彷徨う少年 ③
影山さんと出会った日の翌日。僕たちはまた「detective’s café」にいた。昨日と同じ席、同じコーヒーをすすりながら。
奇妙なのは僕が作家で影山さんが読者であることだ。といっても自分が作家を名乗れるなんてそんな自尊心は持ち合わせていない。
「うん。なかなかいいじゃないか」
その一言で全身の緊張が一気にほどけた。
「ありがとうございます」
僕は初めての読者に深々と感謝の意を示した。
「言葉の言い回しや表現の仕方に多少不備はあるがそこは経験を積めばなんとかなる。君は今19歳だっけ?」
「はい」
「そうか。まだまだ成長の余地がある。もし君が許すのならまた次回作を読ませてくれないか?」
願ってもない言葉だった。
「もちろんです」
一番聞きたいことが残っている。
「犯人はわかりましたか?」
「あぁ。伏線をかき集め、ロジックにしたがって組み立てれば自ずと導くことができた」
まあ、僕の拙いトリックが影山さんを欺けるわけがないか。落胆するまでもなくわかっていたことだ。そう思っていると、影山さんは不敵な笑みを浮かべ人差し指で宙を指した。
「もう一つわかったことがある」
ぎょっとした。
「君はこのカフェの店員に惚れているな」
なぜわかった。
「読まれているとき心中穏やかではなかったのだろう。君の目線は俺のほうではなく、後ろのほうにいるあの可憐な店員に釘付けになっていたよ」
もう完敗だ。恐らく名探偵には何もかもお見通しなのだろう。
しかしこの時はまだ名探偵も知る由がなかった。
今宵、三日月の下で無残で悲壮な殺人事件が繰り広げられることを。そしてそれが僕たちの運命までも狂わせてしまうことも。
――9月4日 9時25分――
「detective’scafe」はあの平穏な空気から一変し緊迫した重々しい空気に満ちていた。
店内は警官や刑事また鑑識達が事件究明のために粉骨砕身し、外の大通りには警察車両が列をなし近所の野次馬たちでごった返していた。
「被害者は有田佑平。42歳。ここのマスターをしていました。死亡推定時刻は昨夜の22時から24時の間だと思われます。死因はテーブルに頭を強く殴打したことによる急性くも膜下出血で間違いはないようです。第一発見者はこの店で働いている井上百合香。彼女は今日の8時45分に出勤したところ横向けで頭から血を流しているマスターを発見しすぐに110番と119番通報をしたようです」
情報漏れがないよう慎重にメモ帳を見ながら神田刑事は報告する。
神田は今年、念願の警視庁捜査一課に配属されたばかりの新米刑事である。細身なのだがその内にはおそらく警視庁きっての事件に対して野心的で熱い思いがある男だ。
「まあそうだろうな。20年も刑事をしているのだからそれぐらいはわかる。」
そう言って神田の報告を受けたのは熊谷警部補。熊谷は神田と違い大柄な体つきをしており、半袖のワイシャツからは長年の柔道で鍛え上げられた熊のような腕がうかがえる。またスキンヘッドで獰猛な顔つきのせいか刑事というよりヤクザを彷彿させる。
「しかし、長年刑事をやってきたがこんなのは初めてだな。ホシが許しを乞うならまだわかる。が何で仏さんがこんなポーズをしているんだ?」
そう言って被害者の周りに囲まれた不可解なチョーク・アウトラインを見ながらうねりをあげた。
「神田お前ミステリー小説すきだったろ?これはあれかダイイングメッセージというやつか?」
「おそらくそうでしょう。被害者が亡くなる直前に最後の力を振り絞って犯人を指しのかもしれません。しかし僕にとってこれが誰を指すのか皆目見当もつきませんが」
2人が頭を抱えるのも頷ける。有田は横向けで膝を折り曲げながら顔前で両手の五指を組み亡くなっていたのだ。まるで誰かに祈りを掲げるかのように。