神雷桜
母の胸へ特攻しに行く。最初で最後の親孝行だ。同士討ちばかりのうんざりな日々。いくら機種が違えども、同じ飛行機なのだから。弾丸をボディーに打ち込まれて、その傷は一日もすれば治る。痛み、殊に冷徹な鉄の心が鎮痛作用をもっていた。木の枝に擦っても、血は出ない。ただ、緑色の肌がはだけるだけの事。涙もなく、汗もない。奄美群島の北東部に位置する喜界島に、数十機の零戦が集った。
「何体殺した」
最後尾の零戦が、隣の製造番号が八二五一(初恋)の零戦へと話しかける。静脈から流れる黒い血のような、ほのかな暖かさがあり、どこか美しさもある濁声だ。互いは顔を正面に向けて、見合わせようとしない。
「知らん」
「だよな」
潮風がふくと、お互いのプロペラが軽く軋んだ。金属の摩擦音が、海原へと帰っていく。製造番号八二五一は、脳裏で何体殺したという一節が往復する。よぎならない。何度も思い出してしまうのだ。生きる為なのだから仕方ない。殺らなければ、殺される。無罪の罪悪感が募っていく。
「知らないんだよ!」
八二五一は叫んだ。海原からの突風が、プロペラの一枚一枚の間を強く通り抜けたもんだから、吹奏のような音を奏でる。早朝と日差しの気温差で、窓ガラスが結露した。冷たく、冷たく。
「泣いてんのか」
返事はない。最後尾の製造番号は五一二三(恋文)、殊に五一二三は八二五一の左翼に自分の右翼を伸ばした。届かない。能る限りに伸ばしても、足が固定されているので不可能。翼の先端に全ての意識を集中させても、一寸も近づけない。もどかしく、無ざまな滑稽を披露した。
「すまない」
五一二三は謝るしかなかった。何と声をかければいいのかもわからない。隣の機体が神雷部隊で、自分は特攻機を援護する直掩なのだから。自分と同じ境遇で、同じ身体で、同じ能力なのに運命だけが違う。時は刻々と迫りゆく。八二五一は武者震いをしているのか、それとも怯えているのか、あるいは寂しくて震えているのか、機体がガタガタと音を立てる。
「空の母に飛び込むんだ。多分な、放蕩息子のおれを寛大に受け入れてくれないだろうが、それでも俺は帰りたい。真っ赤な血が燃え盛ろうとも、俺は母親と死ぬんだ。母は愛でなく、弾丸で迎えてくれるだろう。俺はそれをかいくぐる。それで垂直に降下して、激しい接吻をお見舞いしてやるのさ。おもいっきり動脈を噛んでやる。血しぶきが俺を真っ赤に染める。最後は海に真っ青にされるのだ。海底に沈んで、俺はゼロになる。嗚呼、そうだ。俺はゼロになろう!」
これっきり、八二五一は口を開く事がなかった。同時に五一二三は必ず空母へと無傷で送り届けることを約束する。
「神の雷の如く、空母を突き刺してくれ。稲妻のように早く、雷鳴を轟かせて本土上陸を防いでくれ。お前は死なない。ゼロにもさせない。そうだ・・・靖国神社の大門を入って二番目の桜の木の下で待っていてくれ。必ずおれもいく。俺は待つのも待たせるのも嫌いでな、すぐいく」
勇ましく二つの機体は離陸した。