51 視察
王太子の曹隆明は側室の申陽菜と数名の供を連れ、各機関を視察する。そう遠くない未来に、隆明は王となり政を行うようになるだろう。
こういった視察にはいつも北西出身のお気に入りである周茉莉を連れていたが、彼女は歌舞や衣装を取り扱っているところ以外はつまらないと言うので、今回は申陽菜を連れている。王太子妃の桃華は相変わらず体調が悪いということで、外出をしたがらない。
申陽菜はここぞとばかりに隆明の機嫌をとろうと、太極府や医局でも関心を示し感想を述べる。
「殿下、医局は優秀な薬師が多いみたいですわね。太極府も厳かで素晴らしいと思います」
「うん、どちらも国にとって大事な機関だからな」
当たり障りのない会話を交わしながら、隆明は最後に軍師省へ訪れる。
「どうかな。今年の見習いは」
「もちろん、どこの見習いよりも上等な者がそろいましてございます」
一番の高官僚、大軍師の馬秀永は濁った眼で、どこかわからぬほうへ視線を向け話す。戦国時代ほどの大きな活躍がみえない軍師省だが、国の最高機関として存在している。そのため気位の高いものが多い。王の臣下として次ぐ最高権力者は宰相であるが、この大軍師はそれに匹敵する。
古い時代には大軍師から、宰相になるものもあったが、今はこの軍師を目指すものは偏りすぎていて仁徳に乏しい。学問や知識、創意工夫に満ちてはいるが、知力のエキスパートはどこか人柄に問題も多かった。勿論、太極府や医局などの専門的な機関には、世捨て人のようないわゆる変わり者が多かった。
他の専門機関に比べ、軍師省は活発な議論をなされることも多いので、案外賑やかだった。意見が対立しているのかたまに怒声が聞こえてくる。
「こちらは活気があるのですね」
荒げた男の声に、申陽菜はその細い体をより細く縮めるようにして隆明に寄り添う。
「そうだな。ここは与えられたものを受け取るだけではなく、発揮するところであるからな」
間違うと場末の酒場のような言い争いにも受け取れる。軍師、教官、助手と順にみながら、隆明は彼らの熱気に当てられたかのように己も軽い興奮状態になっていた。
「良いな……」
王太子という身分を与えられた曹隆明と違い、彼らは自らの手で道を作り歩こうとしているのだ。最後にかるく見習いたちのいる部屋を覗く。一人の青年が地図を指さし、古代の分裂していた時代のことを熱心に話している。見習いたちは、過去の戦乱、戦略をシミュレーションして戦略を立てているのだ。振り返った青年を見て隆明は立ちすくむ。
「しょ、晶鈴……」
青年は晶鈴によく似ている。北西出身の側室、周茉莉よりもずっと似ている。じっと青年を見つめる隆明に、申陽菜は「殿下、どうなされたのですか? あの青年が何か?」と尋ねた。
「あ、い、いや。知り合いに似ていたので」
「そうですか。声でもおかけになります?」
「いや、討論中のようだしやめておこう」
案内役である、軍師助手の男に隆明は三人の名前を尋ねる。神経質そうな軍師助手は「左のものが徐忠正、右のものが郭蒼樹。立っているのが朱星雷です。今回最高の成績のものです」
「そうか」
朱星雷と口の中でつぶやくが、胡晶鈴とはまるで結びつかない。他人の空似でも、ここまで晶鈴に似ていると隆明はたとえ青年であろうが執着心を芽生えさえないことができなかった。どうにかして朱星雷をそばに置きたいと考え始めていた。
今夜はこのまま申陽菜のもとで隆明は過ごすことになる。申陽菜は医局長の陸慶明に作らせた、体臭をかぐわしい花の香りに変えさせる薬湯を飲んで寝台でスタンバイしている。
「今夜こそ、隆明様を夢中にさせてみせるわ」
はかなげな肢体と表情の下に、誰よりも負けたくないという強い気持ちが宿っている。申陽菜はとにかく自分が一番大事にされていないと気が済まなかった。
しかし思惑はなかなかうまくいかず、隆明は気もそぞろでぼんやりした夜を過ごした。申陽菜が甘く話しかけても生返事ぐらいで、結局、添い寝をするだけだった。
朝げを一緒に食べ、笑顔で隆明を朝廷へ送り出した後、申陽菜は癇癪を起こす。
「一体、何が気に入らないのよ!」
あまりにもそっけない隆明の態度は、彼女にとってまったく理解ができない。頭に血が上ったようで、ふらふらと申陽菜はしゃがみ込んでしまう。
「陽菜さま」
かけよる宮女に身体を支えられ、寝台に腰掛ける。
「なんだか、具合が悪いわ。薬師を呼んでちょうだい」
機嫌の悪い申陽菜に八つ当たりされないように、宮女はすぐさま医局へ走り、医局長の陸慶明に助けを求めた。




