2★暖かさ
ギーギーと甲高い、歪んだ声で鳴く小鳥。
その鳴き声は先程までずっと聞こえていた。
恐らくは灰色の異形と戦っていた閃光の正体がこの小鳥なのだろう。
そしてその激闘が故だろう、酷く衰弱している様だった。
理性的に考えるのであれば、この小鳥は危険である。
そして、私にはこの危険な小鳥を処分する手段があった。
触れた感じでは、この小鳥の強度は私の知る小鳥のそれと変わらない様に感じる。
掴んで捻ればいいのだ。
しかし、私はその選択をしなかった。
灰色の異形に比べれば幾分可愛らしいその小鳥。それを殺す事に抵抗を抱いた。
そんな要素が介在しなかったと言えば嘘になるだろうが、私が小鳥を殺さなかったのはもうちょっと即物的な理由だった。
理由は温もりだ。
それこそ情が、と言った意味の温もりでは無い。
そもそも、温もりと言う表現は適当では無いかも知れない。
体感で50℃程。
小鳥の体温は僅か十数秒で急激に上昇していた。
最早それは温かいよりも熱いに近い感覚だ。
よもや手で触れられぬ程まで熱くなるのではないかと少しばかり心配もしたが、幸いにもその温度は50℃程で安定した。
そうして手の中の小鳥は、私の中で熱源としての地位をしっかりと確立したのだ。
改めて周囲を見渡す。
いつの間にか吹雪は大分収まって来ていて、視界も良くなっていた。
だが、見えるのは雪山だけだ。
背の高い木々が視界を埋め尽くす様に乱立し、地面は全て雪に覆われていた。
空は薄灰色の雲がまるで雪の様に広がっていて、太陽は見えない。
果たしてここはどこなのだろうか?
私の知識の中で、雪深い森と言うだけの条件と合致する場所は沢山ある。
その条件だけでは国内か国外かと言う事すら絞り込めない。
そこに灰色の異形が出没する地域等と条件を付ければ、今度は該当する場所は無くなる。
そもそも地球上にそんな場所は無い。
冷静に考えなくとも、ここは私が元居た場所からは遠く離れているのは明白だ。
場所に加えて時間も分からない。
果たして今は昼なのか夜なのか。
明るさから考えれば昼の様な気もするが、白夜の様な現象もある。
見上げてみても太陽は見えないし、その雲の裏に太陽が有るのかも定かでは無い。
まるで小説の世界に入り込んでしまったかのような、現実離れした状況だ。
小説の世界と言っても、これがファンタジー小説なのかSF小説なのかも分からない。
ひょっとしたらミステリー小説なのかも知れないし、恋愛小説……はさすがに無いだろうけれども。
ギーギーと、手の中で小鳥が泣いた。
視線を落とすと、小鳥が目を開いていた。
目と目が合う。
形容し難い沈黙が私を包んだ。
吹雪は収まり、周囲に音が無い。
雪は音を吸うのだ。だから雪原で風が凪ぐと信じられない程の静寂に襲われる。
「ここは、どこでしょうか?」
耳に痛い沈黙に耐え切れず、私は小鳥に問い掛けた。
小鳥は私の手の平でちょこんと起き上がると、ギーギーと鳴いた。
小鳥の言葉が理解出来る、等と言う事は無く、ついでに言えば小鳥が私の言葉を理解しているのかすら分からない。
普通に考えれば小鳥が人語を理解している等と言う事は早々有り得ないのだが。
ギーギーと小鳥が鳴く。
それは私に何かを語り掛けるかのようだったが、何度鳴かれようとその意味する所は分からなかった。
私が落胆の溜息を吐くと、小鳥が手の中から飛び立ち、私の頭の上に乗った。
ぶつん。
脳天でそんな音が響いた。
何かが、私の思考に流れ込んで来る。
「■■■■■■■■■■■?」
小鳥がギーギーと鳴く。
その鳴き声に被せる様にして、私は何かを聞いた。
それは脳内に直接語り掛ける様な言葉で、漠然とだが小鳥の鳴声が帯びている何らかの意味を翻訳したものだと理解出来た。
問題は、その意味がさっぱり理解出来ない事だが。
例えるなら未知の言語をまた別の未知の言語に訳された様な、何とも説明し難い不思議な感覚だった。
辛うじて、何かを尋ねる様な、疑問形であるのではないかと、そんなニュアンスだけは感じ取れたが。
「何言っているのかさっぱりですねー」
ぞぷん。
先程より深く生々しい音と共に、私の奥深くに何かが流れ込んで来た。
「■■■で■■だ? ■■、■■■し……。こ■くらいで■■るか? おお。繋がった様だな」
小鳥がギーギーと鳴く。
その言葉が、ラジオの周波数が会ったかのように先程よりはっきりと翻訳され始めた。
「しかし面妖な。お主は■■■の■■■だから■■■だと思ったのだが、■■■に近いようだ」
そして結局意味が分からない。
感覚的には対応する単語が無くて翻訳不能と言った所だろうか。
「ええと……」
「おお、そうだ、先ずは礼を言わねばならんな。■■■の■■■の■■■みたいな者よ。我は■■■■■。この山で■■■■■と覇権を争う■■■だ」
自己紹介されたのだが、全くもって意味不明だ。
何と言うか、固有名詞やそれに近い単語が全滅している感じだ。
「ああ、どうもご丁寧に私は……」
取り敢えず私も自己紹介をしようとしてはたと気付く。
私は誰だ?
名前が思い出せない。出身地も思い出せない。
ここに来る前の記憶はあるのだが、まるで不完全な翻訳の様に所々情報が抜け落ちている様に感じる。
「……ちょっと名前が思い出せないのですが、一応人間?」
「ふむ? ■■■だからだろうか? まあいい。ニンゲンよ。お主のお蔭で我はこの山の覇権を得る事が出来た。礼を言おう」
「いえいえ、それは良かったですね?」
何だか全人類代表みたいな感じになってしまったが、仕方ないだろう。
それに直感の様なものだが、ここに人間は私一人だけの様な気がする。
得体の知れない孤独を感じるのだ。
「それはそうと、ここはどこなんでしょうかね?」
意思の疎通が成った所で、最初の疑問を質問してみる。
いや、本当にどこなのだろうかここは。
「ふむ。その質問は単純な様で難しい。果たしてこことはどこまでの情報によって定義されるのかが問題となるからだ。その定義を確定した場合でもまた、ニンゲンが理解出来る、或いは納得出来る回答を得られるとは限らない」
酷く難解な返答が返って来たが、言わんとする事は理解出来る。
私自身、その問いに納得の行く回答が存在するとは思えないからだ。
要するに、私はここの事を全く知らなくて、饒舌なこの小鳥は私の居た場所を知らない可能性が高いからだ。
「それでもあえて回答しよう。ここは山だ。雪深い山だ。■■■■■が呼ぶ名称ならば■■だ。或いはもっと広く、この山を含む場所と言う意味となると、山脈とそれを挟む平野だ。その外には■■■の群れが棲む場所が点在している。それらを含むもっと広い場所と言う意味では大陸だ。その外には海が広がっている。海の先には別の理が支配する大陸が多数存在している。我はその内の一つからここへ渡って来た。海の底の下や空の上は我が感知出来る領域ではない。我の知る大陸は八万と千五百二十三あるが、それが全てでは無い。まあ、大陸一つ一つは我が三日三晩寝ずに飛んでも横断出来ない程広い物が殆どだ。ニンゲンには他の大陸は近い二つか三つが分かれば良いだろう」
少し頭が痛くなった。
訳の分からない単語が少なかったからだろう。
でも、一つだけは理解出来た。
ここは少なくとも地球では無い。
どんな小さな物を含めても、地球に八万千五百二十三もの大陸は無いからだ。
薄々は分かっていたが、私は本当に知らない世界に来てしまったらしい。
吹き荒む風の冷たさに震え、同時に頭の上の熱源にほっとした。