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影山英一の事件簿  作者: タツヒロ
9/15

彷徨う少年 ⑨

 ーー9月5日 13時 『フォンテーヌ』ーー


 昨日、僕は井上さんに電話で僕たちの捜査に協力してほしいという趣旨を伝えると、「今は外出したくないから家に来てほしい」ということで、その要望により転送してもらった住所を頼りに『フォンテーヌ』の門前まで来ている。

 電話越しの声は普段の明るさを失っており、事件の精神的な疲労により心配になるほど弱弱しく憂いに満ちた声になっていた。

 最初は独自の捜査に訝しげであり、特に影山さんに対しては、不信感に充ち溢れて警戒心剝き出しであったが、事件ことで必ず力になってくれると説得し、何とか不承不承してくれた。


 「なんか緊張しますね」


女性の部屋に入る緊張もあるだろうが、何よりも事件の捜査という自体が無論、初めての経験なので鼓動が活発的に鳴り響いる。


 「おや?君は何度もここに来ていたんじゃないか?」


僕が何度も地図アプリのナビを確認していたのを見ていたくせに、隣にいる影山さんは意地の悪い笑みで冷やかしてくる。

 影山さんは夏日にも関わらず清涼感を感じさせない黒のワイシャツの袖をまくり、グレーのスラックスを穿いていた。そういえば、昨日も一昨日も暗色系の服しか着ていなかった。

しかし、それが影山さんのイメージを映しているかのようで違和感がない。格好いい人は服を着こなすのではなく、服そのものに自分を飾らせているということか……。


 「だから、昨日も言いましたけどそういう関係ではないんです!」


そんな反抗している僕を気にも留めずに影山さんは、さっさと井上さんの部屋の前まで歩いてしまった。置いてけぼりを食らった僕は走って追いかけると、そこには井上という表札を確認することができた。


 影山さんは「ここだな」と言い、躊躇いなくインターホンを押すと「はい」と短い返事が返ってきてガチャリと扉が開かれた。


 扉の向こうに立っていたのは普段の姿とは似ても似つかない井上さんであった。頬は痩せこけ、いつもは重力に逆らっている瞼が垂れ下がっており、化粧はしているのだろうが目の下には大きなクマが隠しきれていない。ピンク色の唇だけが憎たらしくも鮮やかに光沢をもっている。


 「大変お疲れのご様子ですね。この度はご愁傷様です」


 影山さんはお悔みの言葉を述べて、丁重にお辞儀する。

 本来は僕が真っ先に言葉をかける立場であるのに、思っていたよりも疲労困憊している井上さんを見て呆然と立ちすくむしかなかった僕は、こんな自分が情けなると同時に嫌悪感を抱いく。何故だがわからないが沸々と影山さんに対して劣等感を感じ始めている。


 「玄関先ではなんですので、どうぞ中に入ってください」


こうやって直接声を聞き、顔を合わせると機械のように生気の無さを実感し胸が痛んだ。

 8畳のリビングに通された僕らは、井上さんと白いテーブルをはさんで座る。井上さんにばれないように部屋を見回すと、漫画やテディベアのような女性の部屋を感じさせるものが一切なく生活必需品しか置いていないようで、失礼ながら雑風系な部屋だなと思う。


 「大丈夫ですか?顔色がとても悪いです」


大丈夫なはずがあるはずないのに、あまりの衰弱した井上さんを見て咄嗟にくだらないセリフが口から洩れてしまった。しかし、井上さんは気分を害した風はなく、


 「いきなりあんな事件があって少し疲れちゃっただけよ。心配してくれてありがとう」


 とあくまでも自分の弱さを見せずに、優しく半ば無理やり口角を上げて笑顔を作った。やはりこの人の中には誰も折ることはできない大木のような強さがそこにはある。


 「あなたが影山英一さんですね。土井君から聞きましたけど、ミステリ作家であるとか」


僕はできるだけ警戒を解くために、事前に井上さんに影山さんの素性を話しておいた。しかし当たり前なのだが、見も知らぬ作家が身内の事件を勝手に捜査しているなんて不審がるに違い。

井上さんも同様に警戒と不審が入り混じった表情を前面に出している。


 「はい。ペンネームも本名も同一の名前です」


 そう言って影山さんは、白い長方形の名刺を差し出したが、井上さんは気味悪がるように見もしないでテーブルにそっと置いただけであった。

 すると影山さんは勢いよく立ち上がり、後ろのグレーの遮光カーテンを開いた。その窓からは部屋を包み込む温かい光が差し込んでくる。


 「何するんですか!」


 井上さんが怒るのも尤もだ。僕は影山さんを一度座らせようと手を引いて座るように合図したが、僕の手を振りほどいて悪びれのない様子で立っていた。


 「あまりにこの部屋が暗かったのでね。疲れているならこんな陰鬱さが漂う部屋を出て散歩することをお勧めしますよ。日光は感情抑制の働きを持つセロトニンの分泌を促す効果がありますので」


 すると井上さんは、先ほどの凍ったような表情からいつもの柔らかい表情に戻り、声を上げて笑った。


 「随分と優しい変人さんですね。私、近くの代々木公園で散歩するのが好きなんです。季節が変わるごとに、あそこは様々な色を私たちに披露してくれます」


 影山さんの奇行のお陰で少し穏やかになった場の空気を終わらせないように、できるだけ話を盛り上げようとする。


 「僕もあの公園が好きですよ。秋の夕暮れなんて最高です。まるで空の色を盗んだかのように地面までも輝くような橙色に染まっているんです」


 僕も井上さんにつられて自然と笑顔になっていたようだ。


 「佑平さんも同じようなことを言っていたわ。あの人は秋よりも冬の方が好きだって言っていたけどね」


 あそこは雪が積もるとおとぎ話に出てくるような雪国に変貌する。もちろん僕もそんな代々木公園も大好きである。


 「冬は特別な季節なんです。私と佑平さんが出逢った季節。私が生まれ変わった季節です」


 井上さんの雰囲気が一変したことを察知した僕は姿勢を正す。


 「佑平さんは暗闇を彷徨う私に太陽のように温かい光を与えてくれた恩人でした」


 そう言いながら井上さんは懐かしむように窓から見える太陽の光を手でかざしながら見惚れていた。

  しばらく無言の時間が続いた後に、不意に井上さんが影山さんの方に向き直した。


 「無関係なあなたが何でこの事件を捜査したがるのですか?」


 影山さんは僕の隣に座り直し、鋭い目線を井上さんの瞳に刺した。


 「最初に断りを入れますが、これは別に執筆のための参考材料ではないことは確かです。私は自分で創造した話しか小説にはしませんから。私は警察が解けないかもしれない、あるいは見て見ぬふりをするかもしれない、有田さんが最後に残したダイイングメッセージの謎を解きたいのです。それはこの少年のためでもある。この少年も大切な人を失った1人でもあるのですから」


 井上さんは今度は僕の方に視線を送り、深い溜息を落とした。


 「あなたはこの事件の真相を暴く覚悟はあるんですか?」


 「覚悟を可視化することはできませんが、事件の真相を証明することはできます」


 すると、井上さんはうっすらと微笑をして、


 「この子のためでもあるなら、それは私のためでもありますよね?」


 「もちろんです」


  影山さんは胸を張って力強く頷いて見せた。井上さんは影山さんを舐めまわすように視線を動かし、また深い溜息を落とした。


 「それでは何が訊きたいのですか?」


井上さんの協力を得られたことによって影山さんは会心の笑みが漏らしている。

 影山さんに話の進行を任せて、僕は情報漏れがないように聞き手役を徹底する。


 「ありがとうございます。では早速ですが、あなたは警察に何時のアリバイを訊かれましたか?」


おそらく、こんな遠回しな質問をしたのは犯行時刻を探るためだろう。


 「9月3日の22時から24時の間です。私はその時間この部屋にいたのでアリバイはないですが……」


 となると影山さんの言う通りこの人も容疑者の1人になるのか……。


 「そうすると犯行時間はその時間になりますね。では佑平さんの死因はなんでしょうか?」


 「医学的なことはわかりませんが、頭から血を流していましたのでそれが原因でしょう」


 意味ありげな言い方に引っ掛かったのは僕だけではなく影山さんも同じのようだ。影山さんの眉がピクリと上がった。


 「まるでその光景を見ていたかのような口ぶりですね」


 「私が第一発見者ですので当たり前です」


 現場を目撃した思い出したくもない記憶が甦ったのか、井上さんは苦々しい顔になり、小さな白い拳を握った。


 「あの店の営業時間は?」


 できるだけ情報を集めたいのだろう。もしかしたら影山さんにとっては重要なことなのだろうが、僕には不要とも思える質問を井上さんに投げかける。


 「朝の8時から22時までです」


 「あの店には防犯カメラがあるようですね。あの防犯カメラは正常には作動しなかったのではないですか?」


 「その通りです。あのカメラはダミーです。なんでわかったんですか?」


 これも影山さんの推測通りだ。驚きを隠せない井上さんに影山さんは、丁寧に推理の道筋を説明した。そこまで考えられるものかと井上さんは口元に手を当てて感嘆する。


 「佑平さんのお兄様である大貴さんとは金銭問題でトラブルになっていたとか」


 「ええ。あの人だけは絶対に許せません。自分が苦しくなったとたん借金を返済しろなんて自分勝手すぎます。ましてや、お店や佑平さんまで罵るなんて自分の家族よりもお金の方が大切なんです。汚らしい金の亡者なんです」


大貴さんに対しての怒りを象徴づけるかのように、井上さんの白い頬と拳に赤みが帯びており、口元が一文字にギュッと結ばれた。

 

 「あなたの言いたいことはわかります。しかし、人間は大切なものが失うと後先考えずに取り戻そうとする生き物ですよ。たとえそれが、周りから非難の声を浴びせられたり、自分自身までも汚れて傷ついたとしてもね。大貴さんにとってそれはお金で佑平さんにとってはお店なだけの違いなのではないでしょうか?」


意外にも井上さんは、影山さんの説諭に抗議をせずただ下を俯いているだけであった。


「説教じみてしまいましたね。話を元に戻しましょう。では佑平さんの借金はどれほど残っていったのでしょう?」


井上さんは拗ねたように口を尖らせて答える。


 「おそらく200万円ほどです」


影山さんは、いよいよ本番が始めるかのように少し前屈みになり、あの『祈りのポーズ』をして見せた。


 「これは噂で聞いたのですが、有田さんはこのような形で亡くなったようですね」


 今まで順調に答えていたのだが、初めてこの質問に言葉を詰まらせてしまう。その態度に俊敏に反応した影山さんは二の矢三の矢を放つ。


 「何かこのポーズでわかったことがあるんですね?」


 しかし、井上さんの答えはノーだった。


 「違います。影山さんたちが来る前に警察が先に来て、このポーズとは違うポーズをとって見せたんです。何でも指の骨に損傷があり、私が見たものは故意に犯人が手を加えたものだと仰っていました」


 影山さんは腰を少し浮かせて、見たこともないほどに眼を開かせていた。


 「それはどういうポーズだったのでしょう?」


井上さんは躊躇いながら、本来のあるべき『祈りのポーズ』を作った。

 それは五指の腹を合わせただけであり、偽りのポーズとは大して変わりはなかった。


 奇妙だ。


 「影山さん?」


 僕はこの沈黙に耐えることができなかったのもある。ただそれだけではない。影山さんが異常だったのでつい声をかけてしまった。

 影山さんは井上さんの『祈りのポーズ』を見てからどう考えても様子がおかしい。右手で顔を覆り、指の間から覗き見える眼はカッと開かれ、白い歯を覗かせながら狂ったように声を震えさせながら笑っている。

 ああ、それはまるで獣のようではないか。空腹に耐えきれなくなった獣がやっとのことで獲物を見つけたような。

影山さんは、僕の声を聞くと、まるで夢から覚めたかのようにはっと飛び起きて、


 「ああ、すまない。今日はもうお暇するとしようか。十分には情報を集めることができた。今日はありがとうございました。さっき渡した名刺の裏には私の個人用の携帯番号が書いています。事件のことで何かわかったり、思い出したりしたらそこに連絡してください」


と言って颯爽に玄関に向かってしまった。

僕と井上さんは、狂った影山さんに戸惑い、しばらく2人でお互いに心配そうに顔を見合わせるだけであった。

 そして、僕は急いで影山さんの後を追うように玄関に向かい、


 「大丈夫です。この人だったら絶対に何とかしてくれます。だから安心してください」


 まだ不安そうな様子の井上さんに、僕は薄っぺらな励ましの声を送った。それが井上さんにそこまで届いたかはわからない。だが扉を閉める瞬間に「ありがとう」と聞こえた気がした。


 外に出ると影山さんは立ちながらまだ思索に耽ているようだ。しかし、もうそこには正気に戻った影山さんがいるだけであった。


 「次はどうします?」


 大貴さんの連絡先なんてもちろん警察は教えてくれない。井上さんが頼りの綱であったのだが、井上さんもそこまでは知らないらしい。つまり、僕らは途方に暮れてしまったのだ。


 「今日はひとまず1人でゆっくり考えることにするよ。それに調べたいこともあるしな」


 そう言って影山さんは淡い笑みを浮かべ、僕の肩をポンと叩いて何処かに行ってしまった。

 一方、何ともやり切れない想いを抱えたまま僕は、今はもう誰もいない『detectives‘café』に誘いこまれていったのだった。



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