雨晒し、開花する赤
雨の中、くるくると踊り続けるマリに、ナギは呆れの視線を向けていた。
「飽きないの?」
「うん。ナギは飽きちゃった?」
マリが問うと、ナギは地面にぺたんと座った。
「……疲れた」
ナギは随分力を使った。マリにはわからないけれど、魔法の力を使うと疲労するらしい。ナギは右腕をだらんとしていた。途中まで、マリと一緒に踊っていたのが離れていったから、どうしたのかな、とは思っていたけれど、体力を使うことをいくつもこなすのは疲れるのだ。
それでもナギはマリの側から離れないで、じっとマリの踊りを眺めていた。優しいと思う。今だって、疲れたなら何も言わずに先に帰ってしまってもよかったのだ。でもナギはそんなことをしない。
道行く人はなんだろう、と子ども二人をちらちら見るけれど、話しかけてくることはない。ナギの姿に少し怯えていたのだ。左目に木の枝が生えて絡まっている子どもなど、まともには見えない。
魔法という奇病についてはまだ広まっていないようだけれど、それなら、この雨が柔いことも、魔法のおかげだと知られていないのだろうか。そう思ったら、マリは少し切なくなった。
ナギは毎日頑張っているのに。人は雨が止まないと不満気味に空を見上げるのか。
「それを言ったら、屋久杉の杉の子さまだって誰にも知られずにいるよ」
言われて、思い至った。
夏。日本は大陸に結合したけれど、環境がそれで大きく変わるのかというと、否であった。日本は島国ではなくなったけれど、内陸国になったわけではない。夏といえば梅雨と台風。毎年飽きもせず猛威を振るう風物詩とは笑えないレベルの災害の季節となる。
そんな中、ナギが雨脚を弱めるだけで済んでいるのは、もっと向こうに住んでいる屋久杉のところにいた杉の魔法使いが風を和らげてくれているからだ。そのことを誰も知らない。確かにそうだった。
マリは踊るのをやめて、人に話しかけた。魔法という病気があること、環境問題が思うより深刻であること、その深刻な環境問題に立ち向かってくれているのが、魔法を発症した人物であるということ。マリはナギのことを毎日見ているし、杉の魔法使いのことも知っている。魔法は使えないけれど、言葉で伝えることはできる。
今、人々に必要なのは知ることだ、とマリは考えた。環境問題がもう一人の人間がどうこうしたところで手遅れな問題だとしても、向き合う術があることを知ってほしかった。それを持つ魔法発症者が生きやすい社会になれば、ナギも毎日ずぶ濡れにならなくて済むんじゃないか、あの杉の魔法使いもあんなにひっそりと隠れなくて済むんじゃないか、と幼いなりに考えたのだ。
だって、このままではあまりにも可哀想である。ナギの母親は、毎日濡れて帰ってくるナギのことを見ても、いないように扱う。ナギがおはようと言ってもおはようと返さないし、濡れたナギのためにお風呂を沸かすこともない。一日中、ずうっとだらんとして、テレビをかけ流して、たまに仕事に行くだけだ。
居候となったマリについても何の反応も示さない。マリがおはようと言ってもおはようと返さないし、お世話になります、と声をかけても眉一つ動かさない。空気に話しかけているかのような虚しさが立ち込めてくるほど、ナギの母は何の反応も関心もなく、ただ自分の生活を過ごしている。
だから、少しでも、世間という広い場所にナギが知られれば、母親の関心はナギに向くのではないか、と考えた。良いことをしているのに、親に褒めてももらえないなんて、悲しいし、寂しい。
そう思って、マリは懸命に通りすがる人々に話すが……
「中二病?」
「魔法っておとぎ話でしょう?」
「夢を見ているの? 素敵な夢だね」
誰一人、信じてはくれない。
それもそうだ。空を飛ぶ少年や環境に作用する魔法だなんて、荒唐無稽な話、すんなりと信じられるわけがない。おまけにマリはいつも雨の下で踊っている不思議っ子認定である。夢見がちな少女の戯れと思われるのも、無理はなかった。
或いは、信じたくなかったのかもしれない。日本は日本大震災という、今後これ以上の災害なんて起こり得ないだろうというほどの大災害を経験している。それ以上のことが起こりかけている、なんてマリの主張は受け入れがたいものなのかもしれない。
それでもマリは、伝えるのを諦めなかった。
「この子ナギっていうんです。毎日雨を弱めてくれているんです」
「左目がこうなっているのは、魔法を使うことで体の中の構造が変わって」
「私はナギを助けたいんです」
マリは様々な言葉を駆使して、人々に訴えかけた。
けれど、マリは何の発言力もないただの子ども。ナギという実例を見て、大人たちは憐れんでも、マリの言葉を理解しようとはしなかった。
子どものままごとだ、と思われていた。
マリはそれでも、語りかけ続けた。
最初はままごとだとか、戯れ言だとか思われても、語り続けていけば、いつか誰かが、ままごとじゃないかもしれない、戯れ言じゃないかもしれない、と気づいてくれるかもしれない。かもしれないばかりが交錯する「かもしれない運河」は果てしなく広く遠く感じられるが、マリは自分の現実を語っているのだ。現実には果てがあり、人間には果てがある。世界にだって果てはあるのだから、いつか終わる日が来ると信じた。誰にも信じてもらえない日々が終わって、少しずつ信じてもらえる日々が始まるのだ。
マリの楽観的思考と、あり得ないくらいの辛抱強さに、ナギは少し呆れていた。少しどころじゃないかもしれない。けれど、「もうやめたら?」なんてナギが言うことはなかった。
ナギがマリを否定してしまったら、マリの頑張りや笑顔を台無しにしてしまう。マリの明るい声や朗らかな笑顔は、母親を半ば失ったようなものであるナギの心を救っていた。
一人ででも、旅に出てよかった、と思えるほどに、ナギにとって、マリの存在は大きくなっていた。マリがいなければ、余命いくばくも残されていないこの身を嘆いて、身投げをしていたかもしれない。今、雨を止まそうと、立っていられなかっただろう。そんな確信があった。
ざあああ、と雨が降る。話を聞いてくれた商店街のおじさんが、話半分ではあるものの、びしょ濡れの二人を案じて、タオルを貸してくれたのだ。雨宿りしてけ、という言葉に甘えて、二人は店の裏の屋根の下で、頭を拭いていた。
わしゃわしゃ、と髪の毛を拭きながら、マリがぽつりと呟く。
「どうしたら、みんな、信じてくれるのかな。話は聞いてくれるけれど、それだけなのは、寂しいよね……」
マリには珍しい、弱音だった。
「仕方ないよ」
ナギは雨音のようにさらさらと紡ぐ。
「ぼくがマリに話して聞かせたのは『神様の意思』みたいな、外郭のないぼんやりした話で、突拍子がないもの。……それに、みんな今が幸せなら、それ以上のことを考えたくないのかもしれない」
今が幸せ。人間が生きる上で、これ以上大切にしたいことなどないだろう。幸せと思える今を不幸だと気づきたくないから、人は未来の話をしたくないのかもしれない。
幸せな今が、無条件で恒久的に続くと、愚かにも信じてしまっているのだ。
「私も、ナギが感じ取れる意思とか、ロストそのものと話せるような、対話できるような力があればなあ……」
ナギは目を見開く。驚きを気取られないように、マリから目を逸らした。
人間に話が通じないならロストに。それは逆転の発想にも程があるというものだ。思いつきもしなかった。
マリにはいつも驚かされる。ナギでは到底及ばないような可能性を秘めているのだ、と確信した。それが芽生えて、花開けば、ナギの柳魔法よりずっとすごい魔法になるんじゃないかと思えるほどに。
「自然災害と話し合いができたら苦労はないよ」
「だよねえ」
さすがのマリも苦笑いしていた。
「おい、風呂入ってくか?」
「いえ、そんな、そこまでしていただくのは」
店のおじさんが親切なことを言うので、恐縮していると、どかっと何かがぶつかる音がした。風で何かが飛ばされてきて、壁にぶつかったのだろう。ナギとマリははっとした。
「この通り、天気が荒くなってきてるからさ。遠慮しなくていい。必要なら、親御さんにも連絡すっぺし……って、おい!」
一も二もなく、マリは外へ出ていた。制止の声なんて届かない。
マリはどしゃ降りの空を仰いで、水が口に入って喋りにくいのもお構い無しに叫んだ。
「駄目っ、お願い、やめて! 時間をちょうだい! お願い、お願い……っ!」
ナギもマリを追いかけて出てきて、そこで、見た。
光り輝く少女から天に赤い光が伸びて、応える様を。
『何ぞ。時間なぞ、これまで山のようにあっただろうに。それを塵芥のように扱ったのは人間だというのに、まだ求めるか。愚鈍な人間風情が』
怒りの声が、聞こえた。




