話せない
マリの得た魔法の力は、なかなか皮肉の利いたものだった。
マリは肌に刻まれた赤い花の紋様を見て、魔法を発症したのだとわかったが、それをナギに言葉で伝えることが上手くできなかった。ナギも、戻った先の店の店主さんも、マリが日本語を喋っているようには聞こえなかったらしい。
日本語どころか、世界のどこにもない言葉のようで、マリは人とコミュニケーションを取ることができなくなっていた。それがロストという自然災害とコミュニケーションを取れるようになった代償だった。
どうにか頭を回して、筆談をすることになった。
「ロストと話したの?」
『うん。あの人たち、すごく怒ってたから、頑張って宥めたんだけど……』
マリの説明にナギが思案顔になる。けれど、次にはぱっと明るい顔で笑った。
「じゃあ、天気が晴れたのは君のおかげだね」
ナギの左目から垂れる枝がさらりと揺れて、ナギが本当に嬉しそうに笑うので、マリは嬉しくて、胸が高鳴った。
『これで私もナギの力になれる?』
興奮気味にマリが書き出した言葉に、ナギはなんだかほろ苦く笑った。
それから、ナギはマリの頭をそっと撫でる。
「もうずっと、救われてるよ」
優しく、さらさらと髪を鋤くように撫でてくれるのが気持ちよくて、嬉しいのだが、同時にどきどきもして、頬が赤らむ。
それを見た店主がにやにやとして、ずっと茶を啜る。
「うーん、若いっていいねえ」
暗にマリがナギを異性として意識し始めたことを指摘されてしまい、マリは頭がぼっと熱くなった。そんな様子にナギがきょとんと疑問符を浮かべて首を傾げる。その仕草も愛しくて、たまらなくなったマリは顔を両手で覆った。
店主は魔法のことを信じてくれた。何せ、魔法が暗雲を晴らすのを目の前で見たのだ。自分の目で見たものは信じるしかない。魔法が病気だということには疑問符を浮かべていたが、店主は二人を奇跡の子だと認識して、「ありがとなあ」と頭をくしゃくしゃに撫でてくれた。
マリのためにノートとペンもくれた。人と口頭でコミュニケーションを取れないのは不便だろうが、それであんな奇跡を起こせるんなら安いもんさ、とマリを元気づけてくれた。いい人だと思う。
久しぶりの晴れの日に人々は笑顔で街の中を歩いていた。その姿を見て、マリはナギと顔を見合わせて笑い合った。鬱々としたものが雲と共に晴れていったようだ。
けれど、変わらないものがあった。
「お母さん、ただいま」
「……」
ナギの母親は相変わらず、ナギに何の反応も示さない。晴れたというのに、窓にはカーテンがかけられたままで、部屋に明かりもつけていない。目を開けたまま死んでいるのでは、とマリがちょっと失礼なことを考えるほどに、ナギの母親は動かなかった。
ナギは動かない母を見て、少し寂しそうにした。それを見て、マリはあれ、と思う。
以前より、ナギの心がわかるような気がするのだ。今まで気にも留めていなかった細かな仕草からその意図やそうする心境が汲めるようになっている。
これも、魔法の効果? だとしたら、何故ナギには言葉が通じないのだろう?
「ナギ」
「マリ、どうしたの?」
「ナギ、わさなたわ?」
「んん? ごめん、なんて言ってるかわからない」
やはり駄目だ。
むず痒い。今まで普通にできていただけに、もどかしい。どうして、言葉が通じないのだろう。自分はナギのこと、今までよりずっとわかるようになったのに。
マリは諦めて、ノートに文字を書いた。
『ナギ、これからどうしようか』
そう、マリが魔法を発症したことにより、人とのコミュニケーションが難しくなってしまった。魔法はまだ世の中にあまり知れ渡っていない病気のようだし、病気だと診断してもらうにも、当の罹患者が会話でのコミュニケーションができないと来ている。
それに、ナギと違って体から生えているわけではないとはいえ、腕の赤い花の紋様はあまりにも目立つ。他者との距離が今まで以上に空いてしまうだろう。
ナギはうーん、と悩んだ。
「マリが喋れなくなったことに関しては喋れなくなる病気っていうのはたくさんあるから、役所で何か支援を受けられるかもしれないけど」
『お役所で手続きした方が便利?』
「うん。魔法もそういう取り扱いができるようになればいいけど……どうだろうね」
体から木が生えてくる病気。それは奇病で片付けられてしまう。もしくは、日本という国の文化からそういう「コスプレ」と取られてもしまう。難しいところだ。
マリの花の紋様も右腕にびっしりと入っているので、タトゥーと受け取られるかもしれない。こんな若い子が、などと後ろ指を指される可能性もある。
けれど、マリが聞きたいのは、そういうことではなかった。
『あのね、ナギ。私はこれからこの力を生かすために色んなところに行きたい』
『できればナギと一緒に』
けれど、ナギには親がいる。ナギを空気のように扱うけれど、放っておいてはいけないような母親が。
ナギは魔法を発症したことで、環境改善していくことを使命のように思っているようだけれど、それは逆効果なのだ。ロストになってしまった魔法使いたちからすれば、環境問題のために魔法使いが使い潰される世の中が気に食わないわけであって、ナギに能力を使わせるのはその怒りを増長させる。
それをそのまま伝えてしまったら、またナギの背負う荷物を重くしてしまうと思って、マリは敢えて言わずにいた。ナギには幸せになってほしいし、長生きしてほしい。でもそれはナギがそう望んでこそ、真に成り立つものだ。
ナギと一緒に旅をしたいというのはマリのわがままだ。だから、ナギからナギの言葉を聞きたかった。
「……ぼくは……」
ナギは俯いてしまう。マリは走り書きで「無理しなくていいから」と書こうとするが、それはナギの手によって止められた。
触れたところから、ナギの気持ちが伝わってくる。マリを心配する気持ち、役目から解放されることへの空虚感、母親を心配する気持ち、家に留まるという選択肢への戸惑い。様々な感情が綯交ぜになって、ナギの心は苦しそうだった。
こういうとき「大丈夫だよ」「ゆっくりでいいよ」と声をかけられたらいいのに、マリの言葉はナギに伝わらないのだ。
「ぼくは、ぼくが信じた役目のままに生きたいよ」
「ナギ……」
「憐れまないでよ」
ナギは不安げなマリと目を合わせた。
「一人じゃないって思ったら、今までより楽なんだ。だから……一緒にいさせて」
そんなナギの言葉に、マリは深く頷いた。




