それは儀式のような
ちゅ、と口づけの音と木の香りと味で目が覚める。
「おはよう、マリ」
──あれから。
杉の魔法使いが魔法発症者でありながら、長生きである秘密を知ってから、ナギは毎朝マリにキスをして起こすようになった。そのたびにナギの口内から魔法花の欠片が流れ込んできて、マリは無意識に飲み込んでしまってから、はっと目を覚ます。そんな毎日。
ナギは思うより狡猾だった。マリによく口づけをして、魔法花を飲ませてこようとする。意識が明瞭なときはマリもそれを拒むことができるが、寝起きのこれは、無意識に飲み下してしまう。だから、少しずつ少しずつ、マリはナギの魔法花を取り込んでしまっている。
ナギの死……というか、完全な植物化が近づいてきていることがわかる。近くにいるだけで、自分の魔法花部分が癒されるのが感覚的にわかる。魔法発症者は植物の近くにいると呼吸がしやすくなる、と杉の魔法使いに教えてもらったが、その通りだ。屋久杉の側を離れると息のしやすさが違う。それでも、植物になりかけのナギが側にいるから、マリは楽に息ができる。
人間の呼吸は空気中の酸素を取り込むために行われ、呼気は空気より二酸化炭素の割合が多くなる。だが、植物の呼吸は違う。植物は二酸化炭素を取り込み、酸素を吐き出す。だから魔法発症者に限らず、森の中や山の中など植物に囲まれていると「空気が美味しい」「呼吸がしやすい」と感じるわけだ。魔法発症者は症状としてそれが顕著なのだろう。
世界は産業廃棄物やガスなどで二酸化炭素の排出量が多かった。だが、度重なる天災で、文明は衰退し、幾何かそれは改善された。だが、衰退したものを取り戻そうと人間は動き始めている。それは人間という生き物の性であり、業である。仕方のないことといえば、そうなのかもしれないが。
元に戻るのであれば、世界はたまったものではない。再び環境破壊が始まるということなのだから。それへの牽制として現れたのが「魔法」という病気である。
今のところ、地球に害を成さないのは、植物だ。植物は食物連鎖の底辺に位置するがたくましく、何に食べられようと、繁殖し、生き続ける。むしろ何かに食べられることを繁殖の手段とさえする大胆な生き方をしていて、下手をすれば人間よりも長生きだ。
植物になることを、死と呼ぶのはおかしいかもしれない。植物になって、生き続ける。桜の魔法使いも、植物になり、杉の魔法使いの糧となり、生き続ける。もしかしたら、ナギもそうして生き続けたいのかもしれなかった。
けれどマリはそれを受け入れられない。受け入れるにはまだ、マリの中には人間としての意識が根強くあるのだ。ナギのことも人間だと思っている。だから、苦しい。
「お、おはよう、ナギ」
だから、ぎこちなくなってしまうのを許してほしかった。どうしても、受け入れられないのだ。口の中に入ってきた木片が、ナギの体の一部だと。
きっと杉の魔法使いもそのことに傷ついている。どんなに仲が良くたって、生き延びるために人を食べるなんて、正気じゃいられない。死ぬと植物になる、ということも信じられないでいるのに。
杉の魔法使いの話が本当なのなら、こうして体の一部を分け与えているナギはどんどん植物に近づいていっているのだ。……ナギとのお別れは、そう遠くない話となる。
マリはそれが悲しくて仕方がなかった。ナギを助ける方法があるか探したくて、ナギと一緒に旅をしたのに、その終着がナギの死だなんて。しかも、自分がナギの死期を早めているなんて。
「ふふ、マリ、今日も顔、赤いよ」
それなのに、ナギは普通に微笑みかけてくる。そんな、なんでもないようにからかってくる。
……それがつらい。ナギが、ナギの命をなんとも思っていないみたいで。
「だって……」
「いい加減慣れなよ。毎日してるんだからさ」
「……慣れるようなことじゃないと思う」
「そう? ぼくは好きだな。マリとキスするの」
「っ!?」
恥も外聞もない言い様に、マリの顔が紅潮させる。耳まで赤くなっているのではないだろうか。
ナギはなんでもないように続ける。
「マリのことも好き。ぼくのこと変だって言わないし。ぼくのこと嫌いにならないし」
「ナギ……」
母親のことをやはり気にしているのだろうか。マリと出会うまでにも、様々な偏見に晒されてきただろうし、ナギは傷ついているだろう。もしかしたら、母親以外にも、魔法を発症したことで離れていった友達なんかがいるのかもしれない。
ナギの神様視点のような考え方は、ナギがもう人間という枠組みに希望を見出だせないからかもしれない。……そういう意味では、マリが最後の希望なのだろう。
だとしたら、その希望を裏切ることはしたくない。これ以上ナギに傷ついてほしくない。
傷つけないためには……
「私も、好きだよ、ナギ」
「うれしい」
好きなのは本当なのに、胸がちくりと痛むのは何故なのだろう。
ナギの笑顔を見ていられなくなる、この感情の名前は何というのだろう。




