彷徨う少年 ⑦
「まずは情報収集からだな。現状だと情報が少なすぎる。といっても警察から訊き出すのには無理があるから、まずは常連だった君から話を訊こうじゃないか。些細な事でもいいから何かあの店、あるいは有田さんのことで知っていることはあるか?」
「ない」と言ったら嘘になる。僕はただの常連客であっても知り得ない事件の鍵となる情報を持っているのだから。
「影山さんが思っていったよりも奇妙な事件ではないのかもしれません」
そう注釈の言葉をつけて、僕が知っている限りを話した。有田さんの名が佑平であること。『detective‘s cafe』が経営難に陥り、そのため有田さんのお兄さんに借金をしたこと。しかし、お兄さんが投資で損害を被った結果、執拗に返済を迫っていたこと。
また子細なことかもしれないが有田さんの名が佑平さんであること。影山さんはおそらく承知のはずと思っていたが、念のためにあの店の名前が『detective’s cafe』、『探偵の喫茶店』であること。
情報を訊き終えた影山さんは眉間に皺を寄せて、瞑想に耽けていた。そしていくつかの質問を僕にぶつけてきた。
「店内に防犯カメラは設置されていたのか?」
「はい」と断言できたのは僕の特等席の真上と店の入口、つまりは特等席から対角線上にあったからよく覚えていた。別にやましい気持ちがあり事前にリサーチしていたわけではないからご了承願いたい。
「佑平さんの借金はどのぐらい残っていたんだ?」
それはいくら僕でもわからない。
「では、君はさっき『営業中にも関わらず、お兄さんが返済を催促しに来店してきた。それだけでは収まらなく罵倒も浴びせた』と言っていたが、その現場に君はいたのか?」
現実も時間も忘れられるあの静謐な空間にあの穢く下品な怒号が響き渡る。そんな思い出したくもない記憶が脳裏をよぎった。
「はい。僕はほぼ毎日あそこに足を運んでいたので」
「何度、お兄さん、大貴さんは店にきた?」
「僕が覚えている限りだと10回以上は来ていました」
「それは1年前からコンスタントに?」
「いいえ。7月まではそんなことはありませんでした。しかし大貴さんが投資で失敗した7月に入って毎週のように、時には週に2回の頻度で」
影山さんの質疑は続く。
「そのことを知ってるのは、君以外にもいるのか?」
「数人の客はその時の現場にいましたので知っているとは思いますが」
「そうか。もちろん従業員は全員承知のはずだな。君を惚れさせた店員以外であと従業員は何人いるんだ?」
「惚れさせた」ってその言い方で呼ばないでほしい。少しの苛立ちを覚えた。
「その店員は井上百合香という名前です。あの店には佑平さんと井上さんの2人しかいません」
影山さんは独り言のように小さく呟いた。
「となると、容疑者は大貴さん、井上さん、そして突発的に犯行に及んだ第三者か」
「突発的?」その言葉に違和感を覚えた。それになぜ井上さんまでも容疑者の1人なのだろうか。犯人は明確のはず、大貴さんしかいないのではないか。
「なぜ突発的だとわかるんですか?また井上さんも容疑者となっているのですか?」
「質問を一遍にされても困る。君は想像力が少し欠如しているようだな。前者の質問に答える前に、自分が犯人と仮定して考えてみてごらん」
そう言われても全く意図が掴めない。影山さんはまた一本煙草に火をつけて、『想像力が少し欠如』している僕が考えあぐねているのを見ながら、いつもよりもゆっくり時間をかけて嗜んでいた。
「時間オーバーだ」そう言ってニヤリと笑みを浮かべ、
「いいか。もし君が殺害を謀る時、最重要事項はなんだ?」
もちろん、それは如何にして警察の目から逃れられるかどうかだろう。
「そうだ。ではもう一問。その時君はどのような場所を相手の死地に選ぶ?」
「それは、できるだけ人気のない所を・・・」
そこまで言って、腹の底から慚愧に耐えない念を覚えた。ある言葉がふと頭に過ったからだ。
「防犯カメラ・・・」
影山さんは、まるで罠に掛かった獲物を見て享楽に浸っているかのような、ほくそ笑みを浮かべた。
「そうだ。もし第三者が計画的犯行を及ぶならば、わざわざ防犯カメラがあるような場所を選んで犯行には及ばないだろう。カメラを壊せばいいという安直な解答を示すかもしれないが、そんな手間をかける犯人がいるだろうか。あの店は大通りに面しているんだから夜でも人通りが多い。一刻にも早く犯行を済まして逃げ足を踏んだほうが得策に決まっている」
だから突発的な犯行だということか。無計画な突発的犯行だとしたら防犯カメラなんて犯人には眼中にもなく現場をあとにしただろう。
「まあ、カメラがあってもダミーだから頼りにならないが」
「ダミー?」なぜそこまでわかるんだ?必死に貧弱な想像力に鞭を打つが、影山さんがこの結論に至るまでの道筋が見えてこない。そんな僕に一瞥をくれて
「君はこの事件の核を見落としているようだな。大体、防犯カメラがあるのならなぜ佑平さんはダイイングメッセージなんかを残した?ダイイングメッセージは本来、犯人を生者に伝えるためのツールなんだ。防犯カメラがあるのならそれは無意味なものとなる。それにも関わらずダイイングメッセージを残したのはあの店にカメラが正しく作動しないことを暗示してるんだ」
ダイイングメッセージと防犯カメラ、犯人を映しだす2つのツールがどちらかの効力を相殺していたということか。
「第1問目は終了したな。続いて第2問目を取りかかろうか」
そうだ。井上さんが佑平さんを殺害するなんてそんなことは天地がひっくり返ってもあり得ないのだから。
「これは至ってシンプルだ。君の話が正しいのなら、確かに大貴さんは犯人に最も近い人物かも知れないが、井上さんも兄弟の不和を奇禍したとも言えなくはない。それにあの店には2人しかいないんだろ?ならば佑平さんが殺害される直前まで一緒にいたと考えられる。第一発見者だって近所からの通報があったという可能性はゼロではないが、出勤してきた井上さんだった可能性のほうが高い。第一発見者を疑うのは捜査の基本だ」
「でも井上さんには佑平さんを殺害する動機はないんです。大貴さんが『犯人に最も近い人物なら、井上さんは『犯人に最も遠い人物』です』
もちろんこれは、僕が井上さんに特別な想いを抱いてるといった私情から漏れたいい加減なセリフではない。裏付ける事情がそこにはあった。
僕は影山さんに井上さんの悲愴な境遇を包み隠さず語った。勝手に人の秘密を話すのは心疾しい思いだったが、井上さんを守るであるのならやむを得ない。「ごめんなさい」と心の中で謝罪をする。
しかしこれで容疑は晴れたと思っていたが、影山さんの返事は予想からほど遠い冷徹で残酷なものだった。
「君には申し訳ないが、だからといっても容疑者から外すことはできない。事故のように動機の有無に関係なく人が人を殺めることはあるんだ。それに君の知らずの間に井上さんが殺意を抱いていたとも否定できないわけでもない。人の真意は他人が見て理解できる簡単な構造ではない。むしろそれは奥底に存在し無限に広がる迷宮のようなもので誰にも触れることはできないし、俯瞰することもできないんだ。時に自分でも出口を見失い彷徨ってしまう」
「さて、2問目も解き終えたな」そう達成感を顔一面に表して、
「今度はこちらから質問をしようか。なぜ君はそれ程までの情報を知っているんだ?常連客だったとしても限度を超えていると思うんだが」
やはり話過ぎていたか。これ以上、この人に隠し事は通用しないと思い正直にあらましを白状した。
そう、あれは1月前のことだ。夕闇がまだ本領を発揮していない夏の暑さを吸い込もうとしている時刻。僕はいつも通りに店に赴こうと大通りを歩いている時、不意に肩をたたかれたのが始まりであった。
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「やっぱり君だ!いつもお店に来てくれるよね」
「え、えっと・・・」
急に肩をたたかれ、愛しの店員が僕に話かけたとう二重の驚きで言葉を失った。
「あー私のこと覚えていないか。『detective’s café』で働いているんだけど」
「知っています!あそこ僕は大好きですよ」
覚えていないことは断じてない。ただ言葉がでなかっただけだ。
「そう、ありがとう」
その店員は外気のむさ苦しさに屈しないような明るい無邪気な笑顔を見せた。
「それにしても何でこんな所に?今日はお店休みなんですか?」
「違う。あの人使いの悪いマスターにこき使われてお買い物中―」
不満そうに頬を膨らませて、近所のスーパーの袋を顔の横で掲げて見せた。その中にはトイレットペーパーやティッシュが窺える。それにしても不満げな顔もなかなか愛しいじゃいかと思ってみたりする。
「それは大変ですね。持ちますよ」
この人の額には汗が滲み出ていた。これは男である僕の使命だろう。決して紳士的な態度でこの人の好感度を上げようと企んでいたのではない。
「それはさすがに悪いわ」
「いいですって」
半ば無理やり袋を取り上げると
「そうだ。この近くに『クイーン』っていうカフェがあるでしょ。そこで少し休憩しない?」
なんということか。いくら何でもこれは贅沢ではないか。
「でもお店のほうは大丈夫なんですか?」
大吉は凶に還るという諺があるように、これは何かの災いの兆候なのでは?まだ自制心が残っているうちに、ありがたいお誘いを辞退することを仄めかしたが
「大丈夫よ。あの店お客さんなんて少ないし、それにこんな暑い日に買い物させるのが悪いわ」
小悪魔的なウインクで僕の自制心を奪っていった。ああもう、どんな災難でも降り注ぐといい。
そうして「クイーン」に移動し、僕たちはつかぬ間の談笑を楽しんだ。
「そういえば、まだ名前を言っていなかったわよね。私は井上百合香。あなたは?」
「土井るひとです。流れる人って書いて流人」
「そう。何歳なの?」
「19歳です。井上さんは?」
「あら、女性に年齢を訊くなんて野暮よ」
しまった。失言だったか。しかし井上さんはさほど気を悪くした様子は見せず
「冗談よ。私は21。だからあなたより2つ年上ね」
年上か。なおさら良いではないか。
「君、いつも同じ席で本を読んでいるよね。やっぱりうちの店に来るぐらいだからミステリが好きなの?」
これは絶好のチャンスだ。井上さんも『detective’s cafe』で働いているのだからミステリが好きかもしれない。そうすれば共通の趣味で話が盛り上がるかもしれない。
「はい。もちろん好きです。むしろミステリしか読まないんですけど。井上さんも何かミステリを読むんですか?」
しかし、僕の予想とは裏腹に井上さんはかぶりを振って、
「いいえ。私はそういうのは読まないわ」
「意外ですね。僕はてっきりミステリが好きであの店で働いているのかと。なんであの店で働こうとしたんですか?」
すると井上さんは物寂し気な淡い笑みを浮かべて、「まあ色々あってね」とはぐらかされてしまった。もしかしたら、また失言してしまったのかもしれない。
できるだけ明るい話題を振ろうと思った矢先、井上さんのスマホが店内に鳴り響いて、「マスターからだ。ちょっとごめんね」と渋い顔をして席を立ってしまった。おそらく、マスターが帰りの遅い井上さんを呼び戻す電話なのだろう。
しばらくして戻ってきた井上さんは、また不満げな顔をぶらさげて、
「早く戻ってこいだってさ。もう行かなきゃ。今日は付き合ってくれてありがとう。またゆっくりとお話ししましょう。よかったらLINE交換しない?」
夢のようだ。いや夢なのかもしれない。話ができただけではなく連絡先まで交換できるなんて。もう明日死んでもいい。
「あっ、嫌だった?」
「そんなことありません。ぜひまたお話ししましょう」
慌ててスマホを取り出す姿に、もう紳士という言葉は一欠けらも残っていなかった。
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「それからです。僕と井上さんが店員と客の以外の関係で会っていたのは」
影山さんは黙って僕の思い出話に耳を傾けていた。
「もちろん。異性の関係になったことはありません。ただの友達としての関係でした。そして親睦が深まっていくと同時に話題もディープな内容になっていきました」
「そうして君はあのような事情を知っていたんだな?」
「はい」
「君は恋心以外にも強い想いがあった。だからこんなにも弁護しようとしていたんだな」
「あの人と僕の境遇があまりにも似ていたので、恋というよりもあの人に心酔していたと言ってもいいかもしれません」
「そうか。包み隠さず話してくれて感謝するよ。これでおおよそのことはわかった」
「次は何を捜査するんですか?」
影山さんはしばらく考えた後に、
「井上さんに話を訊くつもりだ。だが、これから待ち受ける現実は君にとって残酷なものかもしれない。君はどうしたい?」
僕を気遣っての言葉だろうが、当然この捜査から外れるつもりは毛頭ない。そんな生半可な決意で足を踏み込んだのではないのだから。
「もちろん、僕も一緒に行きます。一度乗った船です。ここで降りられるわけないじゃないですか!それに僕がいなかったら影山さんは捜査が困難になるはずです」
影山さんの眼は狩人の眼に戻っていた。
「その通りだ。舵取り役の君がいなければ俺は『魔物』を狩れないかもしれない。では改めて『魔物狩り』に行こうか」
舵取り役として僕がこの事件の『真相』に影山さんを導いてやる。これは亡くなった有田さんのためでも、影山さんのためだけではない。辿り着いた『真実』が何であるのか、それを見届けたいと思う自分のためでもあるのだから。