命拾い
目が覚めると、そこは知らない天井だった。建物の天井というのを見たのは一体いつぶりだろう。
体は動く。点滴のようなものに繋がれているが、ここはどこだろう、と動いて、体に痛みがないことに気づく──否、痛みどころか、感覚そのものがない。
手で触れているはずの下腹部を見て、マリは血の気がすっと引いた。膨れていた腹はなく、その空虚を埋め尽くすように、真っ赤なアマリリスが咲き誇っていた。美しく微笑ましいはずの花が臓物のように見えたのは、気のせいではあるまい。
魔法が侵攻していることを悟った。いや、侵攻しているというより、生きるために侵攻させた、と表現するのが正しいだろう。そうしなければ、マリは死んでいた。
植物になって死ぬより、人間として死ぬことの方が健やかなのだろうか、とふと考えた。魔法花を侵食させなければ、マリは人間として死ねたはずである。それは果たして幸福なことなのだろうか、と。
「……ナギを置いて、死ねない」
少し前より、人間のものから遠ざかった自分の音声を耳で受け止めて、マリは眉根を寄せた。植物化が進んだことにより、マリはより人間からかけ離れた存在になっていくようだった。
寄り添おうとすればするほど、遠ざかっていく。もしかしたら、寄り添おうというのが間違っているのかもしれない。マリは人間との共生を半ば諦めていた。
それでも踏みとどまるのは、ナギが今も人間と一緒にいるからだ。
あれから、どれくらい経ったのだろう、と思っていると、部屋の扉が開いた。
「お! 目覚めてるよ!!」
外国人なのに、普通に日本語に聞こえるのも、アマリリス魔法の影響なのだろうか。それとも単に日本語が喋れるだけなのだろうか。マリには判別がつかない。
「驚いた! あの出血で助かるなんて」
どうやら、その外国人は、マリを見つけてくれた兵士らしい。しまったな、とマリは思う。
外国人の兵士、ということは、敵側に保護されてしまったことになる。マリからすれば、ナギに攻撃する方が敵だ。いくら命の恩人でも、敵に感謝は素直にできない。
それに、敵がマリが何者かに気づいてしまえば、利用される。それで戦争が終わればいい。けれどそんな簡単に終わらないから、戦争なのだ。
「体に花が咲いて止血? アマリリスだね。これは何? 魔法?」
言葉の単調さを聞いて、これは日本語を聞き取っているのではなく、外国語がマリの聞き取れる言語に置き換わっているのだとわかった。
アマリリス魔法、ある意味では、便利なのかもしれない。けれど、戦争の役には立ちそうもない。まずはコミュニケーション方法を確立するのが最優先だ。
自分が喋れないことをジェスチャーして、筆談しようという流れにする。自分のわかる言語になっているのがわかるだけで、何語を喋っているのかはわからない。マリは外国語なんて、英語くらいしかわからないものだが……
英語はほぼ世界共通言語だ。それに賭けて「Can you speak Japanese?」と綴った。
「書けないけど、読めるし、話せるよ」
とのこと。マリはほっと胸を撫で下ろす。
『ここはどこですか?』
まず、一番気になっていたことを聞いた。ほぼ確信しているが、確認しておかないと、迂闊なことは話せない。
「ここはね、国境防衛線だ。君は日本人だろう? となると、君からしたら、敵地ということになるんじゃないかな。私たちは日本と戦争をしている。もっとも、あの砦にいたのなら、君がよーくわかっているだろう」
ああ、砦から追い出されてから生き延びるのに必死だったが、砦近くで保護されたのか、と思い至る。治療にベッドも与えて、至れり尽くせりとは思うが、敵という認識ではあるらしい。
が、兵士は剽軽に肩を竦めた。
「そんな怖がりなさんな。事情があるのだろう? 取って食ったりしないよ。君を拾ったのは私で、君の状態からあくまで捕虜ではなく、保護という目的で置いているんだ」
『私を利用するつもりはないと?』
「んー」
そこで兵士は言い淀む。正直な人だ、と思った。
一兵卒がこんな特異な人間をどうこうするかなんて簡単に決められるわけがない。私が目覚めたことを報告し、上に指示を仰ぐだろう、というのはマリでも想像がつく。
「あなたの状態を見た医者が、直前まで身重だっただろうと言っている。もしそれが本当なら、しばらくの療養くらいは約束しよう」
『軍人さんが簡単に約束なんて言っていいんですか?』
「君、妙に冷静だね。日本人はポーカーフェイスが得意なのかな。ともあれ、ゆっくりするといいよ」
まあ、ゆっくりしていい、と言われて断るほど、マリは追い込まれていない。というか、休養が与えられるのはありがたいことだった。魔法という病気を無理矢理侵攻させるという無茶苦茶をやったのだ。体は思うより動かせるが、心が追いついていかない。
焦る気持ちはある。けれど、体調を整えなければ。
大丈夫。ナギの緩和の魔法はマリの中に浸透しているのだから。




