柳の魔法
それから、夏になった。梅雨入りをして、真夏日と豪雨が交互に来るようになった。
マリはナギと一緒にいた。
魔法という病気について、両親に話したとき、両親は驚いていたものの、ナギという実例を前に否定の言葉を投げたりはしなかった。否定しようのない事実として、ナギがそこに存在した。魔法が病気という表現は受け入れがたくあったようだが、ナギの左目に這う枝葉を見て、病気と表現しない方が不自然であった。
「何かナギの力になれるかもしれないの」
そう言って、ナギと一緒に旅をすると宣言したマリを両親が止めることはしなかった。
「日本という小さな島国はなくなってしまった。世界は地続きになろうとしているこの時代に、一つの場所だけに固執する必要なんてないわ。子どもというのは可能性の原石。石を磨く方法はいくつかあるけれど、風に吹かれて、雨に打たれて、自然のまにまに有る様が、一番美しかったりするものよ」
そうマリの母は笑った。
快く送り出されたマリはナギと二人で電車に乗った。
マリは電車に乗るのは初めてだった。
「昔はね、がたごとがたごと言って乗りづらかったけど、だいぶ揺れが少なくなったんだよ」
「そうなんだあ」
「お飲み物など、ご入り用でしたら、お声がけください」
「あ、車内販売のお姉さんだ」
「電車の中ってお店屋さんやってるの?」
「うん。お姉さん、アイス二つください」
すごく固くてなかなか溶けないアイスを二人で食べて、東京に向かった。
東京はナギの言っていた通り、高層ビルが建ち並んでいた。改装工事のブルーシートが張られていたが、あの震災で建物が壊れなかったこと自体が奇跡のようなものだ。
ナギの家は高層マンションの一室だった。
「お母さん、ただいま」
ナギに答える声はない。
「お邪魔します」
マリに答える声もない。
部屋に転がっていたのは脱け殻のような目をした女性だった。ぼうっと天井を見ている。
「行こ」
「え、でも、お母さん……」
「生きてるから大丈夫」
帰ってきたばかりの家から出ていく。訝しみながらも、マリはついて行った。
マンションから出ると、意を決して訊ねる。
「お母さんと仲悪いの?」
だとしたら悲しいな、と思ったのだけれど、ナギは首を横に振った。
「ずっとああなんだ。ぼくが魔法だって知ってから。魔法は治らない病気だからね。ぼくはいつか死んじゃうから、興味がなくなったんだよ」
「違うよ。死んじゃうから悲しいんでしょ」
マリが否定すると、ナギはがらんどうの目を向けた。
「あの人の中では、もうぼくは死んでるんだよ」
ぽっぽっぽっ……ざあああ……
雨が降ってきた。ナギの暗闇の目の代わりに泣いているみたいだ。
そう思えたのはほんの五分くらいで、だんだん雨脚が強くなり、叩きつけるような音がする。
ただ、それだけで済んでいた。
近年の異常気象は天候が不安定でもはや災害なのだ。雨は優しくざあざあなんて降らない。滝のような水が、地面を抉るように落ちてくるのだ。それで穴が開いて、温泉が出たという馬鹿みたいな話がある。
けれど日本は数年前から「どしゃ降り」程度の形容で済む雨になっていた。それは全て、ナギのおかげだったのだ。
災害を和らげる柳魔法。
ナギの体からは不自然な青白い光が出ていた。ナギが空を見上げると、それは空の雲を少しずつ薄くしていく。
地球喪失。異常気象はそう名付けられ、全世界で被害を出している。もし、ナギの魔法が外国人に見つかってしまったら、ナギは外国人に拐われてしまうだろう。世界はどこだって、異常気象に悩まされているのだ。
滝のように雨が降り、沈んだ島の数なんて数えきれない。失われた命はもっとある。日本が大陸と結合したとき、外国人は言った。「島国は独りで死ねよ」と。くっついたら、巻き込まれるから。
一人じゃ生きられないからくっつくのに、生きることをそのまま否定するなんて、なんてひどい人たちなのかしら、とマリは思ったが、父が言っていた。
「世界はね、日本が大陸と繋がったように、いつか一つの大きな大陸、一つしかない島になるんだ。そうしたら、島国と一緒だろう? 一つになってしまうことが怖いんだよ。別な生き物でいたいから。自分は生きていたいから」
なんてわがままなのでしょう。マリはその言葉を聞いたとき、とても怒ったのを覚えている。
いつか一つになるのなら、一つになるために手を取り合うのが普通ではないのだろうか。
けれど、それもこれまで島国だったからこそ言えること。しかも大陸と島国がぶつかるなんて、今までなかったのだから、混乱するのも仕方ないのだ。その上、震災の傷も癒えきっていないというのに、世界各地で異常気象が猛威を奮っているのだ。世界の終わりという語句がよぎり、不安になるのも然りである。
「ついて来るの? 濡れちゃうよ」
「ついていくよ。杉の魔法使いさまが仰ってた萌芽というのが気になるの」
萌芽。それは魔法という病気がマリの中に芽生え始めているということだ。魔法が使えるようになったら、ナギを助けることができるかもしれない。
「魔法使いさまは言ってらしたでしょ? 祈りが魔法になるって。だったら、ナギの側にいたいの。私の願いが魔法になるなら、ナギのために願いたい」
ナギは右の目を真ん丸に見開いた。釣られて開こうとしたのか、枝葉に包まれた左の瞼がみしみしと音を立てるほどだ。
「……風邪、引かないようにね」
「それはナギもよ」
小さな子どもが世界を救おうと震えていた。
雨の中をぱしゃぱしゃ歩く、二つの足音。片方は楽しげに雨の歌を歌っていた。軽やかな女の子の声だ。
ナギと手を繋いで、マリは歩いていた。ナギは手足が長いから、マリに合わせて歩幅を小さくしている。マリは今にでも踊り出しそうなほどに陽気だ。
「どうしてこんな雨なのに、そんな楽しそうなの?」
「んー? これでも真面目なのよ? 本で読んだわ。ずっとずっと昔の人は、お天気のことで困ったとき、神様に歌や踊りを奉納して、お祈りしたんですって」
「ああ、そういえばそんな話、聞いたかも」
自動車が、ざあああ、と通る。二人は既にびしょ濡れだ。
ナギはマリの手を取り、そっと口づける。
「なら、踊る?」
「素敵ね!」
たららったら、と二人は適当なリズムで地面を踏んで、踊り始める。それに呼応するようにナギの青白い光がどんどんどんどん天に昇って、雨は勢いをなくしていった。




