それでも、ナギという人間がいたという証を残したくて、マリと子どもを作ろう、となったはずだった。
それを、ナギはどんな気持ちで、食べなければならなかったのだろう。存在証明になるはずだった、マリとの愛の形だったそれを食べることを、どうして受け入れたのだろう。
ひどい。ひどすぎる。マリから子どもを取り上げておいて、その上でこんな仕打ちをするのか。ナギをどことも知れぬ場所に閉じ込めて、自分の子どもを食わせたというのか。たかだか延命のためだけに!
ちくり、とマリの胸が痛む。そう、延命。ナギは延命をしなければならないほどに、病が侵攻している、ということだ。魔法発症者を食べたのは、一時的措置にしかならない。ナギはやがて、木になる。一本の、柳の木に。
「マリ……」
悄然としてぼろぼろ涙を流し続けるマリに、兵士はかける言葉を見つけられない。兵士はマリの病気の詳細も魔法の詳細も知らないが、つい先日産んだ子どもが、暗に殺されたと聞かされる心情は想像を絶するものだろう。ほとんど殺されるようにして産まされた子どもの顔さえ見ることが叶わなかったのだ。
外国人たちはそれを許しがたいことだ、と一致団結した。戦争が終わる道は閉ざされた。向こうが戦争の終わりを拒み、外国人たちはマリの心情を慮って、義憤に駆られている。もう、止められない。どちらにも、止まる理由がないからだ。
マリは、ナギに会いたかった。その小さな小さな願いだけが、胸にぽうっと灯火を灯す。
「ナギ……」
小さな掠れた声で、呟く。マリの声を聞いて、兵士は驚いていた。マリは喋れないと聞いていたから、声が出るなんて、思っていなかったのだ。
マリははっとし、口をつぐむ。マリが嘘を吐いていたことを責める者はないが、迂闊だったと思う。マリは普通に喋っているつもりでも、他の者からしたら、わけのわからない言葉を発する鬼女にしか見えないだろうから。
気が狂っている、と認識されるのは得策ではない。……赤子が殺されて、気を狂わせずにいる方がよっぽど難しいが、マリは狂いきってはいけなかった。
まだ、ナギと会うために……




