頬を焼く痛み
天の怒りの声だった。マリは微かに目を見開いた。
「あなたたちは……」
『小娘が。人間という種族が、どれだけの時間をかけ、地球を汚し、自業自得で滅びようとしたと思う。幾度となく更生の機会はあったのに、懲りもせず戦争などをして、困ったときにばかり都合よく力あるものの力を求めて、どれだけ使い捨ててきたと思っている?』
声と通じ合ったことで、マリは悟った。
この声はナギと同じものだった人々の声だ。
魔法使いでなくなった人間の声。
魔法という病気はナギがかかる以前から存在した。魔法は地球の環境を少しでも良くなるようにもたらされた力だった。けれど、その力を持った人はその場しのぎに使い捨てられ、失意と無念のうちに死に、自分たちの命に報いなかった人間に復讐しようとしている。それが彼らの力の派生である自然災害となって表れているのだ。
何も知らない人間からしたら、魔法という病気が環境改善のための存在だなんて、おとぎ話や中二病のように感じられるだろう。無知故に人々は魔法使いを信じなかった。魔法にかかった者たちはその命を魔法に吸われながら、人々のために災害と戦ったのに。
無念だったことだろう。失望したことだろう。いっそ生まれてこなければ、なんて脳裏によぎったかもしれない。そんな絶望たちが形を持ったのが、不自然な自然災害、ロストなのだ。
彼らの悲しみと怒りに触れたマリは空に手を伸ばす。雨は純粋な水のみではない何かを孕んで、しゅう、とマリの指先を、頬を、花を焼いていく。
「お嬢ちゃん!」
親切な店主が声を上げる。
「いけない。駄目だよ」
ナギが飛び出していく。不思議なことに、ナギのことを雨は焼かない。
酸性雨。いつか世界の終わりに降り注ぐ雨だとされた。それがこの日まで降り注ぐことなく済んでいたのは、世界の裏側、誰にも見留められないような場所で魔法を使っていた人間たちのおかげだ。けれど人々は彼らの力や貢献を認めなかった。それどころか、人々は彼らを蔑ろにし、彼らの努力を戦争や科学文明で無為にした。
彼らがナギを傷つけないのがマリにはわかっていた。だって、柳魔法にかかったナギはきっと彼らと同じ末路を辿る。彼らとしては守りたい、二の轍を踏んでほしくない愛し子なのだ。
それに引き換え、マリに何ができるというのだろうか。なんとなく、不思議の力に満たされているのはわかる。普通は聞こえないはずの「彼ら」の声が聞こえるのは、もしかしたら魔法のせいなのかもしれない。けれど、マリにできるのは、彼らの言葉を聞くことだけだ。
伸ばした指先が爛れて、雨の中で赤い液体を滴らせていく。頬も口も鼻も焼けて、嫌な臭いと痛い味が広がる。
けれどその奥にふわりと、ほんの少し、本当に微かにだが、花の香りがした。
「私は」
飛べないけれど、空を目指すように、天へと手を伸ばす。彼らの涙を湛える頬に触れようと。
「私は、みんなにあなたたちのことを知ってほしいよ。何もできないかもしれないけれど、私は、私なりのやり方で、あなたたちと向き合いたい」
そのためにね、と頬に赤い筋を作りながら笑う。
「まずは、ナギを助けたいの。……その思いはあなたたちとおんなじじゃなぁい?」
そう天に問いかけたところで、ナギがマリを抱きしめた。雨から庇うように、覆い被さる。ナギは息を切らしていた。
「馬鹿」
耳元で、ナギの声が聞こえた。
「女の子が無茶するんじゃないです」
「ナギはいいのに?」
マリがほんのりと苦笑する。ナギはマリを抱きすくめる。冷たい雨の中、寄り添う温みが心地よくて、マリはそっと目を閉じた。
手探りで、ナギの頬を撫でる。雨に打たれて神経が麻痺しているようだ。触れている実感がない。けれど、ナギの左目から垂れる柳の枝がさらりと動いたのがわかった。
『っ……』
マリの耳に「彼ら」の息を飲む音が聞こえた。
ナギはまだ、世界から捨てられる未来を知らないから。無意味に死ぬことが確定していないから、こうして希望を持って、人を守ろうとする。
「こんな姿も、あなたたちと同じはずでしょう?」
マリは語りかける。
「ナギは優しいからね、私はナギが好きなの。難しいことは難しいし、よくわからないことも多いけどね、私、ナギの正しさのためなら、死んだっていいくらい、ナギのことを信じてるんだ」
「君、何を言っているの?」
ナギの疑問には答えず、マリは続けた。
「私を信じなくていいよ。ただ、あなたたちが信じたいと、本当は思っているナギのことを、信じて。世界を変えられなくても、ナギの先行きくらいなら、私でも良くできるかもしれない。今、あなたたちと話せているみたいに」
マリは目を開けた。雨脚が弱まっているのを確認して、ナギににこ、と笑う。
「これは奇跡だよ」
『……娘よ』
厳かな声がマリには聞こえた。そこにはもう怒りも憎しみもない。
ただ嘆願がマリの耳朶を打つ。
『その子を頼むぞ』
「任せて」
一呼吸の間も置かず、マリは胸を張って答えた。それが根拠のない自信であることは「彼ら」にもわかった。けれど、見栄や虚勢には見えなかったのだ。
雨によって、花の紋章のように、肌に赤い痕がついたマリははにかむ。
「アマリリスみたいね」
雨はいつしか止んでいた。ナギが呆然としている。
人同士であるのなら、話し合って解決することができる。マリが花開かせた魔法が、その架け橋になるだろう。
そのことに胸を弾ませ、マリはナギに微笑む。
「ナギ、ありがとう。私、雨を止ませられたよ。これでちょっとはナギの負担を減らせるかな」
「……何を、言ってるの?」
「え? だから、私の魔法が、ナギの力になれるかなって」
「訳のわからない言葉で喋らないでよ!」
ナギの言葉に、マリは頭の中が真っ白になった。
訳がわからないのはこちらだ。
「聞いたこともない言語で喋らないでよ! ねえ、さっきから突然どうしたの? 君の喋っている言葉の意味が、全然わかんないよ!!」




