69 見習いの卒業
そろそろ軍師見習いから、助手に昇格もしくは、軍師省を去る時期がやってくる。毎年、軍師見習いの試験はあるが、しばらく合格するものはなく、星羅と郭蒼樹、徐忠弘3の人のままだった。この三年の間に変わったことは、徐忠弘が星羅の身長を抜いたことだった。
「俺は脱落するかもなあ」
気の抜けた徐忠弘の言葉に星羅は筆をとめる。
「なぜだ? そんなこと言うなよ」
「うーん。やっぱさあ。軍師って俺には合わないと思う。策も商売のことばかりしか出てこないし」
「商売だっていいだろ。国が富むことだって十分策だろうし」
「なんていうかさ。根本的にあんまり国に対する忠誠心っていうものがやっぱり薄いんだ」
「じゃあ、どうするつもりだ?」
「家を継ぐかな」
徐忠弘の実家は南方では有名な商家だ。
「せっかくここまで一緒に頑張ってきたのに」
残念そうな星羅に郭蒼樹が口をはさむ。
「確かに、ここで決断することは良いだろう。忠弘はきっと助手になれるがそのあとは厳しいと思う」
「蒼樹もそう思うか? 軍師というものは蒼樹や星雷みたいな、頭が冷め切ったやつか、心が熱いやつがなるもんさ」
徐忠弘は話しながら、より納得していっているようだった。
竹簡に記した策を三人は教官の孫公弘に渡した。徐忠弘は商品の流通に関して、郭蒼樹は軍事に関して、星羅は治水に関する策を講じた。結果は明後日ということで三人は久しぶりに町へ行き、酒屋で慰労会を始める。今日はしこたま飲んでやろうと、二階の奥座敷を用意してもらう。
「お疲れ様」
「一仕事だったなあ」
「手ごたえがあったな」
あっという間の三年間だったが、濃厚だった。星羅は曹隆明を男として意識する恋心と、父としての思慕の間で苦しみながら過ごした。治水に関する策は、隆明が黄河の氾濫で苦しむ民のことを話していたからだ。星羅は隆明の心の負担が少しでも軽くなるようにと策を講じる。結果的に良策であるが、その策を生み出す過程を知られれば、感傷的な策だとよい顔をされないだろう。
「忠弘の策も通ると思うけど、本当に辞めるのか?」
星羅は、徐忠弘の能力を惜しむ。
「ああ。通ったとしてもな。もうこれ以上策は出てこないよ」
「惜しい気がするがな」
郭蒼樹は徐忠弘の杯に酒を注ぐ。
「お前たちは軍師になってくれよ?」
「頑張るよ」
「ほかにやることがないからな」
「はははっ。やることないからって、さっと試験に合格されたじゃあなあ」
忠弘は笑って杯を空ける。
「しょうがないだろう。商人にも農民にもなれぬだろうし」
「確かに、蒼樹が商人だと仏頂面で何も売れそうにないなあ」
「土を耕す前に考えていそうだよなあ」
「人には適材適所というものがあるからな」
「忠弘はどこで何をしても適材適所ってかんじだなあ」
「それもなあ。器用貧乏ってやつか?」
「貧乏じゃないだろう」
他愛もないことから、真剣な話、想像までいろいろな会話を交わしあう。3人ともはっきりした個性と考え方があり、切磋琢磨しあってきた。これから徐忠弘がいなくなると思うと星羅は残念でならなかった。
人が引け始め、店の者がそろそろ終いたいと言ってきた。
「ああ、もうそんな時間なのか」
「僕はそろそろ帰るよ。二人はまだゆっくりしたらいい」
遅くなると京湖に伝えてはいたが、ほどほどにしておこうと星羅は二人に別れを告げる。
「夜も遅いことだし、送ろう」
「いや、いいよ。優々であっという間に帰れるから」
「まあまあ、星雷。遠慮するな。さすがにこの時間におなご一人を帰らせるわけにはなあ」
「え?」
徐忠弘の言葉に星羅は驚きまじまじと彼の顔を見る。
「なんだ?」
「あの、僕が女だと知っていたのか?」
郭蒼樹も怪訝そうに徐忠弘を見ている。
「ああ、最近だけどな。星雷はちっとも背丈が伸びないし、声も変わらないからな、そうかなーって」
「そっか、わかってたのか」
「だからって別にどうだってこともなかったんだけどな」
「ありがとう」
「気にするなよ。女軍師目指してがんばってくれよ」
「うん!」
「じゃ、ここで。蒼樹、後は頼む」
「ああ、任せておけ」
徐忠弘は機嫌のよい顔を見せ去っていった。星羅は郭蒼樹と二人で軍師省の厩舎にむかい、それぞれ馬を引いてきた。
「帰るか」
「うん」
2人は無言で馬に乗り走らせる。思う言葉は同じで『寂しくなる』ということだった。
徐忠弘が寄宿舎に帰ってくると、教官の孫公弘もちょうど帰ってきたようで「ようっ」と声を掛けられた。
「孫教官、お疲れ様です」
「どうだ。食堂で一杯やらねえか?」
「今、蒼樹と星雷と飲んだばっかりなんだよなあ……」
頭をひねっていると「まあ、こいよ」と強引に連れていかれた。夜更けの食堂は誰もおらず広々としていた。
「もう調理員は寝てるんじゃないですか?」
「いやいや、オヤジはまだまだ起きてるさ。なあっ! 酒と何か肴を頼む」
厨房へ孫公弘が大声でどなると「ちょっと待ってろっ」と返答があった。
「な? ほら、そこ座れ」
「は、はあ」
すぐに厨房から男が酒を運んできた。初老の男はいかつく目つきが鋭い。徐忠弘は相変わらず迫力のある食堂のオヤジだと、目をそらす。酒瓶を置くとすぐに戻り、肉と青菜を炒めたものを持ってきた。
「ほらよ」
「おお、すまんすまん」
「ゆっくりやんな」
男はまたプイっと厨房へ戻っていった。
「ほら」
「あっ、おっとと」
なみなみと酒を注ぎ杯を重ね飲み干した。軽く一杯やった後で孫公弘が尋ねる。
「結果は気にならないのか?」
「結果? ああ」
「なんだよ。気にしてなかったのかよ」
「あいやー。気にしてないというか、どっちにしても俺はもう、この辺が引き際かなって」
「お前がいるといい均衡を保つんだが、これからどうなるかなあ」
「蒼樹と星雷の組はなかなかいいと思いますけどね。夫婦軍師とかになったりとか。はははっ」
おやっという顔をして孫公弘は杯をそのまま空に浮かせた。
「星雷が女って知ってたのか」
「途中からですけどね。うちは女中だらけなので女には目ざといですよ。教官も知ってたんですか?」
「そりゃあな。上のものはみんな知ってるさ。まあ軍師省初の女人ということで、星雷の希望で男装してたわけだが」
「星雷も変わってるよなあ。嫁の行きてがあればいいが」
「嫁に行く気などないだろう。ああ、でも嫁ぎ先はたくさんありそうだぞ。わはははっ」
徐忠弘はその話を聞いてちょっと残念な気がした。秘かに彼女を気に入っていたので、行き遅れたら自分が娶ってもいいくらいに思っていた。
「そうか。じゃ、せめて婚礼衣装くらいうちで用意してやるかな」
そんな徐忠弘の気持ちに気づいてかいないのか、孫公弘はどんどん酒をつぐ。
「ここに入ったばっかりの時にもさんざん飲んだよなあ」
自分の部屋で歓迎会と称する飲み会を、徐忠弘は懐かしく思い出した。なみなみと注がれた杯の酒には、あの頃の少年のような徐忠弘ではなく、立派な青年が映っている。
「華夏一番の商人にでもなるか」
「おう! お前ならできる!」
再び乾杯して門出を祝った。




