72 縁談
朱家では久しぶりに家族4人揃い、夕げの席では会話が盛り上がっていた。星羅が軍師見習いから助手に昇格する間に、兄の京樹はすでに教官になっていた。養父の彰浩もその腕を見込まれ、成形の主任となっている。夫と子供たちの話を、京湖は嬉しそうに聞いている。
「華夏国は女人の進出が目覚ましいのね」
「かあさま、西国の女人は違うの?」
「家事しかしないものなの。外に出ることは許されないわね」
「かあさまも外で仕事をしたい?」
「ううん。私は家事が好きよ。若いころは家事すらしたことがなかったのだから」
ふふっと笑って京湖は立ち上がり、星羅を後ろから抱きしめる。彼女はスキンシップが好きで、感情が高ぶると側にいるものを抱きしめるのだ。
「ありがとう。星羅。私のことを気遣ってくれてるのね。私はこうやって家を整えて食事を作って、あなたたちの話を聞くことが大好きだわ」
「かあさま……」
「こんなに幸せな日が来るなんて思いもしなかった」
目を細め微笑んでいる京湖を、見つめながら彰浩も笑んでいる。
「だから何も気にしないで。星羅は星羅の好きなことを頑張ってくれたら私はとても嬉しい」
「そう。それならわたしも嬉しいわ」
「ふふっ。じゃ、お茶でも淹れるわね」
茶を淹れに席を立ち、京湖は台所へと向かった。星羅が食器を片付けていると、扉を叩く音が聞こえた。彰浩が立ち上がり「誰だろうか」と様子を見に行った。
京樹も「客なんて珍しいね」と扉のほうを見つめる。朱家に客が訪れることがほぼないので、ちょっとしたイベントのようだ。
彰浩がすぐに客を連れて戻ってきた。星羅はその客をみて「あらっ」と声をあげた。図書館長の張秘書監だった。
「やあ、こんな時間に失礼。皆さんがお揃いのところでと思ってたのでな」
「こちらへどうぞ」
彰浩は客間に通し、椅子を差し出す。
「これはどうも。わしは座卓よりも椅子のほうが膝が楽でいい」
ふっくらした腹をゆすって腰掛けると木製の椅子がぎしっとなった。朱家では床に座る習慣がないため、椅子生活だ。
「しかもなかなか座り心地がよい。どちらで手に入れたのですかな?」
「これは私が作りました」
「ほう! さすが官窯で一二を争う腕前ですなあ!」
机も椅子も器用な彰浩の手作りだった。机や椅子も、彼の作る陶器と同じく飾り気のないシンプルで飽きのこないものだ。
京湖がシナモン入りの紅茶を張秘書監に差し出すと彼は、また嬉しそうに「いい香りですなあ」と腹をゆすった。
「で、どのようなご用件で」
「医局長の陸慶明殿をご存じだと思いますが」
「ええ、もちろん」
「こちらを預かってまいりました」
机の上に風呂敷包みを広げて中から書状をとりだす。竹簡ではなく、上等な紙の巻物だ。手渡された彰浩は中に目を通し「星羅、こちらへ」と後ろのほうで様子を見ていた星羅を呼ぶ。
「読んでご覧」
「はい」
それほど長い文章ではないが、星羅を十分に驚かせる内容だった。
「あなた?」
京湖が心配そうに声を掛ける。京樹も黙って様子を見守っている。
「星羅に縁談の話だ」
「縁談? 陸殿から?」
いきなりの話に慌てる京湖に張秘書監が「いやいや、息子の明樹殿ですよ」と説明した。陸慶明が張秘書監を仲人に立て、息子の明樹との縁談を持ってきたのだった。
「いい話だと思うが、星羅の意思を尊重したいので」
「ええ、ええ。先方もそう言ってました。で、こちらは星羅殿に」
星のような桔梗のような形の花がちりばめられた金細工のかんざしだった。店先では見られないような繊細な造りはおそらく特注品であろうと思われる。
「綺麗ねえ。とても星羅に似合うと思うわ」
「ええ、綺麗」
紺色の布地の上で輝くかんざしはまるで天の川のようだ。しかし朱家の4人は突然の申し出にどう反応したらいいのかわからず、陸慶明からの書状とかんざしを交互に見るだけだった。
「では、これで。数日したらまた参りますので、その時にできたらお返事を下され」
シナモン紅茶をうまそうに飲み干して張秘書監は立ち上がる。彰浩は彼を見送るため外に出ていった。固まっている星羅の肩に京湖はそっと手を置く。
「星羅。気に入らない縁談なら断っていいのよ? 陸家にはお世話になっているけど、気にしなくていいのよ」
「かあさま……」
京湖の顔を見た後、星羅は京樹のほうへ目をやる。
「京にいはどう思う?」
「どうって……。星羅の好きにすればいい」
そういった後、珍しく不機嫌そうに京樹は部屋に戻っていった。京樹の後姿を不思議そうに見ていた京湖はとりあえず今日はもう休むようにと星羅に告げる。
星羅は言われるまま、部屋に行き寝台に横たわった。
「明兄さまと結婚……」
まえに冗談で明樹が星羅を娶ってやると言っていたが本気だったのだろうか。結婚することに関しては肯定も否定もない。同級生だった女学生たちはもうほとんど結婚しているようだ。
明樹のことを慕ってはいる。彼は明るく気さくで武芸にも秀でていて勉強も熱心だ。星羅が学生であったころ、彼にあこがれる女生徒は多くいて、星羅も素敵な男性だと思っていた。
絹枝老師に会うために陸家によく訪れるようになると、明樹が気さくに声を掛けてくれ、いつの間にか軍師試験などの協力者になってくれていた。
人柄も家柄も申し分ない縁談なので断る理由を探すほうが難しい。
「馬には乗ってみよ人には添うて見よ、かなあ」
恋心は曹隆明によってはかなく消え去った星羅にとって、自分の気持ちを考えることはなかった。明日、郭蒼樹にも相談してみようと目を閉じた。眠りにつく瞬間に思い描くのは曹隆明だった。




