説得と交渉
言葉しか武器のないマリに唯一できること。
情に訴える。
それが一番、手っ取り早い打開策だった。
なんてこと、と声が聞こえる。
連れ添いを取り戻してほしい。これは本音だ。ナギに会いたいし、ナギが心配だ。
『それに、私は身籠っていた子どもも、腹を切られ、奪われました。連れ添いの子どもです。顔を見ることすら、まだできていません』
もし、杉の魔法使いが言っていた通り、魔法発症者が生まれたとしたら、ナギと同じく子どもたちまで使い潰される。
いつか聞いたロストの声が蘇る。
利用するだけ利用して、不要になったら身勝手に捨てる、人間の有り様には吐き気がする。自分がまだ人間であるという事実すら、嫌悪しかない。
どうして、どうして、どうして。
どうして私がこんな目に遭わなければならないの。私はナギと幸せになりたかっただけなのに。
沸き上がる怒りを涙に変換する。魔法による傷口の止血で、マリは体液を自在に操ることができるようだった。
『連れ添いは無理矢理力を使わされているだけなのです。私たちを守るために……そうして、どこかに閉じ込められてしまった。このまま彼が力を使い続けたら、彼は死んでしまう。だからどうか、その前に……』
声を出して泣きたくて、上手くできなくて嗚咽した。嘔吐しているような気持ちの悪い呼気に、生理的な涙が入り混じって、マリは嫌になる。
自分も、人間を利用しようとしている。人間の浅ましさは自分の中にもある。そんな嫌悪感。
「事情はわかった。少し休みなさい」
『ごめんなさい』
「いいからいいから。どうして日本人はすぐ謝りたがるかね」
違う。違う。
あなたたちに謝っているんじゃない。
マリは外国人の軍隊を利用することに罪悪感を覚えていなかった。それはナギたちを救うためだから。嫌悪はするが、必要なことだから、いちいち罪悪感に苛まれてはいられない。
謝ったのは、マリが一人では何もできないから。こうして人を利用しないと、何もできない。ナギを助けられない。むしろあちらでは、マリの存在がナギの足手纏いにすらなる。
助けに行けなくて、ごめんなさい。
マリはそうして、意識を閉ざした。
情に訴える作戦は成功した。なんてひどいやつらなんだ、と砦の軍人を悪にすることができた。
決して彼らは悪ではないし、外国人たちも正義ではない。マリは手段を選ばないだけで、どちらの味方でもない。マリはただ、家族を取り戻したいだけだ。
けれど、言葉という弊害がある以上、全てが上手くいくわけではない。
「砦に白旗を持たせた兵士を行かせた」
兵士の一人が、マリにそう報告した。
「事態が好転するか、悪化するかはやつの立ち回り次第だが、向こう側にその意思があれば、停戦交渉をするつもりだ」
『戦争が、終わるんですか?』
なんだか規模が大きくて、現実味がない。
兵士は首を横に振った。やけに断定的な動きだった。
「君も、君の連れ添いも未知の存在だ。正直に言えば、研究をしたい。それが上の本音だ。ただ、君たちは戦争に巻き込まれた存在、無辜の一般市民だ。だから、保護したい。君たちを利用しない『ただの人間の戦争』に戻すために交渉する。今回の目的はそれで、戦争そのものを終わらせるという考えはない」
それは冷徹な軍人の考え方だった。同時に一般市民としてマリたちを扱うことにより軍人の役目の一つである「民を守る」という大義名分を果たすものだった。軍なりの優しさなのだろう。
その優しさはマリにはわかった。けれど、マリの表情は優れない。外国人の理屈が日本人に通用するとは思えないからだ。
何故なら日本人は平和主義を掲げ、長年戦争というものに関わって来なかった平和ボケした人種であり、マリやナギの扱いを見るに、その反動で今の戦争に対し、かつて日本が「大日本帝国」だった頃の過激思想に染まりつつあるように感じたからだ。
あの時代は日本という国の黒歴史だ。社会の授業では、そう習った。けれど、日本は戦っている。外国人を相手に大義名分なんてものを掲げて、自分たちは立ち向かえる、という事実に満足し、慢心している。慢心した人間は妙にプライドが高いものだ。悪知恵もよくはたらく。
マリはこの国境戦争について、よく理解はしていない。けれど、砦の人間のおかしさについてはよくわかっていた。おかしい人間が、理性的な人間とまともにコミュニケーションが取れるかどうか、という視点を置くと、やはり、かなり不安だ。停戦交渉ができると思っている軍が楽観的に思える。
そもそも、帝王切開をした女を止血もせずに外に放るという時点で人の心がない。人の心がない人間が、人道的な話を理解し、受け入れられるだろうか。
不安は多々あるものの、マリにできることは、やはりない。外国人の軍にマリが関わりすぎると、ナギとの再会も遠いものとなる。あちら側からすると、ナギの妻が裏切った、となるからだ。そのことにより、ナギをより頑なに閉じ込めるだろう。
本当に、何もできない。マリはただ、外国人の用意した交渉が上手く進むことを祈るしかできない。
祈って、いかほどのものになるか。
自分の力も、ナギのように、ロスト以外にも効けばいいのに。マリはそう、悔しさを噛みしめた。
──まさかこの祈りが、後に最悪の形で実を結ぶことになるなんて、思いもしなかった。




