21☆山は動かず
俺の周囲には三柱の神位幻想種がいる。
布の様な何かと、焔の理と、音の無い消滅だ。
布の様な何かが現れるまでは灰色の寒冷もいたのだが、もう二千年近く顕現していない。
恐らく完全に滅びたのだろう。
仮に高位幻想種へ堕ちたとしても、あれ程の幻質を内包する幻想種が何も痕跡を残さない等有り得ないからだ。
神位幻想種が平野を中心に三柱犇めいている訳だが、では神位物質種はどれだけいるのかと言う話だ。
結論から言うと、一柱だけ居る。
ただし、もうすぐ居なくなる。
老衰で死ぬからだ。
物質種と幻想種は発生から成長に至るまで全てが異なる。
神位幻想種の大半は生まれた時から既に神位幻想種だが、物質種は幼体と呼ばれる弱い身体で生まれてくる。
そして急速に成長し、凡そ十年から八十年程の間に成体となる。
そして、成体になるまで要した時間の倍を生きた辺りで死ぬ。
短い種では二十年程で、原始的な物質種の中には一年も生きない種すら多い。
そんな中で神位物質種となる個体は、大抵異様な程長く生きる。
森継の氏族の様に元より比較的長命であるのとは異なり、物質種の枠組みを逸脱して長く生きる。
神位物質種と成った個体はその寿命から多少の間解放されるのだ。
もっともそれは死の先延ばしでしか無く、平野周辺で現存する神位物質種は千九百年程生きた辺りでその生涯を終えようとしている。
それは普遍的な幻想種から見ても十分に長い一生だが、正直俺程度の高位幻想種と比べても特別長くも無く、神位幻想種とは比べ物にすらならない。
それだけ神位幻想種が埒外の存在であるとも言えるが。
即ち神位物質種は高位幻想種相当である、かと言えばそうとも言い切れない。
俺は緑鱗の声の鼻先で一息を吐いて、彼我の力量差をその身で感じてそう思うのだ。
神位物質種は寿命こそそこまで長くないが、十分に化け物であると。
緑鱗の声の身体は山程もあり、その物量の前では多少の攻撃は感知すらして貰えない。
もう三百年程全く動いていないその身体は比喩では無く山と成り掛けていて、鱗の隙間に積もった塵からは木が生え、無数の原始的な物質種や幻想種がその上で代を重ねては一生を終える。
そもそも山と呼ばれる地形の大半は神位種の成れの果てで、禿山も三千五百年程前に滅ぼされた神位物質種の身体だ。
毒沼の形と呼ばれたその神位物質種は灰毒と呼ばれた毒を纏っていて、大分毒性の薄まった現在ですら死毒と呼ばれる危険物質の塊である。
……そこに住んでいる魔の氏族は何で滅ばないのだろうか?
「やはり来たか、燃える黒色」
びりびりと響く声が叩き付けられた。
並みの物質種ならばその声だけで死にかねないし、幻想種も下手に顕現した状態なら危険だ。
実際俺にも多少のダメージは入っている。
だが、耐えられない程では無い。布の様な何かの傍にいる時に比べれば大した事は無い。
「やはりも何も、俺を指名したのは緑鱗の声だと聞いているが?」
「要望はしたが、不確定」
緑鱗の声に棲み付いている多数の種がざわざわと慌てる様子が分かる。
これでも大分声量を落としてはいるのだろうが、何せ緑鱗の声は大き過ぎる。
言語と言う物は発する者の体格から多少の影響を受ける意思伝達方法で、それが山程の大きさから発せられるとなれば周囲に与える影響は甚大だ。
緑鱗の声は周囲の環境に配慮する事が出来る個体だが、それでも限度はあるのだ。
「で、あれか? 末期は乱戦板でもして過ごせばいいのか?」
そう言いながら俺は身体に収納していた乱戦板を取り出す。
乱戦板は一人で練習する事が難しい仕組みだが、俺はその相手に事欠かない稀有な存在だ。
ひたすら迷惑を振り撒く布の様な何かが役に立つ時はこの他に無い。
緑鱗の声は乱戦板の発明者だ。
形にするのには、お父さんが好きそうとの理由で我が仔が大きな役割を果たした。
乱戦板は無形の氏族の間で異常な程流行し、発明者である緑鱗の声に挑もうとやって来る無謀な個体も数年に一人程度の頻度で発生する。
大抵はその声に晒されて死ぬが。
「燃える黒色のそれは予想しなかった」
緑鱗の声は周囲への影響を考えて言語量を過剰なまでに減らす傾向があり、少々その意味が掴み辛い。
根本的に意思の疎通が不可能な布の様な何かに比べれば遥かにマシではあるが。
「俺が乱戦板に傾倒するのが予想外って事か?」
なら無形の氏族が種全体で乱戦板を流行させる事は予想内と言う事だろうか?
緑鱗の声は俺の問い掛けには応えず、瞼を持ち上げた。
壁の様な瞳が数百年振りに光を浴びたせいか、ぎゅうぎゅうと音を立てて収縮した。
ここまで近づいてしまうと眼や顔から感情を読み取る事は出来ない。
「戦局を、どう見る?」
今日の緑鱗の声はいつに無く饒舌だ。
緑鱗の声は鱗の万軍から変遷した神位物質種なのだから、本質的には饒舌なのかも知れないが。
「魔の氏族と無形の氏族の事か? 相変わらずだよ。最近魔の氏族が少し盛り返して来て尚更先が読めない」
乱戦板を通じて不確定要素を含む大局を読む術を身に付けた俺だが、この乱戦の行方だけはとんと読めない。
「不介入原則は継続か」
「我が仔は必ず約束を守るさ。焔の理は最近平野には興味が薄そうだし、布の様な何かは……相変わらず分からん」
「あれは不定要素」
違いない。
しかし、緑鱗の声をもってしても予想が出来ないのかあれは。
「戦乱は飛び火する。神位種を巻き込んで」
本当に、今日の緑鱗の声は饒舌だ。
そして、これまでに無い程不穏だ。
「鱗の万軍を喰らい尽くした者達は同じ道を辿る」
その発言に、俺は一気に臨戦態勢へと移行する。
鱗の万軍は滅びた。
俺が乱獲し、物質種共と殺し合い、我が仔が消し去った。
生き残りを焔の理が襲い、布の様な何かによって齎された白い皮が発端となって乱獲が起きた。
過去の話だったので忘れていたが、緑鱗の声から見れば平野に住まう全てが変遷元の種を滅ぼした敵でもあるのだ。
長い間動かずに隠していたのであろう感情が、緑鱗の声からじりじりと伝わって来る。
「直接何もしない。出来ない」
緑鱗の声からは敵意も悪意も憎悪も伝わって来ない。
やや弱い無念と、何だこれは? 達成感にも似た様な、とても穏やかな感情だ。
「燃える黒色よ、一つ疑問がある。何故覇権を欲しないのだ?」
そして今ここにあるのは純粋な疑問。
「平野の三大権力の、全てに干渉できる立場に有りながら」
ぎちぎちと音を立てて、瞳が一層収縮した。
緑鱗の声が言っている事は理解出来る。
俺は実質的に三柱の神位幻想種の一端、末席に座る物。
ああ、傍から見ればそうなのだろう。
誰も知らないのだ。緑鱗の声さえも。
俺が抱える圧倒的な劣等感が齎す諦めのと受動の境地を。
「俺はそう見える程何も持っちゃいないよ」
「魔も無形もそこまで謙虚では無い、奴等は隠された事柄を暴く本能」
何かに陶酔する様に緑鱗の声が嘯く。
先程から周囲の環境に対する配慮等無い。
その声に幾千もの物質種が死に、幾千もの幻想種が消えた。
その身体に体積した塵が根を張った樹木諸共崩れて滑り、ごうごうと音を響かせる。
その音を緑鱗の声が発する言語が押し潰す様に塗り替え、周囲の大地は揺れて割れた。
緑鱗の声はただ言語を発しているだけだ。
動いてすらいないのに、この影響力。
やはり、俺は所詮高位幻想種でしかないのだ。
緑鱗の声はそんな俺の心の内も知らないか……恐らく想像の外なのだろう。
だからこそ緑鱗の声は何かしらの行動を俺に期待していた様だ。
「期待外れで悪かったな。俺じゃ所詮この程度さ」
「とうの昔から期待してはおらん。燃える黒色よ、お主は計画に組み込まれていない」
緑鱗の声は何かを企んでいる。
或いは既に仕込みも終わっているのかも知れない。
その内容は見当も付かないが。
「我の死後、計画は成る。死者は誰にも干渉されず、ただ幻覚となる」
それが、緑鱗の声が発した最後の言語だった。
看取りと呼ばれる、神位種の末期に寄り添う役目。
黒質の氏族が請負う山守りもまたその一種だ。
俺は黒質の氏族であった時は果たせなかった役目を、燃える黒色となってから果たす事が出来た。
しかしそこに快い感情は一切伴わなかった。
緑鱗の声が残した、得体の知れない不穏だけが俺の中にじわりと染み入る。
この不快な感覚こそが緑鱗の声が俺に残した復讐なのだろうか?
半ば希望を伴う推測が当たっているのかどうかは俺には分からなかった。




