災い退けることを天命とし
日本は地震や地殻変動以外にも様々な自然災害に見舞われていた。大陸とくっついたといっても、天候による自然災害を直に受けるのが日本であることは変わらなかった。
時には豪雨に見舞われて、春かと思えば熱帯のごとき猛暑日が続き、夏の終わりに雪が降る。日本の美とされた四季は滅茶苦茶になっていた。
屋久杉までの道中、ナギはマリに様々なことを語って聞かせた。人間によって環境汚染をされた地球が悲鳴を上げている。地球は環境を滅茶苦茶にすることで、人類の適応能力を上回り、人類という毒を排除しようとしているのだ。
……というのが、一昔前の話。第三次世界大戦終結後の空白の百年で、人類は異常気象により、粗方洗い流されたという。
「それじゃあなんで、第四次世界大戦が起きたの?」
「生き残った人々が、反省をしつつも、文明を取り戻したからねぇ。書物やデータは消えなかったんだよぉ。人間はたくさん死んだけど、人間の築いた文明は人間を滞りなく生かせる程度には残ったのさぁ」
文明が発達すると、隣の芝が青く見えるような現象が始まって、次第に諍いの規模が大きくなっていく。
「歴史は繰り返されるってことでねぇ。文明がある程度回復すると、人間はまた戦争ができるようになるのさぁ。できるようになったことを人間はしてしまうものでしょう?」
「できるようになったからって戦争をするの?」
「そう。お馬鹿さんでしょう?」
そう言って、ナギはからから笑う。マリは全然笑えなかった。他人事ではなかったから。
確かに、新しいことができるようになったら、「私できるよ」と得意になって親に見せてしまう。そう置き換えると、人間をただ「お馬鹿さん」と呼ぶことはできない。
「戦争なんて馬鹿なことをするからねぇ、たぶん今度は地球は、人類を滅ぼすんじゃなくて、人類を別な種族に置き換えようとしてるんだぁ」
「別な種族?」
「うん」
ナギが立ち止まる。そこは山の入り口だった。たくさんの木々が覆い繁るのを背に、ナギは両手をいっぱいに広げて示す。
「人間を植物にしようって」
「……え」
ナギの左目の枝たちがしゃらしゃら揺れた。
植物は人間や動物が生まれるより以前の太古より存在している。もはや地球と共生しているといっても過言ではないほど、そこにあることが当たり前の存在だ。
人間にとっても、植物は生活に欠かせない存在である。野菜も植物だし、家畜が食べるのも植物だ。山に根を張り、崩れないように保ってくれているのも、川のせせらぎを守ってくれているのも、植物だ。
人間が犯した環境汚染の中で、被害に遭いながらも生き永らえた植物。環境改善のためにと植えられたのも植物だ。地球にとっても、人間にとっても、なくてはならないものだった。
「地球がいつか滅ぶとして、それは人為的なものであってほしくないってさぁ。だから人類には大人しくなってもらおうって、人間を植物にする病気が出たって言われてるのさぁ」
「それは……」
マリはナギの肩にそっと触れる。
「それは、あなたの左目のそれと関係があるの?」
ナギは静かに笑う。
「そうだよぉ」
ナギはこてん、と首を傾げた。
「ぼくはいつか木になるんだぁ。柳の木に。ぼくの中の人間の部分が植物に置き換わっていくんだぁ。いつか、いつかね……」
ナギは手近な木の幹を撫でる。がり、と固い音がした。
「いつか、地球を助ける植物になって、地球が滅びるまでずうっと生きるんだぁ……」
ナギはにこにこと笑う。その笑顔は誇らしげなのに、すごく切なげでもあった。今度はマリが首を傾げる。
ナギの語ることはあまりにも壮大で、途方もなくて、マリには半分も理解できていない。けれど地球がなければ人が生きていけないのは大前提なので、地球が滅んではいけない、という根本の部分は捉えていた。
「どうして?」
マリは問う。
「どうしてそれが魔法なの? どうしてナギは笑おうとしているの? 本当は悲しいのに、苦しいのに、人間でなくなるというのは一度死ぬのと同じなのに。病気だから苦しいのは当たり前なのに、どうしてナギは笑うの?」
ナギとは元屋久島まで歩いてきただけの短い付き合いだが、マリはナギの些細な仕草や表情の変化から、ナギの心を読み取っていた。ナギは上背もあって、手足が長い、大人みたいな見た目の子だけれど、心の齢はマリとそう変わらない。
マリにはナギが泣き叫んでいるように見えた。理不尽だ、どうして、なんで、と。
当たり前だ。ナギが戦争を引き起こしたわけでもない。環境汚染は第三次世界大戦よりずっとずっと昔、ナギもマリも存在しない昔から、人間が犯してきた罪だ。何故それらの咎めをまだ十年しか生きていないようなナギが背負わなければならないのだろうか。
ナギは地球に何もしていない。人間に生まれたなら、人間として生きたいはずだ。そんな口から「植物になっていく」なんて語らせるのは、誰? 何故?
「わかんないよぉ……そうなるってわかるだけで、ぼくに説明してくれる人はだぁれもいなかった。なんでって言われたって、それはぼくが聞きたいよぉ……」
ナギはわかんない、と繰り返しながら、うおんうおんと泣いた。
大いなる意思とか、神様とか。そんな一言では言い表せない何かが、ナギの頭に情報を送っているだけで、確かなことは何一つわからないのだという。
ナギには神様になるか、異端者になるかの二択しか残されていなかった。木の枝が左目の瞼を塞いだとき、それは奇跡か、不吉の予兆か、大人たちは判断しあぐねたという。だから、ナギに判断を託した。
「この魔法っていう病気は各地で出てる。ぼくは神様にならないと燃やされるか、実験動物にされるんだぁ。ぼくがここにいられるのは大人たちの最後の恩情なんだよぉ。ぼくが屋久杉様に会って判断したいって言ったんだぁ」
「なんで屋久杉?」
「この国で一番長命の植物だからだよぉ」
戦争でも、地殻変動でも、震災でもなくならなかった屋久杉。もしかしたら、それは自分と同じ存在かもしれない、とナギは思ったのだという。
大いなる意思か何かが屋久杉を生かしているのだとしたら、ナギは屋久杉から何かを得られるかもしれないと考えたのだ。
二人で山を登っていく。山の中は息がしやすい、とナギは語る。ナギは植物になりかけているからそう感じたのかもしれないが、マリもなんだか、息がしやすいように思った。
けれど、広大な山は優しくばかりはなかった。もうすぐ目的地というところで、マリは足を踏み外し、心臓が中空に置き去りにされたような、他人事のような鼓動の高鳴りを感じた。
ナギが名前を呼んでくれたような気がするけれど、風切り音で何も聞こえない。
ああ、私、死ぬんだ、とマリはぼんやり思った。
「大丈夫?」
木々のさざめきのような静かな声が耳元でした。マリが驚いて、ぱっと目を開けると、マリは宙に浮いていた。傍らにはふよふよと浮いている青年の姿。青年はナギを抱えていた。
日本人らしい素朴な顔立ちの青年は、マリと目が合うと、にっこりと微笑んだ。その笑みは安心という言葉を胸の中にじんわりと沁みさせていく。
「もう大丈夫だよ。僕は杉の魔法使い。屋久杉詣りに来たのかな? ようこそいらっしゃい」




