儚の望み
帰宅した杉原に、大胆に抱き着いてきた人物が一人。光子も総一も親バカではあるが、ここまでではない。では誰か。
くゆりと香る紫煙の残り香。そこに芳香が混じっているのがなんとも微妙な心地だ。杉原は躊躇いなくべりっとその人物を剥がす。
緑色の髪をした豊満ボディの女性が子どものように手足をじたばたさせ、抗っていた。
「けーんーちゃーんー、ひーどーいー!」
「人ん家に押し掛けてきて強制居候始めたくせに早くも情報漏洩した人にかける情けはありません」
「あ、バレちった」
てへ、とおっちょこちょいを装うこの人物こそ楠の魔法使い、楠原儚である。同居を認めるということは相当な代価だと思っていた。それは即ち儚を匿うことに繋がるし、儚の言い逃れの理由に自分の家を盾にしていい、という意思表示だと杉原は認識していた。
確かに儚は金を積めば情報を売るが、いくらなんでも売るのが早すぎないだろうか。緋月にいくら積まれたかは知らないが。
「でもさー、お姉さんにも言い分があるっていうかー」
「聞きますけど、まず中に入りましょうね」
玄関前で話す内容ではない。紅葉寺の関係の者が聞き耳を立てているかもしれないのだ。今回は知られたのが緋月だったからまだいい。紅葉寺にはまだ知られてはいけない。警戒のしすぎかもしれないが、紅葉寺は確実に杉原をマークしているはずだ。迂闊に重要なことは話せない。
楠魔法は守護の力を持っているが、外敵から守るという行為は物理的な側面が主だ。盗聴からは守れない。
中に入ると、今度は光子が出迎えた。
「あら、健ちゃんおかえりなさい。遅かったわね。総一さん、もう帰ってきているわよ」
「ごめん、思いがけないロストの出没とか本当、色々あって……」
緋月邸で随分長々と話したわけだが、時刻はもう夕方と呼べない範囲になっていた。姫川からの相談から、本当に色々ありすぎた。
「すぐ着替えてくるね」
「お姉さんついてくー」
「何ナチュラルに覗こうとしてるんですか」
儚にごんがりげんこを落とすと、杉原はそそくさと部屋に戻った。
一息ついて、情報の整理はそれからだ。
夕食は唐揚げ、海藻サラダ、味噌汁だ。味噌汁にはトマトが入っている。
「思い切ったね……」
「美味しいって聞いたから。勿論、味見はしたわよ」
味噌汁に赤いものが浮かぶことはそうないと思うので、杉原にとっては斬新な光景だった。
「お味噌って何にでも合っちゃうから困るわよね~」
「ねー」
儚と光子は元より友人なので、かなり親密である。総一が手を合わせつつ、杉原を見た。
「光子の味噌汁は何が入っていても美味い。食べよう」
いただきます、と四人の声が揃う。
一人多い食卓はとても賑やかだ。まあ儚が喋る喋る。人が話すと五割増しくらいで喋る光子は儚との歓談を楽しむ。ちなみに総一は普段からあまり口数は多くないが、食事のときはほとんど喋らない。不思議に思って、食事する父を観察したことがあったが、愛妻の手料理が今日も美味しいということに満足げに微笑みながら、その幸せを文字通り噛みしめているらしい。
総一の微笑みはものすごくわかりづらいのだが、口角が普段から見ると三ミリほど吊り上がっているのだ。本当によく見ないとわからないが。
「そういえばさ、みっちゃんはもっと子ども欲しいとか思ったことないの? 健ちゃんは一人っ子なわけだけど」
儚のふとした問いに、光子がきょとんとし、それから総一と目を合わせた。夫婦にしかわからないアイコンタクトを取り、光子は微笑する。
「健が生まれつきの魔法発症者であることは、はーちゃんも知ってるでしょう?」
「そうだね。杉魔法使いは何十年振りだかで、そこそこの騒ぎになったわ」
「だから、この子一人だけにしようって決めたの。勿論二人でね」
光子の言葉に儚のみならず、杉原も疑問符を浮かべる。光子は人差し指を立てて説明した。
「魔法という病気についてはお医者さまにたくさん説明してもらったわ。樹木草花魔法使いっていうのがあって、健は樹木魔法使いに分類される杉の魔法使い。樹木魔法使いは、草花魔法使いより、魔法花に侵食される可能性が高く、必然的に魔法花に押し潰されて死んでしまう確率も高くなる。健は生まれてすぐ魔法花である杉の葉っぱを出していたから、魔法花が侵食するのは時間の問題だって、専門のお医者さまに言われたわ」
魔法花を自在に操れる魔法発症者ほど、魔法花に侵食されやすいというのは実際に研究されたことだという。杉原健は生まれたときから「死」が傍にあるといっても過言ではなかった。
桜の魔法少女のように確約された死ではないが、それでも他の魔法発症者より死に近いことは確かだ。しかも、杉魔法はロストに対抗し得る力でもある。ロストと触れ合うことで、病状が悪化する例も当然あった。
そして、魔法花が体を侵食し出したら、その発症者は確実に魔法花に全身を侵食され、押し潰されて死ぬ。魔法花の侵食を食い止める方法も、魔法花を体から取り払う方法も確立されていない。
夫婦にもたらされたのは絶望だった。せっかく生まれた子どもが早死にすると聞かされて、光子は塞ぎ込んだという。
「でもね、そんな私に総一さんが言ったの。だからこそ、大切に育てようって」
「光子、この子が長く生きられないかもしれないことは、俺もつらい。けれど、だからこそ、大切に育てよう。どんなに短い命だったとしても、この子が幸せだった、と迷いなく言えるように、愛情を注ごう。どんな形でもいい、生まれてきてくれてありがとう、と子どもに伝えるのが、親の役目だと俺は思う」
総一は光子にそう語ったのだという。光子もその言葉に納得し、譬短い命だとしても、それを悲観せず、させずに育てることを決心したのだ。
「でも元気にすくすく育って、高校生にまでなってくれた。私は病気に負けないで健がここまで育ってくれたことがとても嬉しいの。正直、もう一人、なんて心の余裕がなかったのもあるけれど、健を抱きしめるたび、健が成長するたび、私の心は温かくて優しいもので満たされたの。今だってそうよ」
「みっぢゃん! よがったねえ!」
いつの間にやら、儚が号泣している。ずび、と鼻をすする儚に、光子は母親のようにティッシュをあてがう。
そんな傍ら、杉原は考え込んだ。そんな葛藤が両親にあったのか、と気づいたのだ。
だが、それも当然といえば当然のことだ。杉原だって、美桜が桜の魔法少女で、生まれたときから寿命はもって二十年と定められていることが悲しかった。杏也の体から魔法花が生えたときの絶望を忘れられない。友達がそうだというだけでこんななのに、血を分けた子、自らが腹を痛めて産んだ子どもが、長く生きられないと知ったら、どんなに悲しいことだろう。杉原は親になったことはないので完全に理解することはできないのだろうが、普段は朗らかな母が「絶望」という表現を使うだなんて、よほどのことだ。事の深刻さが伺えた。
魔法は病気なのだ。先天性だったり、後天性だったり、治ったり、治らなかったりする。そんな気紛れに死を与える病気に家族がかかって、心を乱されない方がおかしいだろう。魔法は死に至る可能性のある病なのだ。
平然に、健康に生きてきたから、自分のこととしての実感が薄かったことを認識した。苦しかっただろうに、それでも両親は杉原に愛情を注いで懸命に育ててきてくれたのだ。愛情は少しばかり行き過ぎているときがあるが。
ひとしきり泣いた儚がしっとりとした声で告げる。
「こんないい両親に恵まれて、親身になってもらえて、よかったわね、健ちゃん」
「……儚さん?」
少し、儚の笑みに自嘲が混じって見えた。杉原が疑問符を浮かべるが、儚が味噌汁を啜る頃にはさっぱりと消えてしまった。
「あーっ、味噌汁美味しい! さすがみっちゃん! 良妻賢母ね! 羨ましい!」
「はーちゃんったら、お上手なんだから」
「ふふふっ。いいなあ。ここに永住したい」
儚がふと呟く。
「私も、こんな家族がよかったなー……」
冗談やお世辞の類とは思えない、切実さがそこには灯っていた。




