7★私の定義
暇なのである。
今、私の周囲には小鳥も棒人間もいない。
小鳥がいないので、雪山は相応に寒かった。
私は夜空を眺めながら時間が過ぎるのを待っていた。
棒人間が一時帰宅を求めたのは一つ前の夜が明けた時だった。
その頃にはマルバツゲームはほぼ決着が着かなくなっていて、ひたすら五目並べに興じていた。
棒人間も盤上遊戯の楽しさを理解した様で精力的に私の暇潰しに付き合ってくれていて、その時は初めて私が負けた直後でもあった。
一度里へ戻りたいとは、小鳥を経由して得た最初の翻訳である。
その時ふと思い付いて何度か通訳をやり直して貰ったのだが、その度に微妙に異なる翻訳結果となった。
私が一字一句同じ言葉を繰り返せと要求したので、棒人間は寸分違わぬ文言を繰り返し、小鳥は同じ内容を同じ言葉で繰り返した筈である。
里と村と集落は同じ言葉として扱われる事が分かり、最終的には一時帰宅を要求する等と原型を留めない文言に変化した。
棒人間を快く送り出し、何かを燃やして来ると言い残して飛び立つ小鳥を見送り、一人悶々と翻訳機能について考察を進めようとしたが、私は言語学者では無い。
言語学者だったとしても翻訳の仕組みを解き明かす事は出来ない気もするが、要するに手に余ると言う事だ。
私は無力である。
何故なら三大欲求が無くなった事以外はただの人間なのだから。
棒人間の動きは目で追えず、小鳥には武力も知力も及ばないのだ。
挙句棒人間に五目並べで負けたのである。
棒人間にとっての小鳥がそうである様に、触れる事すら叶わぬ程の強さを持ち合わせていないのは確かだ。
ここに来てから、何か特別な力を持っていないか試した事はある。
布団の上に倒れて来た樹が消える様を見た時に、試しに離れた場所の雪や樹を消そうとしてみたのだが、結果非常に生産性の低い時間を過ごしただけだった。
要するに私には何等特別な力は無く、強いて言えば布団が触れた物を消す力を持っているくらいだ。
今の私に出来る事は、その現実に落ち込む事くらいである。
だからと言って落ち込む事も長続きしない。
落ち込む事にすら飽きてしまうのだ。
私はここに来る前の私に関して十分な記憶を有していないが、それにしても漠然とだが全ての事柄に対して無頓着になった様に感じる。
無頓着と言うか適当と言うか、全てが気にならないのだ。
雪山の夜はとても静かだ。
降り積もる雪の音が聞こえる程静かなのだが、その雪すら止んで風も凪いでいている今は表現し難い無気味な静けさだ。
周囲の木々は小鳥のよって大規模に破壊されてしまったせいか、動物の気配もしない。
人間は完全に無音な環境に放り込むと気が狂うらしいが、私はその辺りが人間とは異なってしまったのか割と平気である。
暇な事に苦痛を感じるが、それ以外はさしたる問題として意識できない。
普通はこの様な意味不明な状況におかれれば混乱したり錯乱したりしてもおかしくないし、私の記憶する限り私はそこまで肝の据わった人間では無かった様に思うのだ。
ひょっとしたら記憶の欠如もそこに起因しているのではないだろうか?
何等具体的かつ合理的な仕組みや推測は無いが。
ああ、暇だ。
結局行きつく先はそこなのである。
そして、この感情を放置すると拙い気がする。
暇だと言う事以外にも感覚として存在する何かはあるのだ。
例えば孤独感。
これは小鳥や棒人間と接していても微塵も減衰しない感覚だ。
その正体もまた漠然と理解している。この孤独は種として感じる孤独だ。
私以外の人間はいないと、漠然と確信している私がいる。
この孤独は私個人として感じているのではないのだ。
それはさながら本能とでも呼ぶべきなのだろう。
同様に物事に対する関心の低さもまた、本能に近い部分からの作用であると感じている。
正直な所、小鳥も棒人間も立ち並ぶ木々も灰色の異形ですらも、私の中では大差無い。
それは上に見るとか下に見るとかでは無く、ただ自身と隔絶した仕組みの何かであると感じているのだ。
強いて関心を抱く事柄は私が寝ている一流れの布団だろう。
関心を抱くと言うより、執着心と言った所か。
思えば私は暇だ暇だと言いながらも、この布団から離れると言う選択肢を常に除外し続けしているのだ。
私が暇であると感じる原因ははっきりしている。
布団の周囲には何も無いからだ。
精々が雪原と木々があるだけなのだ。
この布団から離れ難いと感じる感覚もまた本能と呼ぶべき物なのだが、これがまた非常に強い。
このまま暇な状態が続けば、種としての私は保存されても個としての私は破綻する。そんな確信がある。
暇は死毒と小鳥は評したが、その毒は肉体には作用を及ぼさずただただ私の精神を殺すのだ。
きっと私は精神が壊れてしまってもそのまま存続するのだろう。
眠らず、食べず、繁殖せず、ただここに有るだけの存在。
それはある意味種としても終わっている。
個としても種としても先が無いのであれば壊れてしまっていてもいいのではないか?
そんな風にも思う。
しかし、そうならないに越した事は無い。
そんな風にも思うのだ。
こうやってぐるぐると考えを巡らせた所で、行き着く先は同じ感覚なのである。
暇である。暇なのである。
棒人間か小鳥どちらかでも引き留めておけばよかった。
そう思うならば、なぜ両方共送り出してしまったのかと言うと、結局の所興味が持続しなかったからだ。
そもそも引き止める力も無いし。
顔が寒くなって来た。
夜空には幾つかの星が見えた。
私は天文学者ではないので、星々の配置が地球上と異なるのかすら分からない。
星と言えば、星座と呼ばれる文化は意味不明だった。
白鳥? 白熊? 何をどうやったらそう見えるのだろうか?
月の兎だって良く分からないし、あれだって国によっては蟹とか別の物に見えるらしいし。
私は溜息を吐いて布団を頭の上まで持ち上げた。
布団の中は暗く何も見えなかったが、情報量と言う点では夜空と大差ないのかも知れない。
或いはこの不可思議な布団の方が遥かに情報量が多いのかも知れない。
そんな訳は無い。
ただの暗闇だ。
ひょっとしたら、私もこの暗闇の様な物なのかも知れない。
ただそこにあるだけ。
そして同時に何も無い。
何者でも無い。
再び布団から顔を出す。
夜空が薄らと明るさを帯びていた。
暇潰しにしかならない事を考えている内に夜が明けようとしていた。
この世界には月が無い。しかし太陽はある。
太陽は二つも三つもある訳では無く、大き過ぎたり小さ過ぎたりもしない。
基本的にこの世界は地球とは異なるが、そう問題になる程異なっている訳では無い。
身体を起こす。
背中を寒さが撫でる。
震える事は無い。もう慣れた。
そろそろ小鳥か棒人間かのどちらかでもいいから帰って来ないだろうか。
そう思ってぐるりと周囲を見回して目を凝らしてみる。
遠くに、とても遠くに棒人間が見えた。
そして今更気付いたが、視力が良くなっている様だ。
とても遠くを走る棒人間が割と鮮明に見える。
その身体を構成する線が一本一本まではっきりと見える訳ではないが、大まかな動きや大凡の形は見えるのだ。
棒人間がこちらへ向かって走っている。
遠くを走っているのでそれ程速くは感じないが、周囲の木々の大きさ等から予想される速度は驚異的な速さだ。
道なき雪山を走っているのに、明らかに原付よりは速い。
それにしても何だか焦っている様にも感じる。
何と無くぼんやりとその様子を見ていると、棒人間が何かに追われている事に気が付いた。
棒人間より小さい何かが沢山、棒人間から結構離れた場所を移動している。
それらもまた人型で、棒人間よりは随分と人間に近い造形をしている。
背の丈も棒人間より低く感じる。
その身体は棒人間よりも肉質感があり、それもまた人間に近い印象を受ける。
手足や胴の比率も人間に近く、服を着て棍棒と小さな盾を装備している。
人間とは異なる点をあげるなら、目が一つである事と頭に角が四本生えている事だろうか。
加えて時折光で構成された矢らしき何かを生成しては飛ばしている。
矢は距離の離れた棒人間へと蛇行しながら飛び、棒人間は黒い炎で燃える盾でそれを防いでいる。
矢は全て盾に阻まれている様だが、迎撃する度に棒人間の移動速度が落ちている。
結果的に両者の距離は一定の範囲内で離れたり近づいたりしていて、どうやらその距離では一つ目の集団を振り切る事は出来ない様だ。
両者は一進一退の攻防を続けながら移動しているのだが、ひょっとしてその行き着く先はここではないのだろうか?
棒人間は一つ目の集団を小鳥に焼き払って貰う積りかも知れない。
だが肝心の小鳥今ここにはいない。
非力な私では一つ目の集団を退ける事は叶わないだろう。
まあ、私個人は布団の中に退避すれば何等問題は無いだろう。
雪崩も倒木も防いだ絶対防御の布団だ。棍棒や光の矢程度ではびくともしないだろう。
そうなると棒人間の命運は小鳥がいつ帰って来るのかで決まる。
果たして小鳥は間に合うのだろうか?
私はそんな事を考えながらもそもそと布団の中に潜り込んだ。
五目並べ「ここからは私の時代だ」