数百年前
仮想未来の話です。日本以外の国名は敢えて出さないようにしています。
第四次世界大戦が終わり、百年も経たないうちに起こった大規模地殻変動。後に日本大震災と呼ばれる震災が起き、日本という国は島国ではなくなった。ユーラシア大陸と衝突し、朝鮮半島と本州がぶつかり合い、ひび割れた大地ができた。
いつか日本という国はなくなる、というのは昔から言われ続けていたことだ。地震によって日本は少しずつ大陸寄りに移動し続けていた。ユーラシア大陸にぶつかるのは時間の問題と言われていた。
まさか、こんなに早くにそれが実現するとは誰も思っていなかっただろうが。
大規模地殻変動、これ以上はないだろうという震災により、日本人は多くの犠牲者を出した。ユーラシア大陸と地続きとなったことも良いことばかりではなく、日本を疎んできた国々は日本と大陸が繋がったことに文句を言った。
そんな最中に生まれたのがマリという人物だった。日本が荒れていた時代。辛うじて文明が滅びずに残ったのは、日本はそれまでありとあらゆる自然災害を背負っていたからだ。地震を始め、火山、台風、黄砂。日本のみのものではないが、全ての被害を受けている国は少ないはずだ。多くの国は日本を憐れみ、手を差し伸べた。
マリは日本とどこかの国のハーフだ。遠い記憶なので、もう父の顔も母の顔も覚えていない。
ハーフというのはそう珍しい存在ではなくなっていた。日本の文明は世界から注目されていたため、文化を学びに来て、定住する外国人は多かった。マリの父か母もそういう人だったのだろう。
震災で崩れた建物が多かったが、日本はすぐに立て直した。何せ、震災など幾度も経験している国だ。先人が手がかりをいくつも残してくれている。日本大震災はかつてない大災害だったが、どうすればいいのか、復興にどれくらい時間がかかるか、民は学んでいた。知っていれば、堪え忍ぶことができる。
それにその震災で日本が大陸とぶつかったのも復興という側面を考えれば悪くない話だった。復興には手助けがいる。日本が何度も経験した大震災のどれもが海外からの支援あってこそ、復興が成り立ったものだ。海の向こうから支援を受けるより、地続きの国から支援を受ける方がいくぶんも楽であった。
大災害であったにも拘らず、日本が何事もないように文明を保てているのはそうした理由があったからだ。
マリは特にこれといった特徴のない女の子だった。人並みにお喋り好きで、人並みに引っ込み思案。友達も何人かいて、両親が健在で、雨風を凌ぐ家にも困らない。普通の家庭だ。
マリは人並みに花が好きだった。毎日花壇に水をやるくらいには。
マリが特徴的だとすれば、それは日本と大陸の境目の付近に住んでいたことだろう。ぶつかったことで、海岸と海岸が削られ、一都市二都市が消えたぎりぎりの内側にマリは住んでいた。
大陸側だった人々はいつも怒っていた。怒っているのは雰囲気でわかっても、マリは日本語しか知らないから、言葉の意味を知ることはできない。
日本を厄災の国だとし、大陸にぶつかったのを忌々しく思う人が多いのをテレビで知っていた。日本とぶつかった大陸の国の人々なんかは特に日本のことを快く思っていなかった。
マリはそのことでいつももやもやとしていた。何故、人は仲良くなれないのだろう、言葉が通じ合えば、仲良くなれるのだろうか。
言葉が通じないのは、神様から降された罰だという話を聞いたことがある。罰だというのなら、それは人間が悪いのだろうけれど、それなら相手の言葉を理解できないのも人間が悪いのだろうか、なんてとりとめのないことを考えた。
言葉が通じれば、人々は素直に助け合い、戦争なんてせずに生きていけるのだろうか。
もやもやしながら、境目付近を歩いていると、真っ赤な花が咲いていることに気づいた。その花はなんとなく植物図鑑で見たことがある。
気になって、マリは図書館で調べた。それはアマリリスという花だった。何故あんなところに咲いていたのかはわからない。半ば砂漠のような中に赤々と咲いた花。マリはその花を復興の兆しだと喜んだ。マリは人並みに能天気だったのだ。
そんなとき、出会った男の子がいた。
すらりと背が高く、手足の長い男の子。マリが強烈な印象を覚えたのは、その男の子の顔だった。
左目の上瞼と下瞼が木の根のようなもので縫い合わさり、目を開けることができないようだった。更にはその根から枝が生え、垂れ柳のようにさらさらと葉を揺らめかせ、涼やかな音を奏でていたのである。
それは恐ろしく美しい光景だった。
男の子はナギと名乗った。
「おめめ、どうしたの?」
「ああ、これ? お嬢さんびっくりしたよねぇ。ごめんねぇ」
何故かナギは謝った。
「これはね、病気なんだ。魔法っていう病気。まだあんまり知られていないよねぇ。びっくりしたよねぇ」
「魔法が病気なの?」
「病気が魔法なの。魔法っていう名前の病気。僕はねぇ、この目ん玉みたいに、いつか柳に体を蝕まれて死ぬんだぁ」
「え」
死という言葉に凍りつくマリに、ナギはへらへらと笑って、大丈夫大丈夫と言った。
「死ぬまでにねぇ、僕はねぇ、人様のために何かできる力を使えるんだぁ。ほら、大震災だって、日本はいくらか建物が残ったでしょう? 大陸とぶつかっても、日本という国の形はあんまり変わらなかったでしょう? それは僕が魔法の力で、災いを和らげたからなんだぁ」
荒唐無稽な話。けれど、男の子の頬までを隠すさらさらとした柳の枝に、妙な説得力を覚えた。
あり得ないようなことを現実にするのが「魔法」というのなら、それは正しい病名だ。ナギの魔法はあらゆる災害の効果を和らげるものだという。
「魔法はね、人々の心から生まれるって言われてるんだぁ。おとぎ話みたいだよねぇ。僕はねぇ、大震災のときはちっちゃい赤ん坊だったんだけどねぇ、お母さんがねぇ、生き延びなきゃ生き延びなきゃって一所懸命祈ってたのを聞いてねぇ、魔法を使ったんだぁ。だから、あれだけの災害があったのに、崩れていない高層ビルとかあるでしょう? あれは僕のおかげなんだぁ」
確かに、いくら日本に耐震技術があるからって、大陸とぶつかるほどの地殻変動で、高層ビルが崩れたり、鉄塔が倒れたというニュースがないのはおかしかった。
「あんまりにちいちゃいときにおっきな力を使っちゃったから、僕の目からは柳が生えてねぇ。僕は柳魔法っていう病気にかかってるって、診断されたんだぁ」
だから僕の命は長くないんだぁ、とナギはからから笑った。自分の命なんて、なんとも思っていないみたいに乾いた声で笑うナギをマリは寂しい人だと感じた。
「ナギくんは、何しにこんなとこまで来たの? 高層ビルを守ったってことは、都会の人でしょう?」
「うん。僕はねぇ、杉の神様を拝みに来たんだぁ」
「杉の神様?」
「うん、樹齢何千年もある……ええっと、屋久杉様だっけ?」
屋久杉は杉の木だ。長い間鎮座して日本を見守る自然神として崇められるほどの木。
「僕はねぇ、どんなに魔法使って頑張っても、みんなにはわかんないからねぇ、神様にだけ、『僕頑張りましたよ』ってぇ、ご報告したいんだぁ」
そんなナギに、マリは目を見開いた。
原因不明の病に侵されて、余命いくばくもないなんて、こんなに幼いのに言われて、それでも人のために、と頑張っても、褒めてもらえない。そんな残酷なことがあっていいのだろうか、と思った。
自分と同じくらい小さな子が、命を削ってまで頑張っているのに、大人たちは一体何をしているんだろう。ひどいわ。
「じゃあ、一緒に行きましょう」
マリはナギの手を引いた。左手を。左目が不自由だから、力になってあげたかった。
短い短い旅の始まりだった。




