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「なに考えてるの?」

ふいに、となりで由香子の声が聞こえた。


少しぼんやりとしていたからちょっと驚いて由香子の方を振り返ると、由香子はわたしの顔を見て、可笑しそうに笑った。


「うん、ちょっと色々とね」

と、わたしは曖昧に微笑して答えた。

「由香子は明日は何するの?」

と、わたしは取り繕うように尋ねてみた。明日は土曜日で休みだ。


由香子はわたしの問に思案するようにうーんと唸ってから、「とりあえず、寝る、かな」と、笑って答えた。つられるようにしてわたしも少し笑った。


 冷たい風が吹きぬけていった。わたしは思わず寒さに身を縮めた。


「引越しの準備は進んでるの?」

 と、わずかな沈黙のあとで、由香子が尋ねてきた。わたしが今度引越しすることにしたことはこの前電話したときに由香子には話してあった。


「若干遅れ気味だけど、なんとか」

 わたしは苦笑するように口元を綻ばせて答えた。実を言うと、まだ半分も進んでいなかった。少しペースアップをしなければならない。


「良美が引越ししたらさ、遊びに行っていい?」

 と、由香子は笑顔で言った。

「うん。来てよ。ぜひぜひ」

 わたしは由香子の問に答えながら、はじめてこれから一人暮らしをはじめることが楽しみになった。

「じゃあ、毎日遊びにいっちゃうから、覚悟しといて」

 と、由香子はわたしの科白にそう冗談めかして答えると、軽く笑った。わたしも由香子の笑顔に誘われるようにして、少し笑った。


ふと、夜空に視線を向けると、そこには半分欠けた月が、優しく透き通った光をそっと放っていた。




       

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それから、引越しの予定日はあっけなく訪れた。


わたしが依頼した引越し業者は実に手際よく、わたしの荷物を引っ越し先のアパートまで運んでくれた。


引越し業者が荷物をアパートに運び入れて帰ってしまうと、わたしは早速、荷物の荷解きにとりかかることにした。


八畳程の空間が引っ越し業者のマークのついたダンボールで埋め尽くされていて、途方に暮れてしまう。ついさっきダンボールにつめたばかりなのに、今度はその逆のことをすることになるのかと、うんざりした気持ちになる。とはいえは、このまま放置しておくわけにもいかないので、とりあえずという感じで比較的に簡単に片付けられそうな小さなダンボールから開封しはじめる。一応、あとで由香子が手伝いにきてくれることになっている。でも、それまではひとりで頑張るしかない。



ほんとうは家族に手伝ってもらうつもりでいたのだけれど、母は今日昼からパートに出かけていて、父は父でどこかに出張にいっている。兄には引越しの手伝いなんて頼みづらくて、頼むことすらしていない。



 でも、あの日から、二週間ほど前にちょっとした口論になってから、今日、久しぶりにわたしは兄と会話を交わした。


 わたしが自分の部屋から荷物を運び出していると、兄が後ろから声をかけてきたのだ。

「ほんとに出て行くのかよ」

 と、兄はちょっと不満そうな、それでいて、どこか名残惜しそうな口調で言った。

 わたしは兄の方を振り返ると、荷物を抱えたまま、

「うん」

 と、頷いた。どんな表情を浮かべたらいいのかわからなかった。


 兄はわたしに声をかけたのはいいものの、それからどう言葉を続けたらいいのかわからない様子でしばらくのあいだ黙っていた。わたしも何を話したらいいのかわからなくて黙っていた。少し居心地の悪い沈黙が数秒間続いた。



そしてそれてから、兄は、

「一人暮らし、頑張れよ」

 と、俯き加減にぶっきらぼうな口調で言った。


 わたしは兄からまさかそんな科白がでてくるとは思っていなかったので、咄嗟に何も言葉がでてこなかったけれど、少し間をあけてから、

「ありがとう」

 と、どうにか答えた。それから、

「お兄ちゃんも、シュウカツ頑張ってね」

 と、言った。


 兄はわたしの言葉にどこか不機嫌そうな表情で黙って頷いた。それから、兄はわたしに背を向けると、何も言わずに、自分の部屋がある方へ向かって歩いていった。


 ダンボールのなかから荷物を取り出しながらぼんやりとわたしは考えた。どうして兄はあのとき、急にわたしに励ましの言葉なんてかけてくれる気になったのだろう、と。あるいはあれはお前がいなくなってせいせいするという意味の皮肉だったのだろうか。そうは思いたくはなかったけれど、でも、もし仮にそうだとしても、わたしは嬉しかった。兄と言葉を交わすことができて。



二週間前から兄とは一度も口をきいていなかったから、わたしはこのままもしかしたら、兄とは一生に口をきかないいまになってしまんじゃないかとひそかに心配していたのだ。でも、そうじゃなくて良かったと安堵した。少なくとも、今日兄はわたしに話しかけてくれた。頑張れよと励ましの言葉をかけてくれた。



そう言った兄の真意はわからないけれど、でも、兄は確かに、わたしと口をきいてもいいとは思ってくれたのだ。そしてなにより、頑張れよと言ってくれたその言葉は、決して皮肉なんかじゃないとわたしは思った。思いたかった。



昔も、今も、兄は変わっていないのだ。たぶん。ただ色々上手くいかないことが続いてしまったせいで、少し苛立っているだけだ。これから先、兄にとって良い結果が出るようにとわたしは心のなかで祈るようにそっと思った。



 荷解きが三分の一ほど終わったところで、ちょっと休憩することにした。今ダンボールのなかから取り出したばかりのガラスのコップに、ここに来る前に買ってきたペットボトル入りのお茶を入れて少し飲む。それから、鞄のなかから一ヶ月ほど前からずっと読み続けている小説を取り出して広げる。小説はいよいよ終盤にさしかかってきていて、あともう少しで読み終えることができそうだ。


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