表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
影山英一の事件簿  作者: タツヒロ
10/15

彷徨う少年 ⑩ 〜解決篇〜

 

 ――9月6日――


 「以上が私が導き出された事件の真相です」


俺の目の前にいる犯人は終始、頭を下げており、うまく表情が読み取ることができない。


 「あなたに出会った日から不思議なことに、こんな結末になると思って言いましたよ。いやもしかしたら、こうなることを私が望んでいたのかもしれませんね。」


犯人は寂しそうな声で、そう言って犯行を認めた。


 「でも、あなたの推理の『一部』は物理的証拠はありませんよね?」


そうなのだ。俺の推理は、証拠が不十分だ。つまり、憶測の域を出ていなかった。無関係な自分がその証拠を手に入れるには不可能であろう。 

だが、それは自分が自らの意志で捜査に終止符を打ち、事件の真相から目を逸らすことの言い訳だった。俺には、覚悟が足りなかった。こんなにも、事件の真相というものが、冷徹無残で狂っているものだとは思わなかったのだ。

 

 「ええ」


すると犯人はようやく顔を上げて、ゆっくり目を細めた。


 「もう私は何も言いません。警察も私が自首をしたら、これ以上捜査はしないでしょう。これで事件の真相は、闇の中です」


 そう言われても犯人に対する苛立ちや憎しみよりも、憐情が湧きあがるのはなぜだろうか。


 「そんなに私を恨まないでくださいね。探偵さん……」


 不思議だ。夏の暑さならすぐにでもこんな微量の水滴は乾くはずなのに、この人の瞳で輝いている雫は乾く気配が全くない。むしろ、その雫は徐々に大きくなっていくばかりだ。


 「本物の探偵は、無情にも事件の全ての真相を暴くでしょう。しかし、私は真相どころか、不必要な感情を持ってしまった。偽りの探偵です……」


 「それが、あなたは誰かに造られた人間ではなく、心に温かさを持った人間の証なのではないでしょうか」


 ついに雫が熱いアスファルトに叩きつけられ、小さな染みをつくった。


 「お願いがあります。あの子は独りぼっちになってしまいました。ようやく見つけた『居場所』を失ってしまったのです。私のような他人が、言うことは可笑しなことかもしれませんが、どうかあの子の『居場所』になってくれませんか?あの子の傍にいてくれるだけでいいのです……」


 「それをあの子が許してくれるならばね」


 「そう言ってくれると思っていました。本当に優しいお方なのですね。まるで佑平さんみたい……」


そう言って、井上さんは太陽の光を手でかざしながら恍惚の微笑みを残して、蜃気楼に溶け込んでいた。


 その後ろ姿は、もう翳ることはないだろう輝きと不撓の強さが深く刻まれていた。



 ――9月6日 21時――


 「やはり来たか」


 僕は夜にも関わらず、日課となってしまった『detectives’café』に来ていた。意外だったのはそこに影山さんの姿があったことだ。おそらく、ここに僕が来ることを予想して、ずっと待ち伏せをしていたのだろう。


 「影山さん……」


 「少しだけ歩かないか?ここだと人が多すぎる」


 目的地知らされないまま、僕らはずっと無言で少し距離を置いて歩いた。


 「君は確かこの場所が好きだっただろ?」


 連れていかれたのは、井上さんも好きと言っていた代々木公園だった。といっても日中の雰囲気と違い、夜の公園は魑魅魍魎としており気味が悪い。


 「何でこんな所に?」


 「ここの方が話やすいと思ったからさ」


僕たちは公園の中央にあるベンチに腰を下ろし、影山さんは誰もいないことを良い事に煙草に火をつけた。白煙が暗い夜空に悠々と漂っている。


 「ようやく、有田さんのダイイングメッセージの意味がわかったよ。犯人は井上さんだったんだな」


 「違う!」


聞きたくもない名前が影山さんの口から出て、咄嗟に否定する。精黙とした公園に僕の声が響き渡る。


 「違うはずはない。少し前、ここで井上さんに俺の推理を話したよ。そうしたら、井上さんは認めて自首をするために警察に行ったよ」


 あり得ない。井上さんが犯人だって?犯人はあの金に溺れた大貴さんだ。


 「あなたは僕を騙そうとしている!そんなくだらない嘘をつくなら僕は帰ります」


 ここにいては危ないと感じた僕は、今すぐこの人から離れたい衝動に駆られ、腰を上げたが、影山さんに俊敏に腕を引っ張られた。

 

 「嘘ではないさ。法螺話を吹くためにこんな所は来ないよ。君は聞くだけでいい。この事件の真相を」


 また影山さんは白煙を吐いた。腹の奥から襲来した虚脱感が僕をベンチに座らせる。


 「まずは、あのダイイングメッセージの謎から話そうか。あれはミステリに知悉している者だったら、誰もが思いついただろう。有田さんが遺したメッセージの意味はあの店のことだったんだ。シャーロックホームズハンド。つまり、かの有名なホームズがよく考える時にするポーズに酷似している」


 「それが井上さんとなんの関係があるのですか」


 「あの店の名前は『detectives’café』、「名探偵のカフェ」。ホームズは名探偵の代名詞ではないか」


 「だから、それと何の関係が!」


 答えを出し惜しみする影山さんの素振りに、焦燥感に駆られた僕は怒気を強くして言う。


 「佑平さんにとって井上さんを指すためにはあの店で充分だったんだ。あの店には2人しかいないのだから……」


 やめてくれ。このままだと僕たちの『真相』から遠のいていくだけではないか。


 「違う。あの人は犯人じゃない。大貴さんが犯人なんだ。だって井上さんには動機がないじゃないか。佑平さんは、井上さんの命の恩人で、それだけじゃなくて『居場所』も与えてくれた人だって……」


 自分の意思とは関係なく、ベンチから立ち上がり影山さんを見下ろしていた。驚いたことに、月明りに照らされていた影山の顔はひどく苦く哀しそうであった。


 「大貴さんは犯人ではないよ。そもそも、200万の額で人を殺めようとするだろうか。あれは事故だったんだと井上さんが、事の顛末を話してくれたよ。あの夜、井上さんは佑平さんに、あの店をもう閉めくれと願い出たんだ。自分のことは大丈夫だからと。それで口論となり揉みあっているうちに佑平さんを突き飛ばしてしまった」


 脳裏に影山さんが前に言っていたことが呼び起こされた。


 『人間は大切なものが失うと後先考えずに取り戻そうとする生き物ですよ。たとえそれが、周りから非難の声を浴びせられたり、自分自身までも汚れて傷ついたとしてもね』


 井上さんにとって大切なものは、お店だけではなかったのかもしれない。佑平さんとの時間だったとしたら。佑平さんが大切な人だったとしたら……。あの人は優しい人だから自分が、窮地に立ったとしても佑平さんを守るためだったら、店を閉めてくれと言うに違いない。

 

 「井上さんは、ずっと佑平さんを苦しめているのは自分だと罪悪感を抱いていたそうだ」


 何やら不穏で生暖かい風が公園に舞い降りて、眠っていた樹木がカサカサと音を立てて、目を覚ました。


 「違う、違う、違う……。あの人は……犯人じゃないんだ。あなたの推理は間違えている」


 「いつまで自分の創った虚構の『真相』に惑わされているんだ。俺がここまで言わなくても、君はすでに事件の真相を知っていたんじゃないか?」


 ああ、ここまでなのか。影山さんの眼は狩人の眼となり、僕をずっと睨みつけていた。


 「どうした?少年。深淵に追い込まれた犯人の顔をしているな」


 「もうそこまで見抜いていたのですね。そうです。僕は……」


 「これ以上、喋るな!最初に言ったが、君は聞くだけでいいんだ。これから話すことは証拠がない、俺の妄想だと聞いてくれ」


 影山さんは叱責するような声で、僕の自白を制止した。思いもしない出来事に、僕は黙って影山さんの妄想に耳を傾けることにした。


 「君は、井上さんはミステリを読まないと言っていたな。それに井上さんの部屋にもミステリに関する小説や漫画の類は置かれていなかった。それならば、なぜ佑平さんのダイイングメッセージをシャーロックホームズハンドだと理解し、自分を指すのだとわかったのだろうか?井上さんにとって、あのポーズは意味不明だっただろう。また、佑平さんは、自分の第一発見者は井上さんだと容易に想像することはできた。ならば、井上さんがシャーロックホームズハンドに無知だと知っている上であのポーズを取ったんだ。そうしなければ、警察に発見される前に、井上さんに気付かれてしまうからな。

 しかし、佑平さんの指は動かされていた。なぜか?答えはすぐにわかったよ。

 井上さんとは別に、ダイイングメッセージを造り変えたもう1人の人物がいたんだ。その犯人はミステリに精通し、井上さんを庇いたいという強い動機を持つ人物……」


 そこまで言って、影山さんは人差し指で僕に指した。


 「……君だったんだ。大貴さんは井上さんを守る義理はないだろう。君だけが唯一、この二つの条件を兼ね備えているんだ。君は、何らかの理由で井上さんが出勤する前に、あの店に訪れて佑平さんの遺体を発見した。君ならすぐにあのポーズが井上さんを意味するのだと理解して偽造したんだ。指しか動かしていないのは、すでに死後硬直が始まっていたのか、あるいは、予期せぬ何らかの事態が発生したのか定かではないがね」


 何が間違いだったんだ。僕が、影山さんを探偵として侮り、影山さんを利用して、うまく大貴さんを犯人にしようと謀ったのがいけなったのだろうか。

 あるいは、あの日の朝、忘れ物をしてしまったことに気が付いた僕が、偶然にも店を立ち寄ったことが間違いだったのだろうか。

 あの時、井上さんに自分の姿を見られたのが最大な過ちだったのかもしれない。

 それとも、そもそも僕と井上さんの邂逅が運命を狂わせる引き金だったのか……。


 「といっても、井上さんが何らかの手段でシャーロックホームズハンドを知っていたとも考えられる。無知を証明することは不可能だ。それにこのまま、警察の捜査が続いたら、近くの防犯カメラや大通りを行き交う車両のドライブレコーダーに君の姿が映っているかもしれないが、井上さんが自首をした以上、警察の捜査は終了し、君に疑いの目をかけられることはないよ。この妄想が現実だとしたら、君は井上さんに救われたんだ」


 何で、僕なんかを救おうとしたんだ。何で、井上さんが罪を被らなければならないんだ。

 どうすることも出来なくなって無我夢中で僕は、影山さんの胸ぐらを掴み顔を埋めて、自分の中に棲息している正体不明の『魔物』を全て影山さんに吐き出した。


 「悪いのは、ずっと孤独にさせた井上さんの親と、新しい『居場所』を奪おうとした大貴さんだ。汚く卑劣な大人どもが全部悪いんだ!あの人は何も悪くない!裁きを受けるのはそいつらなんだ!もうあの人を独りにさせないでくれ……。」


 憤懣や哀傷などとは異なる自分でもわからない感情が慟哭となり、放出した。この感情は一体何だろうか?

 再び、記憶が呼び起こされる。


 『人の真意は他人が見て理解できる簡単な構造ではない。むしろそれは奥底に存在し無限に広がる迷宮のようなもので誰にも触れることはできないし、俯瞰することもできないんだ。時に自分でも出口を見失い彷徨ってしまう』


 

 そうか。これが迷宮に彷徨うということなのか。僕は、このまま彷徨い続けてしまうのか……。


 「まだ、わからないのか?井上さんはもう独りではないじゃないか?」


影山さんは、そっと僕の肩を突き放し優しい微笑みで、泣きじゃくっている僕を見た。


 「同じ哀しみや苦悩を持つ君が、強く生きていることが井上さんにとって、暗闇を照らしてくれる光となるんだ。君のその生き方が、井上さんにとって誇りとなり一歩を踏み出す勇気となるんだ」


 「僕は……僕は、どうすればいいのでしょうか?」


 「君が井上さんの『居場所』をもう一度、つくってあげればいい。井上さんが帰ってきた時に、もう迷わないように」


 「僕は独りで立っているほど強い人間じゃない……」


今にも足がすくんで崩れそうな僕は、思わずそんな弱音を吐いてしまった。


 「井上さんが俺に言っていたよ。あの子の『居場所』となってくれ、傍にいてほしいと。それを俺が決める権限はない。君が決めるんだ」


 影山さんにどのように見えていたかはわからないが、無理やりに、僕は口角を上げて、顔の皺をくしゃくしゃにして笑おうとした。


 「もし、僕が小説家になっていたら、井上さんは喜んでくれるでしょうか?」


 「ああ。もちろんだ」


 涙で目の前が霞んでぼんやりとしか見えない。でも確かなのは、そこには影山さんがいることだった。

 

 これが僕たちの初めの事件であった。そして、これから僕たちは難解不思議な事件に巻き込まれてしまうのだが、それはまた今度だ。

 僕は、ミステリ作家である影山英一の弟子として、また影山探偵の助手として数多の事件を備忘録として記していくとしよう。

 それが、僕の贖罪であるのだから。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ