魔法飽和状態
脳内に鳴り響く声。杉原は思わず頭を押さえた。頭痛はしないが、変な感じだ。耳から音を聞き取っているわけではない。
「聞こえますか、杉の子。私はアマリリスです」
「……マリさん?」
杉原が呟くと、近くにいた菅が「どうかしたか?」と問いかけてきたので、杉原は慌てて首を横に振った。
「体調不良なら、お前も我慢すんじゃねえぞ、杉原」
「ありがとう、菅くん」
頭を押さえていたため心配されたらしい。直前に紫が休憩所へ運ばれて行ったのだ。
ノリが軽いが思いやりのある菅の様子にふと頬を緩めていると、先程の声がする。
「杉の子。この植物園の中で、魔法を使ってはなりません。この植物園の中は私の植物性に満ちています。そこにあなたの魔法で植物性が飽和状態になれば、植物性の高くない者でも、魔法が悪化する可能性があります。あなたはそれを望まないでしょう」
陽葵は魔法を使っていたが、と思ったが、あれは向日葵魔法の本質的な使い方ではない。その上、向日葵魔法は草花魔法である。樹木魔法ほど多くの植物性を持たないらしい。
というか、このテレパシーのような能力も不思議だ。他に聞こえている様子はない。
「杉の子。あなただから、聞こえるのです。杉は人々を守り、人々の生活に根づきながら、次第に人から疎まれるようになりつつも、その神聖さを失わなかった植物。故に杉魔法は体を頑丈にし、強い魔法を持つのです。
強い魔法、強い植物性のある者は魔法を使うことによって、植物性を代謝し、植物性を周囲に放射します。私の植物性は常にこの植物園の中に充満しています。私の魔法花から、絶え間なく植物性が放出されているからです。魔法花は魔法で放出しきれなかったエネルギーを花という形にするものです。魔法花自体もまた魔法。そうですね……杉が風を用いて受粉するのと同じ要領で、魔法花は自らの植物性を辺りに振り撒いています。植物性の密度が一定以上になると、魔法発症者は魔法の症状が悪化する。メカニズムは花粉症に似ています」
そう言われると微妙な心地だ。花粉症の時期にはあまりいい思い出がない。
魔法発症は魔法を発症する体質でなければ、いくら強い魔法使いが側にいても発症しないということだが、もし花粉症に似ているのなら、ここで花粉とイコールで結ばれる植物性というものへの受容容量が大きい人間が魔法を発症しないというだけなのかもしれない。
ただ、マリが語りたいのはそこではないらしい。
「杉魔法は強すぎる。元々、赤ん坊であっても魔法花を扱えるくらいに植物性の代謝を魔法で効率よく行う分、魔法を使ったときの植物性の体外への放出量も多いのです。ただでさえ、私の植物性に満ちている空間で、あなたが魔法を使ってごらんなさい。ここにいる魔法使いのほとんどが、魔法花を生やしますよ」
それを聞いて、杉原はぞっとした。足元の床がなくなったような感覚なのに、落ちてもいかない、不気味な感覚だ。
脳裏によぎるのは首筋から銀杏の葉を生やした杏也。葉っぱがついてるよ、と取ろうとしたら、痛い、と言った杏也。最初は一枚だった葉が、ロスト討伐に向かうごとに、枝になり、独特な匂いを放つ実が成り、根が杏也の肌を這って、顔が侵食されて、片目が潰れて、鼻が潰れて、口内に根が張っても、杏也は呼吸が苦しいわけでもなさそうに振る舞う異常。それが日常になっていく非日常。やがて、杏也の命を奪う一つの葉が、取り返しのつかないものを運んでくる、その事実への恐怖。
やはり、自分が側にいたせいだった、と杉原は顔を青ざめさせる。
「それは違います」
温かい声が杉原の考えを否定する。杉原はドレスのように赤い花をまとった人ならざる女性を見た。彼女の目は夕焼けのように優しく、寂しい色をしている。
「今ここで危険なのは、植物性の飽和状態が起こること。飽和状態というのはそれ以上の密度になれないことを言います。そうしたら、植物性は逃げ場を探して、この場の魔法使いたちの体に浸透していくことでしょう」
植物性が浸透する。それはつまり、体内の植物性が高まるということだ。体内の植物性が高まると、魔法発症リスクが高くなる、もしくは魔法が悪化する。魔法悪化のわかりやすい症例が魔法花というわけだ。
樹木魔法の方が侵攻が早いというだけであり、草花魔法であっても、魔法花を生やして死ぬ可能性はある、というのは緋月の家で聞いたことだ。つまり、今杉原が魔法を使うことで放出される植物性により、死者が出る可能性まであると……そこまでは言っていないが、そういう可能性をマリは示唆している。
でも、このテレパシーみたいなやつは魔法ではないのだろうか、と疑問に思っていると、マリはそれを読み取ったようで、解説してくれた。
「私があなたに話しかけているのは私が百年以上を費やして編み出した充満する植物性を糸電話のようにする方法です」
糸電話とはまた古風な。けれど、想像はしやすい。糸電話はぴん、と張った糸が声の振動を伝えることで、相手に声を届ける方法だ。植物性を糸に見立てて、杉原とマリの頭同士を紙コップとして声を届けているのだろう。……と解釈したが、うーん、わからん、となった。
百年以上かけて編み出したと言っているから、高校生に過ぎない杉原が簡単にわかってしまってはマリの立つ瀬がないだろう。
というか、この方法で全員に話せばいいのでは、と思ったが、それはできない理由があるのだろう。先程マリは「あなただから聞こえる」と杉原に言った。体内の植物性の高さとやらが関係しているのかもしれない。
そもそも、植物性云々もぼんやりとしか理解していないのだが。
「銀杏の子は元々植物性が高い。銀杏の子の植物性を刺激したのはあなたの植物性ではなく、ロストの植物性です。だからあなたのせいじゃない。……だからといって、ロストが全て悪いわけではありません」
それはそうだろう。ロストとは植物性を失った魔法使い……つまり、魔法花になって死んだ魔法使いたちの成れの果てだ。けれど、元魔法使いだって、望んで魔法という病気にかかったわけではないし、死にたくなかっただろう。魔法で死ぬということは、若くして死ぬということだ。治療法がない分、癌よりたちが悪い。
ただ、侵攻速度も個人差が大きいため、のんびりと治療法を探すわけにもいかない。
「私が今日伝えたいことは、柳兎の口から伝えられることでしょう。私はこの方法では杉の子としか話せないから……あなたには伝えましょう、私の魔法の発症原因を」
「……え」
思わず声が出てしまった。それもそうだろう。病気というのは発症原因がわかれば、治療法が確立できる。それをマリが何故他の者に話さないのか。柳兎は聞き取れないとしても、柊兎はマリの言葉を聞き取れるはずだ。
だが、発症原因を聞いて、杉原はすとん、と納得する。おそらく、杉原でなくとも、話しても無意味だと判断したはずだ。
「私のアマリリス魔法は『ロストと対話をしたい』という願いによって、発症したものなのです」
願いなんて、そんな、対処しようのないもので、病気になるというのだから。
非現実的で、「魔法」と名付けられるのも頷いてしまうような、そんな理由だったから。




