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影山英一の事件簿  作者: タツヒロ
8/15

彷徨う少年 ⑧

 ーー9月5日 13時 マンション・ディアコート 701号室ーー


 「この度は、お悔み申し上げます」


熊谷のお役所じみた口調で被害者の兄、大貴さんに追悼の意を示した。同じ班である神田も隣で深々と頭を下げる。2人は世田谷区北沢にある「マンション・ディアコート」の701号室を住処としている大貴さんに訪れていた。


 「わざわざお越しいただきありがとうございます。今、お茶を淹れますのでくつろいでいて下さい」


警察のいきなりの訪問にも落ち着いて接待する様子は、自分が犯人ではないという自信の現れなのか、それとも動揺をカモフラージュするための演技なのか神田には、はっきりとした確信は持てなかった。


 それにしても想像していたよりも投資家というものは随分と身のこなしには無関心なのだなと思う。神谷にとっての投資家像はテーラードジャケットにスラックを着こなし身綺麗なものであったが、大貴は灰色のTシャツに黒いテーパートパンツに身を包み、肩までかかる長髪にはピンとはねた寝癖が目立っていた。渋みがかかっておりダンディー面持ちなのだが、肩には白いふけが付いており髭もしばらく剃っていないのか不潔さが見て取れる。


 「いえ、結構ですよ。我々はお茶をしにあなたの所に来たのではないのですから」


冷たく威圧的に断ってから2人はL型のソファに腰を下ろし、大貴は「そうですか……」と申し訳なさそうな声で言いながら対辺側に座った。


そして熊谷は少し前屈みになり戦闘態勢にはいる。


 「単刀直入にお訊きしますが、あなたは9月3日の22時から24時までの間、何処で何をしていましたか?」


アリバイを訊かれることを予め承知していたのか、大貴は狼狽える様子なく答える。


 「その時間でしたら、1人で近くのバーで一杯ひっかけて家に帰りました。えーと、確か22時45分位に店に行って1時間して帰路に着いたと思います。このマスターとは顔馴染みなので覚えているかもしれません。でも見ての通り、独り身なので家に帰ってきたことを証明してくれる人はいないのですが」


 今3人がいるダイニングキッチンはおよそ10帖ほどの広さで、モノクロインテリアを醸し出しており犯行現場と対照的にモダンな空間が広がっていた。

 しかしさすがは男の1人暮らしだなと同じく独り身で暮らしてる神田は親近感が湧いた。

ソファの前にドンと鎮座してるガラステーブルには灰皿からはみ出した煙草の灰が拡散しており、部屋も隅には埃と一緒に新聞や投資に無縁な神田にも聞き覚えがあるような著名な投資家たちの書籍が乱雑に読み捨てられていた。


 「では、昨朝の6時から8時の間はどうです?」


はて?と質問の糸が掴めないような顔で首を傾げながら、


 「その時間は寝ていますよ。それより何でそんな質問をするのですか?佑平が亡くなったのは一昨日の晩と聞かされていたのですが」


「まあ、それに関しては後ほど」と大貴の質問を軽く受け流し、話が逸れないよう質問を続けた。


 「先ほどのバーはなんという名前なのでしょう?」


大貴は熊谷の煮え切らない態度に訝しげな表情を浮かべながら、


 「ソーサラーです」


「確か『ソーサラー』はフランス語で『魔法使い』の意味でしたよね?」


不意に横から口をはさむ神田に熊谷は「だから何だというのだ」と言いたげに苦々しい顔になる。


 「ええ、よくご存じで」


 「私は学生時代にフランス語を専攻していたので」


と神田は胸を張り得意げな顔して見せた。


「あそこは名前の通り幻妖な雰囲気があって好きなんですよ。それにあそこのバーテンダーは女性でしてね。その人はまた魔女のように妖艶な色気のある方で……」


 「コホン」と熊谷は咳払いをし、ギロリと横目で神田を睨みつける。その目つきには「余計な事を喋って話を脱線させるな」という怒りが内含されていた。


 「では後ほど、あちらからも話を伺うとします。しかし残念でしたな。それではあなたのアリバイを証明してはくれないようです」


熊谷の挑発的な笑みに、大貴は眉間に深い皺を寄せた。


 「なぜでしょうか?今申し上げた通り、23時半ぐらいまでバーで呑んでいたんですよ」


 「順序が逆なのですよ。あなたの話が正しいのならバーに行った後に犯行は時間的に不可能ですが、犯行を済ましてから店に行くことは可能なのではないでしょうか?」


 犯行現場は最寄駅である参宮橋から歩いて5分の場所に位置する。

ここの最寄り駅である下北沢から参宮橋まで小田急線で10分弱、またタクシーを使ったならばーー足がつくので有り得ないとは思うがーー15分もかからないだろう。

したがって、往復で約30分。また犯行に及んだ時間を10分だとしても22時に犯行に及んで『ソーサラー』に45分までに来店することは可能になるという勘定だ。


 「そういう考えもできますね。それで私にアリバイがないから犯人だと?」


 「そう飛躍的な解釈はするつもりははいですよ。しかし、あなたには佑平さんを殺害する動機があるのではないですか?」


そう急所を突かれた大貴は苦虫を噛み潰したような顔になり、


 「佑平の借金についてご存じでしたか……」


 「はい。あなたと佑平さんは金銭問題で衝突していたようですね」


 「だからと言って、家族である弟を殺すわけないじゃないですか!そりゃあ、あいつが金を返さないことに対しては憤りを感じていましたが殺すまでではありません」


大貴は勢いよくソファーから立ち上がり反論する。右手の拳を握りすぎて赤くなり、血管が浮かび上がっていた。それが演技には神田は思えなかった


 熊谷はそんな大貴に臆することなく柔らかい口調で聴取を続行した。


 「さっきも申し上げましたが、別に私はあなたが犯人だとは言っていませんよ。ご心配なく、我々は証拠をかき集め犯人を特定するのが仕事ですので、あなたがどんなに怪しい人物でも証拠がなければ逮捕することはしませんので」


 「どんなに探しても私が犯人だという証拠は見つからないですけど」


と不満そうに鼻を鳴らし、ソファに大仰に座りなおす。


 「気分を害されたなら謝ります。さて、あなたは井上百合香さんのことをご存じですか?」


大貴はまだ腹の虫が収まらないのか、拗ねたような口調で答えた。


「ええ、佑平から聞いたことがあるので知っていますよ。佑平の店の可愛い看板娘ですよね。なんでも天涯孤独だったらしいとか」


 「では、井上さんが佑平さんを恨んでいたという事実はありますかな?」


 「別にあの人を庇護するつもりはないですが、ないんじゃないかな。でももしかしたら、影では恨んでいたかもしれません。ほら、痴情のもつれとかよくあることでしょう」


 井上についてはあまり収穫が得られないと察した熊谷は話を転換させた。


 「このポーズに何か見覚えはないですか?些細な事でも結構ですので」


そう言って発見当時のポーズとはやや異なる互いの五指を絡ませるのではなく、五指の

腹を合わせたポーズをとって見せた。


 というのはここに来る前に鑑識の報告により親指を除く左右の指の第一と第二関節が損傷していることが判明した。それにより捜査会議で、何かしらの事情で現場に戻ってきた犯人が特定されるのを恐れたために死亡推定時刻の6時間から8時間後に故意に無理やり折り曲げたと推測された。

 そのことを踏まえたうえで大貴に昨朝のアリバイを訊いてたのが、いずれにしても被害者が『祈りを掲げてたまま』亡くなったことには変わりないことだった。

 もちろん、このことを事前に井上に再度確認しに行ったが事件が進展することはなかった。


 「それならよく見ますよ。刑事さんたちもよく見るのではないですか?」


思いもしない発言に今度は2人が腰を上げた。


 「それは一体どこで?」


すると大貴は、してやったりという顔で、


 「神社とかでよく見るじゃないですか。後は仏壇の前とかかな」


あまりにも平凡な答えで消沈していた2人を大貴は子供のように悪戯っぽい笑みを顔一面に表現し、余裕の現れなのか足を組んでいる。


 「それは我々も容易に想像はできます。それ以外に誰かを仄めかすような意味など思い当たりませんか?」


熊谷は苛立ちを隠せない口調で訊くが、


 「残念ですが、そんなことはわかりませんね」


とぶっきらぼうな返事しか得られなかった。


大貴の態度は先ほどの報復なのだろうが、神田は憤怒というより精神年齢の低さに呆れ果てていた。


 「そうですか。お葬式の準備等でお忙し中ご協力ありがとうございました」


 感情のこもっていない感謝の意を示した2人は『マンション・ディアコート』を後にし、そのまま9月3日の動向の裏を取るために大貴の言っていた『ソーサラー』に足を運んだ。

 

夜に営業しているバーにしては時間が早すぎるかと思ったが、運よく仕込みの最中で店は準備中と札が下がっていたが、何とかバーメイドから話を訊くことができた。

 大貴の時とは打って変わり、いきなり警察手帳を見せつけられたにバーメイドは動揺を隠しきれないで呆然と立ち尽くしていた。

 店内には陽の光が差し込んでおり幻妖とは言い難いが、カウンターには天然鉱物の標本やアクラメのアクセサリーが整然と並んでおり、それに天井には中世のヨーロッパを彷彿とさせるランプが垂れ下がっている。なるほどこれなら、日没には妖しい雰囲気がこの店を包み込むに違いない。

 それにしても、大貴が『魔女のように妖艶で色っぽい』と形容したのは頷けると神田は思った。

 女性は皺一つないワイシャツに黒いカマ―ベストとネクタイを着こなし、パンツからは長くすらっとした脚のシルエットが浮き彫りになっていた。長い黒髪は少しウエーブがかかっており、また年齢はおそらく30前半なのだろうが、衰えを感じさせないパッチリした瞳に口元には鮮やかな紅色のリップが艶っぽく映って見える。井上も引けは取っていないが、井上が若さを武器にした女性ならば、この人は大人を武器にした魔性かかった女性である。


 「あの、どうして私の所に刑事さんたちが?」


警察手帳を見せても突然な警察の訪問にまだ警戒が解けていない様子だ。


 「私たちは、とある事件を捜査していましてね。あなたに少しお話を伺いに来たのです。そんな緊張なさらないでください。別にあなたを疑っているのはないですから」


 熊谷は柔和な笑顔で少しでも緊張を解すつもりだろうが、強面がカバーしきれていない。逆に恐怖を植え付けているのではないかと神田は笑いを堪えていた。


 「そうなんですか。私に協力できることがありましたら何でもしますわ。私は1人でこの店を経営していますの」


そう言って熊谷に怖気つくことなく、ほくそ笑みを浮かべながら胸ポケットにしまってあった名刺を差し出す。その名刺にはフランス語で『sorcier』とセリフ体のフォントで書かれており、その下に南 愛美という名前と店の電話番号が記されていた。恐らく、南愛美がこの人なのだろう。

 それにしても、こんな野獣みたいな人に対しても感情を露にせず優しく対応するなんて、さすがは接客を生業としているだけはあるなと神田は感心した。


「では早速ですが、この人に見覚えはありますか?」


 熊谷はさっき貰った大貴のビジネス用のプロフィール写真を内ポケットから出して見せた。そこには別人だと思えるほどの身綺麗な大貴が白い歯を見せてうっすらと笑っていた。


「ええ。有田さんでしたらご贔屓にしてもらってますからご存じですよ」


写真を手に取らずとも一目見ただけでわかっただけでなく名前までも知っているとなるとかなりの常連客らしい。


 「この人は事件の容疑者の1人でしてね。今、我々はアリバイの裏取りをしています。一昨日の夜ここを訪れていませんでしたか?」


南は宙を見つめ少し考えてから、


 「ええ。有田さんでしたら一昨日にお越しになったと思います」


 「それは何時頃だったですか?」


 「確か、23時の少し前だったかしら」


時間の経過が短かったのが幸いしたのか、それとも南の記憶力が優れていたのか、細かい時間までよく覚えていた。


 「その時、何か大貴さんに不審な点等ありましたか?」


これは仮に大貴が犯人だとして、犯行を済ました彼が平静を保てず何か挙動不審な行動をとっていないか探るためであろう。


 「いえ、特にそのようなことはありませんでした。普段と変わらずジョニーウォーカーのロックを3杯呑んで帰っていきました」


「そうですか……。では有田さんは何時ぐらいに店を出ましたか?」


南には聞こえないよう熊谷は期待はずれな返答に小さく嘆息を漏らす。

 

 「えーと、23時半ぐらいでしょうか」


これも大貴の供述と一致する。


 「貴重なお時間を頂いてありがとうございます。もしかしたら、また話を伺うかもしれませんがその時もまたご協力お願いします」


こうして熊谷と神田は2人の事情聴取を終えて、熊谷の愛車であるホンダの黒色のシビックに乗り込んだ。

 さて、警視庁に設置された捜査本部に戻ろうかと熊谷がキーを挿し込んだ矢先、助手席にいた神田がふと呟いた。


 「佑平さんは何であんなポーズをして亡くなったでしょうか」


熊谷は深い溜息をついて


 「さあな。今の段階だとわからんな。前にも言ったが俺らはダイイングメッセージを読み取るのが仕事ではないんだぞ。たとえ運よく読み取ったとしても証拠がなければ犯人を検挙することができない」


そのような熊谷の戒めでは神田は食い下がらなかった。


 「でも、気になるじゃないですか。佑平さんが最後に我々に残したメッセージが何なのか。熊谷警部補のいうことは一理あります。しかし、どうしてもこのダイイングメッセージがこの事件の鍵になる気がして」


 車内のむさ苦しい暑さと神田の頑固さに苛立ちが増していた熊谷がチッと大きな舌打ちをした。

 しかし、熊谷自身もあのポーズには気がかりとなっていた。これは刑事の勘と言われてしまえばそれまでなのだが、どうしても無視できない存在となってしまっているのだ。


 「ならば、お前はどう考える?」


 「もしかしたら、井上さんや大貴さん以外に『祈り』を表す第三者がいるかもしれません」


 真剣な眼差しを向ける神田には申し訳ないが失笑してしまう。


 「お前がミステリ作家でなくて良かったよ」


 「それはどういうことですか!」


暑さに耐えきれなくなった熊谷はエンジンをかけて、冷風を最大出力で放出させた。


 「第一なぜ犯人はいったん現場に戻って、遺体の指だけを折り曲げたりしたんだ?『祈り』というメッセージが残ったままではないか」


 「それは、死後硬直が進行して遺体を動かすことが困難だったのではないですか?」


必死に知恵を絞り出した、せめてもの抵抗だろう。


 「そうだろうな。だからと言ってあのまま放置するのは犯人にとって都合が悪いではないか。それにも関わらず犯人は指を折り曲げるだけに留めた」


 「どういうことなんでしょう?」


 「もしかしたら、もっと遺体に細工を施したがったがそうせざるを得ない事態が発生してしまったのかもしれないし、犯人自体に時間がなかったのかもしれない」


神田は腕を組み、うーんと首を傾げながら唸り声をあげている。

 そんな神田を横目で見ながら熊谷はシビックを走らせた。運転中、熊谷も佑平が残したダイイングメッセージのことが頭の中で巡回していた。


 「祈りながら死んだ被害者。それは誰を指すというのだろう。いやもしかしたら…….」


まるで靄にかかったかのような錯覚を覚えた熊谷は頭を横に振りその靄を切りはらう。

 そして自嘲気味な笑みを浮かべ、小さく独り言のように呟いた。


 「俺もミステリ作家には向いていないな」


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