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1★見知らぬ雪山

 使い古された陳腐な言い回しだが、見知らぬ場所で目を覚ました状況を見知らぬ天井と表現する場合がある。

 陳腐な言い回しと言ったが、見知らぬ天井とは便利な表現で、その言葉を聞くだけで心情を含む情景が浮かび上がる素晴らしい言葉でもある。


 同様にトンネルを抜けたら雪国だった等も非常に印象的な表現で、列車の窓が暗いトンネル内で自分の顔を映していたのが、ぱっと明るくなるのと同時に一面に広がる眩い程の銀世界と降り注ぐ雪が目に浮かぶ。

 私はその書き出しで始まる小説を読んだ事が無いと言うのにだ。


 さて、それらを踏まえた上で私のおかれた状況を表現しようとした時、果たしてどんな言葉が適当であろうか?


 見知らぬ空と雪景色だろうか。

 目が覚めたら雪山であっただろうか。

 それとももっと情緒溢れる言葉があるのだろうか。

 それはさて置き、取り敢えず私に言える事は一つだけだ。


「顔が痛い」


 喋ったら喉と肺が痛くなった。にわかには信じられない寒さだ。

 私は頭の上まで布団を引き上げて、ぬくぬくとした暗闇に現実逃避した。


 どれ程かそうしていたが、いつまでもそうしている訳にはいかない。

 渋々、恐る恐る、そろそろと顔を出す。


 寒い。とにかく寒い。

 頭から布団を被り、顔面だけを外に出しているがそれでも寒い。


 身体が寒いと言う事は無い。

 不思議な事に、布団の中はぬくぬくと温かい。

 毛布と掛布団の二枚重ねではあるが、その程度で顔面に感じる尋常では無い寒さを遮断できるとは思えない。


 外は吹雪だ。

 一メートル先すら見通せない酷い吹雪だ。


 痛みすら感じるその寒さに耐え切れずに再び布団の中に潜ろうとした時、遠くから二つの音が聞こえた。


 一つはギーギーと甲高い、鳥の鳴声に似た歪な音。

 一つはギーギーと反響する、低い楽器の様な音。


 二つの音が混ざり得も知れぬ気持ち悪さを感じた。


 音は前方から聞こえて来る様だが、視界が悪く音源らしき存在は見えない。


 目を凝らしていると、眼球に痛みを感じる。

 寒すぎるのだ。


 取り敢えず布団に潜ろう。

 そう思った瞬間、虹色の閃光が不明瞭な視界を切り裂いた。

 音は無い。聞こえないのか、実際に無いのかは分からないが。


 右上から左下へと走ったその閃光は一瞬だけ吹雪を蹴散らし、その向こうに居たモノを照らした。


「なんだアレは……」


 うっかり呟いてしまい、喉と肺に痛みが走った。


 一瞬だけ見えたモノは異形の存在だった。


 灰色の巨体が宙に浮いている。

 頭と下半身は無く、腕は三対。

 胸に見える場所には大小様々な赤い球体が幾つか埋め込まれていた。

 周囲に見える樹木がどれ程の大きさなのかは分からないが、それが一般的な針葉樹だとすれば灰色の異形は途轍もなく大きい。

 少なくとも小型機程度はありそうだ。


 そんな巨体が、見えただけで三体。

 三体全てが全ての腕を振り回しながらこちらへ近づいて来る。

 近づくにつれて、徐々にその姿が目視可能になる。


 そして再び走る閃光。

 今度は下から上へ。


 閃光は灰色の異形二体を貫いていた。

 赤い体液を撒き散らしながら、二体の異形がゆっくりと墜ちる。

 私は異形の体液が赤い事にぼんやりとした意外性を感じていたが、雪崩の様な雪が迫り来る様を見て慌てて布団の中へと潜った。


 数拍遅れて、轟音が押し寄せて来た。

 墜ちた異形によって雪崩が起きたのだろう。

 暗闇の中私は衝撃に備えた。


 が、衝撃は一向に訪れない。

 その内に轟音は収まり、再び大きな音が響いた。


 雪崩の音では無い。

 めきめきと、恐らく樹木が幾つも折れる音だ。

 次いで何かが墜ちる音。


 近い。


 墜ちたのは灰色の異形だろうか。


 恐る恐る外を覗いてみる。

 布団の中に引き込んだ枕に顎を乗せ、銃眼の様に開けた僅かな隙間から外の様子を伺うと、灰色だけが見えた。


 予想以上に近くにあの異形が墜ちた様だ。

 隙間をゆっくりと広げて行くと、灰色の体躯に埋まる赤い球体が幾つか見て取れた。


 それはどうやら瞳の様だった。

 ピクリとも動かないのは死んでいるからなのか元からなのか。


 しばらく見ていても灰色の異形に動きが無かったので、私は布団から顔を出してみる事にした。


 ゆっくりと顔を出すと、灰色の異形がぐらりと揺れた。


 慌てて布団の中に首をひっこめる。

 まるで亀の様な動きだなと、妙に冷静な私が頭のどこかで考えていた。


 再び隙間から灰色の異形を観察していると、その身体がゆっくりと沈んでいる事に気が付く。

 視線を下方へと向けると、布団の上で灰色の異形の身体が灰色の粒子になって散って行く様子が見て取れた。


 その粒子は空気中に溶ける様にして消えて行く。


 生きている訳では無さそうだ。

 そう判断した私は再度首を外に出す。


 その時になってようやく、外の尋常では無い冷気が消え去っている事に気付いた。

 まだ吹雪いていて視界は悪いが、先程より多少はマシだ。


 マシになったとは言え、布団の外に出れば数時間で凍え死にそうな寒さではあるが。


 そうしている間にも灰色の異形はどんどん沈んで行く。

 私は十数秒程その様子を眺めていたが、ふと思いついて上半身まで外に出てみる事にした。


 何せ視界がほぼ灰色なのだ。

 時間が経てばその灰色は消えるだろうが、今ならその灰色を壁にして足元の様子を伺えるのではないかと考えたのだ。


 布団から中途半端に這い出した私は、ぐるりと足元に上半身を向ける。

 そこには布団と倒木があった。


 状況が呑み込めずに瞬きを繰り返す。

 倒木は布団の上にあるのだが、私は重さを感じない。

 試に手で押してみるが、重すぎてびくともしない。

 だと言うのに、私が布団の下で下半身を動かすと倒木が揺れた。


 この布団は物理的作用を外にだけ伝えるのだろうか。

 しかし熱は完全に絶縁している様だった。

 布団の表面に触れると、それは十分に冷たかった。


 少し考えようとしてみたが、別に私は物理学に詳しい訳でも無い。

 良く見ると倒木も布団に接している面から分解されている様だし、私は深く考える事を止めた。


 捩じっていた身体を元に戻す。

 私が倒木を見て色々と考えている間に、灰色の異形は私の座高より低い位置まで沈んでいた。


 その上に、鮮やかな小鳥が寝ていた。


 迷彩柄の様にぐねぐねと交わる白と赤と橙を纏った小鳥だ。

 私は深く考えずに、その小鳥を手に取った。


 仄かに温かい。

 私自身と布団の内側以外では、この雪山に来てから初めて感じた熱だ。


 小鳥が弱々しく震える。生きている。

 私は消えそうな火種を風から護る様に、その小鳥を両手で包む。



 小鳥が弱々しく鳴いた。ギーギーと甲高い、歪んだ声で。

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