57 故郷
早朝、支度を終え朝食を食べているところへ、すれ違いの生活だった兄の京樹が帰ってきた。
「京にい、どうしたの? なんだか疲れてる顔ね」
「そんなことないさ」
「ほんとう? 京樹、星羅の言う通りやつれているように見えるわ。眠る前に粥をお食べなさいな」
「ん、じゃ少しだけ」
京樹は食欲はあまりなかったが余計に心配されるといけないと思い、星羅の隣に座り粥を待つ。ことりと湯気の立つ器を置いた京湖は二人を見比べふっと笑む。
「息子が2人にみえるわね」
「確かに、星羅の男装も板についてる。まず女人だと思われないだろうな」
「そうなの。見習いの二人は気づいてないみたい。でもね一人わたしが女人だと最初からわかってた人がいるの」
「へえ。それはすごいわね」
「でもその人はその格好のほうが安心だろうねって」
「なかなかの好人物だね」
「ええ、厩舎の馬の世話をしてくれていて、優々がとても懐いてるの。あ、もう行かなきゃ。またね京にい」
慌てて食卓を立ち、星羅は包みを小脇に抱えた。
「いってらっしゃい」
透き通った微笑みを見せ、そよ風のように家を出ていった。可憐な男装の後姿を見送ったのち京樹は深いため息をついた。
「まあまあ。ほんとうにどうしたの?」
「ん。ちょっと考えることが多くて疲れたのかも」
「そう……。よく休んでね。もっと食事に香辛料を増やそうかしら」
「それは元気になるよ。ねえ、母様と父様は西国に戻りたいとは思わない?」
「え? 西国へ? それは、そうね。いつか戻れたらいいわね」
京樹はこの華夏国の危機を家族であっても話すことはできない。もしかしたら華夏国と運命を共にすることもあるのだ。京樹自身は、生まれたのも育ったのも華夏国なので、西国に望郷の念はない。むしろ太極府こそ自分の居場所であり、活躍できる場なので忠誠を尽くす所存だ。
星羅の存在も大きい。彼女はもちろん華夏国の主要人物となっていくだろうし、この国を離れることはないだろう。華夏国と星羅を京樹は支えていく覚悟だ。
しかし彰浩と京湖は西国で生まれ育ち、この国が好きで来ているのではない。両親の事情は京樹も星羅も知っている。京樹は秘密裏に西国の星も観察している。ちょうど華夏国が危機を迎える年に、西国にも変化が起きる。その変化はどうやら国民にとっては幸いなことで、国が亡びることではないようだ。
この危機に瀕する華夏国から西国へ戻ることを、両親に進めるべきか京樹は悩んでいる。
「いきなり西国の話なんてどうかしたの?」
「いや。どんな国なのかなって」
「そうねえ」
スパイスやら香やら花など華夏国と違って薫り高い国のようだ。常に暑く、気質は短絡的だが明るく大らかしい。しかし未だに生まれつきの身分差別がひどいことが西国の汚点であると京湖は話す。
「父様は西国の人らしくないね」
「ええ、代々陶工で、国境付近で暮らしていたから少し違うわね」
朱家は華夏国の商人とも先祖代々関わりがあり、漢字の名前も持ち、更に華夏国の漢民族に性格も近い。外見は、浅黒い肌に彫の深い顔立ちをしている、西国の紅紗那族そのものなのに、まとう雰囲気が漢民族だ。この国の官窯ですっかり打ち解けている彼はますます華夏国民として溶け込んでいる。京樹もそうだ。
京湖は紅紗那族らしく、人との距離が密接だ。華夏国で生まれ育ち、太極府に勤めていると、京湖があまりにも物理的に近くにいることに息子であるのにぎょっとすることがある。彼女はすぐに抱擁し、肩や腕や指先にすぐ触れようとする。星羅が男装をする前は、彼女の美しい毛先をよく指先に絡めたりしていた。
星羅は京湖の影響か、それとも兄だと思って接しているのか京樹に対する距離が近い。何か書き物をしているとすごく近くに顔を寄せてくるので、ドキッとしてしまう。
「そろそろ西から隊商がやってくるらしいから、香辛料が手に入るよ」
「そうなの! 嬉しいわ。手持ちが少なくなってしまって」
キャラバンの運んでくる西の香りを、京湖は心から毎年待ち望んでいる。漢服を着て、肌に白い粉をはたきキャラバンのもとへ買い付けに行くたびに、西国の様子を京湖は尋ねる。あまり情勢に変化はないようだが、じわじわと税金が重くなっているらしい。西国からきたキャラバンに向ける懐かしそうな眼を見ると、京樹は帰りたいのだろうなといつも思った。
数年のうちに、京樹も星羅も自立するだろう。その時に、帰らせてやれるものなら京湖を西国へ帰してやりたいと願っている。
「父様も知ってるかな」
「官窯でも聞いているんじゃないかしら。毎年、隊商から絵付けにつかう顔料を買っているようだし」
「最近、町でもみかけるよ。青花の器を」
ここ数年、白磁に青い染付をする手法が始められ、輸出もされるようになっている。玉のような真っ白い肌に、中華独特の文様や、風景、植物などが描かれており外国ウケが良かった。
「綺麗だけど、ちょっと硬くて冷たい気がするわ」
「そう」
少し寂しそうな眼をする母に「いつかまた父様の器を使えるよ」と同情した。
「そうね。じゃあもうおやすみなさい」
昼夜逆転の京樹は、日の出とともに眠りにつく。まるで最初から夜型だったかのように今はすっかり馴染んでいる。寝台に横たわると、洗濯された清潔な寝具が心地よい。
京湖がすすぎ水の最後に数滴たらす、精油の香りがうっすらと漂う。深く苔むしたような木の香りを吸い込むと、思考がほぐれ京樹はまた深い闇の世界へ落ちていった。




