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8☆物質種

 山守りとなった以上、焔の理に焼き殺される覚悟は出来ていた。

 だが、どうやら俺は死ぬ覚悟までは出来ていなかった様だ。

 あの布の様な何かに幻質を奪われた瞬間、俺は死にたくないと強く思ってしまった。


 苛立ちを紛らわすために針山樹木を強く引っ掻く。

 鋭く顕現した俺の指先は凍結した樹皮を切り裂き、その奥の幹へと達する。

 ふわりと焦げ臭い香りが漂った。


 身体が熱い。これは焔の理の幻質が俺の幻質と深い場所で交差しているからだ。

 全く、この状態は想定外だ。

 幻質の交差自体は然程特別な状態ではない。

 問題は俺の幻質が基幹からは切り離されていない状態で、焔の理の幻質と交差しているのだ。


 この状態は俗に言う眷属化と酷似している。

 直接の繋がりは無いので、眷属化を用いた意思の疎通や行動の束縛は無い。

 眷属化で得られる特質の付与だけがある状態だ。

 恐らくこれは永続的な物では無いと思うのだが、焔の理が交差させた幻質が莫大な量である事からいつまでこの状態が続くのかは不透明だ。


 ひょっとしたら俺が死ぬまでこの状態は続くのかも知れない。

 布の様な何かから常時幻質の奪取を受け続けても未だ底が見えないのだ。


 恐ろしい。

 布の様な何かに数歩の位置まで近寄ったあの瞬間、俺は訳が分からないまま恐怖したのだ。

 俺が一瞬で消えなかったのは焔の理が垂れ流していた幻質があったからだ。

 焔の理がいなければ何も理解出来ずに消滅していた。


 焔の理が放つ暴力的な存在感に目を奪われ、俺は完全に布の様な何かの恐ろしさを見誤った。

 見逃したと言っても良い。


 そして焔の理が俺に幻質を交差させたのは、布の様な何かが俺に触れられる様にするためだ。

 布の様な何かが使う言語は何一つ理解出来なかったが、焔の理との遣り取りを間近で見て理解出来た事がある。


 布の様な何かは非常に危険だ。焔の理の方が遥かにマシだ。


 第一に意思の疎通が不可能だ。

 これは言語に関わる話では無く、単純に精神の有り方の問題だ。

 布の様な何かは暇潰しの為だけに俺の事を食べようとしていた。

 食べると言っても幻質を取り込む目的では無い。

 焔の理が言うには、単に味と食感を楽しむためらしい。

 実際布の様な何かは針山樹木を食べていたが、しばらくすると吐き出していた。


 第二に行動が読めない。

 その象徴の様な事が決闘の代わりだと言うあの行為。

 互いに何を得るでも無いあの行為は確かに暇潰しになるのかも知れない。

 だがそれを丸一日以上行うとなると、意味が分からない。

 加えて初めて俺が勝利した時の事もそうだ。

 決死の覚悟で解放を求めたら、それを何度も繰り返えせと要求された。

 結局同じ事を百回近く訴え続け、その結果は無条件での解放だ。


 第三に生態が意味不明だ。

 これこそ本当に意味不明だ。

 類似した種に心当たりはないし、そもそもあれは幻想種なのか物質種なのかも分からないのだ。

 双方の特性を持ち、同時にそのどちらにも無い特性を持っている。

 殻と中身が別種なのかとも考えた。

 だが俺が見ていた限りでは中身が殻から完全に出て来る事は無かった。

 それ以前に神位幻想種相当が共存している事自体が異常なのであり、二柱どころか三柱ともなればほぼ有り得ない。


 そして最後に、明らかな格上であると言う事。

 その実力は片鱗すら見えなかったが、少なくとも俺程度には戦う価値すら感じ無い様だ。

 焔の理はその気質が荒い事もあってか俺の決闘を受けて立った。

 その結果はあの様だが、外套を焼き潰された俺に手加減無しの閃光を放ったりはしなかった。

 俺達が神位幻想種に殺される場合は大体二つに分類出来る。

 一つは圧倒的な力を見せつけられる場合で、手加減された上で一瞬で殺される

 大体の場合万策尽きた頃合いにさっくりと殺され、それは非常に幸運であると言える。

 もう一つはいたぶられる場合だ。

 致命傷を容赦無く与えて来るが、即死だけは避けるのだ。

 力を見せつけるのではなく、俺達が苦しむのを見るのが目的なのだ。


 対して布の様な何かはどうかと言うと、あれは完全な無関心だった。

 俺は終始倒木と同じ扱いだったのだ。

 焔の理と共存しているのも同じ理由なのだろう。

 布の様な何かは焔の理より格上であり、焔の理を排除する必要を感じていない。


 実際焔の理は終始布の様な何かに配慮していた。

 閃光を中てない様に注意し、俺が近寄っても消滅しない程度に俺の幻質を強化した。


 今の俺は焔の理の幻質が交差している事によって強化されている。

 その事によって俺は何等悪影響を受けていないが、それはただの偶然だ。

 この状態は俺が布の様な何かに接近出来る様にするためだけに行なわれている、布の様な何かに対する配慮として施された処置なのだ。

 そこに俺の意思は何等関係しない。


 ぐらりと身体が傾く。

 思考の渦に嵌り込み長く立ち止まってしまっていた。

 漏れ出る焔の理由来の幻質によって足元の雪が解け始めていた。


 俺は歩き始める。

 その足が雪をしっかりと踏み締め、その感触が身体の芯まで伝わって来る。


 そう、芯まであるのだ。

 今の俺は高位幻想種並みの強度で顕現している。顕現し続けている。

 通常の幻想種が表面の一部だけを顕現しているのとは違うのだ。

 今の俺ならば物質種を物理的に圧倒する事すら可能かも知れない。


 手に幻質を集め、平爪状に顕現された指先に纏わせて振り抜く。

 その一振りで太い針山樹木が中程まで断ち切られた。

 傷痕は軽く炭化し、僅かな黒煙が針山樹木の焦げる香りと共に漂った。


 焔の理に比べれば貧弱な幻質であると言うのに、禁山に登る前の俺とは雲泥の差だ。

 軽く力に溺れそうにもなる。

 だが、所詮は焔の理の下位互換でしかない事も理解している。


 確かに今の俺は強くなった。

 だが、例えば物質種の集団を蹴散らせるかと言えば微妙な所だ。

 目先の十数程度なら問題は無いだろうし、後先考えなければ百程度は殺せる。

 それでも二百は無理だろう。


 焔の理なら二百程度なら一息で焼き尽くすだろう。

 結局の所俺等と神位幻想種との間に存在する格差はこの程度では埋まらない。

 だからこそ黒質の氏族が請負う役割は山守りなのだ。


 我々が相手に出来るのは精々山だけだ。


 先達が口を揃えてそう言う意味が、今になって身に染みる。

 同時に、先達が物質種を見下す理由も理解出来た。


 あれは物質種が個としては貧弱であるからでは無い。

 集団であれば神位幻想種に敵うと思っている事を、見下しているのだ。


 確かに、我々にも神位幻想種を殺す事は可能だ。

 黒質の氏族は毎冬成し遂げているし、物質種が造る道具は神位幻想種であれど無視出来る品では無い。

 条件が合えば神位幻想種であれど殺せる。

 それは確かだ。


 だが、その条件は非常に狭い範囲の中でしか成立しない事を理解しなければならない。

 事実焔の理を殺し得る条件はほぼ失われた。

 この先禁山で灰色の寒冷が顕現しきる事はないだろう。

 そうなれば禁山を覆う雪はいずれ溶け去り、焔の理は通期において猛威を振るうだろう。


 物質種の軍隊がどれだけ押し寄せようと、焔の理は殺せない。

 焔の理だけなら万に一つの可能性もあるかも知れないが、布の様な何かが存在している以上億に一つとてありはしない。

 近々禁山から近い物質種の集落は焼き払われるだろう。

 我々黒質の氏族もこの地を追われるだろう。

 俺はこの事を集落に伝えなければならない。

 伝えて、逃げなければならない。


 焔の理からも、物質種からもだ。


 俺は貴重な時間を丸一日以上浪費してしまった。

 急がなければ。

 そう思うのだが、移動速度は上がらない。


 芯まで顕現した身体の扱いに慣れていない上に、俺の周囲では足元の雪が緩むからだ。

 力を得た所で、使い熟せなければ意味が無いのだ。


 もどかしい足取りで、いつもの倍以上の時間を掛けて山を下りた俺は見た。

 物質種に占領された黒質の氏族の集落を。


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