71 公主たち
側室の中で最も可憐だと評価の高い申陽菜の住いは、多種多様の花が植えられており、年中、常春のように感じられる。王太子の曹隆明以外の男で、王族の夫人たちの住まいを出入りできるものは、医局長の陸慶明のみだった。
ほっそりとした白い手首を差し出し、申陽菜は目を細めしなを作り「どうかしら?」と甘い声で慶明に尋ねる。
「残念ながら懐妊の兆候はありません。しかし、とても健やかであられます」
「ふーん」
つまらなさそうな表情で、すっと腕を下げ着物の袖を降ろした。ほっそりした白い手足を見せびらかすように、できるだけ柔らかく薄く透ける着物を何枚も重ねている。それぞれの着物には違う香料を焚き込め、複雑で怪しく淫靡な雰囲気を演出している。
「何か気になることはありますか?」
慶明は軽く問診し、申陽菜の顔色を眺める。特に何も悪いところはないだろうと診断し、いつもの彼女のために処方した肌を滑らかに保つ薬を侍女に渡す。
「ねえ、陸どの。杏華公主のお加減はいかが?
「それは、その……」
王太子妃、桃華が生んだ第一公主の杏華は生まれつき身体が弱く、成人しても丈夫にならなかった。当時の医局長の見立てでは成人に達することができないと、秘かに慶明にだけ告げられていた。今、病みがちではあるが、なんとか生き長らえているのは、慶明の滋養強壮剤によるものだ。それでも、常に油断できない虚弱体質だった。流行り病などにかかってしまえば、打つ勝つことはできぬだろう。
「相変わらずってことね」
「は、はあ」
もしも杏華公主になにかあれば、申陽菜の産んだ晴菜公主が第一後継者になるのだ。そうなれば王太子妃になることは桃華がいるので叶わなくとも、王太子妃と同等になるだろう。
慶明には、申陽菜が何を願っているかもちろん分かっている。彼女は贅沢趣味なので立場が上がれば、生活水準を上げさせようとするに違いない。善政を敷いてきた曹王朝が、妃一人の贅沢で倒れることはないが、王朝の存続のために妃の散財は常々懸念されていることだ。
杏華公主が亡くなると、年功序列で決まる次期後継者は星羅になる。そのことを慶明は誰にも言うつもりはない。王太子の曹隆明も公言することはないだろう。ただ隆明が王になった時、胡晶鈴が王妃、星羅が王太子になればこの王朝の心配はないだろうと夢を見る。きっと隆明も同じ気持ちだろう。
「ああ、そうそう。今度軍師助手に上がってきた朱星羅というものを知ってるかしら?」
「え?」
いきなり星羅の名前が挙がり、慶明は思わず申陽菜を凝視してしまう。華奢で可憐な容貌の申陽菜から出る言葉は、鋭く冷たい。
「そのものが何か?」
「どうも見習いの時から、隆明様が気に入ってるらしいのよね。男だとばかり思っていたら女子じゃないの」
「はあ」
「ちょろちょろ目障りなのよね。代々軍師の郭家の息子と一緒に呼び出しているけど、なんだか見過ごせないわ」
隆明は娘である星羅と一緒に過ごしたいのであろう。二人きりにならないように注意しながらよく会っているようだ。
「あたくしよりもあの娘と会っている時間のほうが長い気がするわ」
申陽菜が星羅を煙たがっていることが分かった。これ以上機嫌を損ねると、申陽菜は星羅をもっと調べ上げようとするかもしれない。そうなると隆明も、自分も守ってきたものが崩れてしまう。
咳払いをして慶明は静かに告げる。
「その娘ですがもうじき婚礼を上げるそうですよ」
「あら、そうなの? ふーん。人妻になるのねえ」
とっさの嘘で慶明は、申陽菜の敵意を星羅からそらす。嘘とはいっても、妻の絹枝から相談を受けていた話だった。息子の明樹と星羅を結婚させたいと絹枝は希望していた。
「ええ、殿下がそのようなものと、いや、そうでなくても間違いを犯すはずはございません」
「まあいいわ。そうそう、最近顔にしみができてきたのよ。これもどうにかしてちょうだい!」
「次回までに何か用意しておきます」
「下がっていいわ」
「はい」
毎回、美容に関することで注文を付けられて帰る。隆明の妃の中で一番、身なりと美容に気を配っている申陽菜だが、その努力は残念ながらあまり効果的ではなかった。
慶明は医局に帰る前に、兵士の訓練所に向かう。静かな医局と違い、門の外からでも男たちの掛け声や怒声が遠くからでも聞こえてくる。門番の大男に、息子に会いに来たと告げ、身分証を見せるとすぐに通された。慶明は医局長ともあって、移動には輿を使っている。数名の男に運ばせている様子を見れば、彼の身分はすぐにでもわかるので、身分証を見せることは単に形だけだった。
息子の陸明樹は順調に上等兵になっており、部下の訓練に勤しんでいる。訓練中なので胸当てくらいしか身に着けていないが、槍を振り回し、藁人形を突く姿は英雄の風格があった。久しぶりに見る息子の姿に感心して、しばらく訓練を黙って観ていた。そのうち兵士の一人が慶明に気づいたようで、明樹に話しかけた。慶明と明樹はよく似ているので、兵士たちにはすぐに慶明が父親だとわかったようだ。槍を部下に預けて明樹は走ってきた。
「父上。どうしたのですか? わざわざこんなところまで」
「いや、特に急ぎではないが、最近話していない思ってな。顔を見に来ただけだ」
「へえ。珍しいですね」
「まだまだ訓練中か」
「もう終えられますよ」
「そうか」
「一体何の話ですか?」
「うむ……」
「今日はまっすぐ帰りますよ」
「わかった。では、あとで」
慶明は活気のある訓練所を後にした。明るく活発な明樹は部下にもよく慕われているようだった。武芸もなかなか達者なようだ。我が息子ながら、明樹であれば星羅を任せられると慶明は考えている。




